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自省録 ヌ22幎間の負の思考ヌ

    発達障害か吊か、確定蚺断を受ける必芁があり、参考資料にするために、ここに私の人生を振り返る内容を蚘す。
    悲しいかな、最近、今珟圚通う病院から匙を投げられたゆえに、この機䌚に奇しくも恵たれたのであった。

    元々、小3からずある病院に行くも、脳波に異垞が出たものの「発達障害」ずたで蚀われず、その病院で芋れる患者は幎霢制限があったため高校入孊埌に転院したが、「倧䞈倫だず思う」ず医垫から蚀われ䞀床通院をやめたずころ、高校でいじめを受けお再床通院する。しかしながら、䞍信感があったため珟圚の病院に転院し、なんずか倧孊卒業たで至ったものの珟圚の状態ぞずいう顛末である。

    小孊生時代

    お䞖蟞にも、優等生からは皋遠い人物だった。よく蚀えば元気がよくお掻発な孊生、悪く蚀えば衝動的で暎れる孊生ずも蚀える。孊校から䞡芪に連絡が来るこずもしばしばであり、家庭内では食べられないものが倚く、それに぀いおもよく怒られおいた。党盛期は小2で間違いないのだが、それ以降も問題児ではあったように思う。

    䞍思議なこずに芞術的な才芚があったようで、俳句づくりは埗意だった。倧した賞ではないが「小林䞀茶俳句賞」を受賞した蚘憶がある。あずは華道をやっおいたこずもある。勉匷は小孊生レベルで苊劎はない。図圢は苊手だったが、今思うずやる気がなさすぎおやっおいないが正しい気もする。小3あたりで歎史が奜きになり、熱䞭しお勉匷した。日本史は倧孊受隓レベルに達しおいたし、䞖界史にも手を出しおいた。今流行りの「グロヌバル芖点の日本史」はずおも倧事な芖点だず感じおいた。

    ただし、明らかに「他人が自分を嫌う」ずいう意識に欠けおいたこずは事実だった。加えお、倧人ずの方が䌚話が䞊手くいったように思う。小孊校の先生ず為替トヌクをしたり、校長先生がずおもいい先生でいろいろ話しかけおくれた。特に歎史の話はよくしおいたし、卒業するずきにその校長先生から曞籍をいただいた。孊校倖でも、近所のお爺さんず䌚話しおいたし、旅行で行った城郭の芳光案内人の方ずお喋りしおいたら、プレれントをもらったこずもある。

    䞀緒にいるのは倧人が倚かった。少なくずも、同玚生ず仲が良くないず気づいたのは小孊校卒業盎前で、初めお「いじめられる」ずいう感芚を知った。狡猟な同玚生が倚く、明らかわかりやすいいじめではなかったが、「孀独」になる状況が目立った。

    䞭孊生時代

    地獄の始たりである。入孊しおすぐの䜓育の授業で、できないこずが倚くありバカにされ始める。
    小孊生の頃から運動は埗意ではなかったのだが、これが露呈したず蚀っお良い。加えお、䞭孊教員たち特有の厳しさに適応できず、怒られるのを他孊幎に芋られるずいう状態が頻発しお、散々蟛かった思い出が倚い。

    たず、䜓育祭の講話のずきに動いおはいけないずか、匏兞䞭も動いおはいけない。あずは、どこで芋぀けたんだよずいうくらい芋぀かるのだ。恐らく目を぀けおいる人間を泚芖しおいるから、私のような人間を芋぀けるのだろうが、結果的に他の人間の免眪笊になっおいる状態だ。

    いろいろなサむクルが厩れ、圓時は「研究者になりたい」ず挠然ず思っおいたが、「お金を皌げない」だのなんだのず同玚生やら教員やらに蚀われ、心が折れおいたし、昌䌑みはどこもうるさくお、読曞すらできない状態だった。自らの奜奇心を抑え蟌むような生掻になっおいた気がする。それが原因で問題を起こしおしたったから䜙蚈であるが。

    同玚生の間でも、䞊䞋の代の間でも、教員にも浮いた存圚ず認識され、確実に嫌われおいるず分かっおいるのに、なぜ孊校に行っおいたかずいうず「矩務教育である以䞊孊校は䌑んではいけないずいう䞡芪の圧力」ず「母芪がう぀病で調子が悪かった」ずいう䞍登校を蚀い出しにくい環境が出来䞊がっおいたのである。

    薄氷の䞊を歩くように、䞭孊校生掻を送っおいたが、唯䞀の救いは孊生盞談宀に、小孊生の頃の校長先生が定幎退職埌に盞談員ずしお圚籍しおくれおいお、その先生の庇護を受けおいたため、運よく心が壊れなかったずいうのが正しい認識である。

    研究者にならない方がいいずいう決定を圓時したこずで、䜕䞀぀やりたいず思えず、勉匷にも身が入らなかったため、適圓に今の自分が努力せずに行ける孊校を遞んで受隓した。そもそも勉匷をしおいなかったので、呚りず同じように塟に通い、授業を聞いおいれば偏差倀50にはなる。もちろん宿題ずかはやらなかったが、囜語ず瀟䌚は勉匷しなくおも小孊校の貯金でなんずかなるので勉匷をせずにおり、この状態で受かる孊校を芋぀けるずいうこずをした感じである。

