
心の芯を震わせるゆったり沖縄旅・余話
のりこ先生が、三度目の沖縄へ来てくださいました。
私の故郷・沖縄をめぐる、3泊4日の旅のお供をしました。
題して 「心の芯を震わせる ゆったり沖縄旅」
旅というものは、終わったあとにこそ、本当は始まるのかもしれません。
帰ってきて日常に戻っても、ある風景や言葉が、
ふと心によみがえることがあります。
あのとき吹いていた風。
石に触れたときの感触。
その場では言葉にならなかった、かすかな感覚。
そうしたものが、時間をおいて育っていく。
今回の「心の芯を震わせるゆったり沖縄旅」は、
私にとって、まさにそのような旅でした。
ご案内したつもりでいて、振り返れば、私自身が受け取っていたものも、
実に多かったように思います。
送り手の側に残ったものについて、今日は少し綴ってみたいと思います。
送り手の側に残ったもの
三線を習い始めたのりこ先生の、上達を願う為にお参りした、赤犬子宮から始まり、やちむんの里、久高島、聖なる石をめぐるツアー、勝連城、識名園、首里城へ――。
こうして並べると、訪ねた場所はいくつもありますが、
思い出されるのは場所そのものより、そこで流れていた空気や、
交わされた言葉、沈黙の時間です。
風の音に耳を澄ませること。
石に触れ、古い時の重なりを感じること。
光の加減に、ふと足を止めること。
そうした何気ない瞬間の積み重ねが、
今回の旅をかたちづくっていたように思います。
体の蓋が取れたように心地よくなった
特に印象深く残っているのは、勝連城で先生がふと口にされた、
「体の蓋が取れたように心地よくなった」
というひと言でした。
その言葉を聞いたとき、この旅は単なる観光でも、情報を伝える案内でもなく、何かがほどけていく場になっていたのだと感じました。
私は日頃、琉球料理に携わるなかで、
食とは、ただ栄養を摂るためだけのものではなく、
心身を調え、記憶や文化をつなぐものだと考えています。
旅も、実はそれに似ているのかもしれません。
行程を組むことはできます。
準備を整えることもできます。
けれど、その場で本当に立ち上がるものは、
予定や段取りだけでは生まれません。
その土地と、
そこにいる人と、
そのときの気配。
それらが重なったときに、はじめて開いてくるものがある。
今回、改めてそのことを教えられた気がしています。
余白を持つ
識名園でも、同じ景色を見ながら、
それぞれが違うものを感じていたことが、とても自然でした。
同じものを見ていても、見えているものは違う。
感じ方も違う。
けれど、それを無理に合わせようとせず、
その違いをそのまま尊重できることは、
実はとても豊かなことなのだと思います。
旅とは、誰かに同じ感動を与えることではなく、
それぞれの感じる力が
自由に働く余白を持つことなのかもしれません。
今回、予定にはなかった識名宮の鍾乳洞への寄り道や、
大アカギの前で過ごした静かな時間も、
そうした余白から生まれたものでした。
整えすぎないからこそ、入ってくるものがある。
これは料理にも通じます。
手をかけすぎず、素材が持つ力を生かす。
余白を残す。
その考えは、私が料理で大切にしていることでもあります。
文化は、日常の営みのなかに宿る
夜、私の店で息子の三線を囲み、ゆるやかに楽しんだ時間も、
私にとっては忘れがたい場面です。
文化というと、つい遺跡や史跡、あるいは伝統芸能のような「形あるもの」に目が向きがちです。
でも本当は、人が集い、食べ、語り、歌い、くつろぐ、その営みのなかにも文化は宿っていると思います。
むしろ、そういう日常の中にこそ、生きた文化はあるのではないでしょうか。
そうした沖縄を、まるごと感じていただけたなら、案内した者として、
これほどうれしいことはありません。
感じる力を持つ人と旅をすると、土地はより深く開く
そして今回、私自身が強く感じたのは、
「感じる力を持つ人と旅をすると、土地はより深く開く」
ということでした。
これは、私にとって小さくない発見でした。
私はこれまで、料理人として、また琉球料理伝承人として、
「伝える側」に立つ意識が強かったように思います。
けれど今回、受け取る側の感性によって、
場そのものが豊かに開いていくということを、実感として教えられました。
送り手もまた、受け取っている。
そのことに気づけた旅でもありました。
感じたものは忘れない
旅が終わったあと、
先生が「感じたものは