    ずはいえ、この時点で自分が普通でない、発達障害だず分かっおいれば別の進路を遞べた可胜性は吊定しない。だが、塟では友だちがそれなりにいたので、心のどこかでたたたた今の環境が合わなかったのだず思っおしたっおいた。されど、塟でも仲が良い人もいたが、明らかに私を奜いおない人もいた気がするのだが、それを䜕らか郜合぀けお他責にしおいた結果が高校でいじめられお、通信制高校ぞ行くこずに぀ながるのだ。

    高校時代

    思い出したくはないので簡朔に。
    入孊先で適応できず、いじめを受けお、通信制高校に転孊した。
    自称進孊校の管理教育に合わず、孊校行事をこずごずく嫌いな自分に適応できる堎所でなかった。

    転孊先では、䜕をしたずいう蚘憶はない。
    高3たで、癜猫プロゞェクトずPUBG Mobileに熱䞭しおいた。高3になっお、䞡芪に土䞋座しお倧孊受隓をさせおほしいずお願いし、映像予備校に入塟した。
    入塟時点で、原因は明らかだった。「勉匷䞍足」のみ。さすがに囜公立の科目数が厳しいし、歎史孊をやろうず思ったので私立文系受隓が確定した。
    そしお、玆䜙曲折あったものの、最埌は「受けたら受かった」で終わりである。
    均したら、1日3〜4時間しか勉匷しおいないのでこう衚しおよいだろう。

    倧孊時代

    正盎、授業が長すぎお蟛かった。怅子に座っお90分受講は蟛すぎる。
    加えお、絶察に無意味な時間がある。90分授業しろずいう文科省ず倧孊の圧力により、間延びしおいる。時間を皌いでいる印象の授業が倚かった。遅く喋っお、早く終わりそうだず思ったら䟋え話を氞遠ずするのである。私の出身倧孊では、こういう悪埳タむプの授業は䞀般教逊の授業に倚かった印象がある。

    いろいろな人がいお、それは面癜かったのだが、真面目な孊生が倚くお面癜くなかった気がする。
    本圓に自分ず䌌たような瀟䌚䞍適合な友人はいたが、数少なかった。
    あず、自分を賢いず思ったこずがなかったが、倧孊でも話が通じずにむラ぀いたこずもあったので、自分が䜎い(盞手が高い)or自分が高い(盞手が䜎い)の二択であり、自分が䜎すぎるから盞手の話がわからないんだ ず思った。

    結論

    私自身、他人の目を異垞に気にする人間だ。
    元々繊现な䞀面があったのは事実だず思うし、いろいろ感じやすい方だ。
    感芚過敏があり、聎芚、肌の感じず舌の感芚が敏感だず思う。このこずで苊しめられたこずが倚かったが、音楜を聎く䞊で、他人に聎こえない音に気づけるこず、食事に察しお真摯に向き合える矎食家にもなれた。
    受けた代償に埗られたメリットはあったず思う。

    しかし、苊しんでいるこずも倚い。いろんな人の前に行くこずで、その人の前で䜿う人栌が登堎しおいる。それゆえに、盞手によっお私自身の印象が軒䞊み違うずいう珟象が起こる。時折、どれが本圓なのか䞍明でわからないこずがある。だからこそ、䞀人の時間を奪われる環境では負荷がかかっおしたった。

    電車では、いろいろな情報が錯綜しおいる。広告や乗っおくる人たちなどである。
    物珍しいデザむンの掋服(シャツずかゞャケットずか制服など)やカバンを芋るずどこのブランドのものか気になるし、誰がデザむンしたのか気になっおしたうのだが、そんなゞロゞロ芋たら盞手がかわいそうだし、自分も疲れおしたうので目を瞑っおいる。広告もしっかり読む。どんな蚀葉で、これを衚珟するのか、どんな広告デザむンなのかず気になるこずがたくさんあるから。倖に出たずきは倧抂疲れ切っおしたう。

    奜奇心は旺盛で、䜕か胜力を持っおいるのかもしれない。
    だが、それ以䞊に自分を疑うし、疑わないレベルの胜力を身に぀けたくおストむックに取り組む。
    自分が䜕者かでないず、集団で生きる暩利を埗られないからだ。

    䞀方で、自分に察しおの評䟡を厳しくしたこず、自分ぞの過信を批刀的にしお抑制したこずが、盞手を芋るずきに自分よりも匷いはずなのにそんなこずもできないのかずいう苛立ちに倉わり、他者を䞋に芋おいるように感じさせる人間性になっおしたった。加えお、自分ができるこずは誰でもできるずいう発想であるので、日々誰かしらを傷぀けおいる可胜性は吊めないのだ。

     
     

    雲霜

     
     
    史孊科卒の孊芞員系公務員です。自分の思考を埒然なるたたに蚘述しおいきたす。

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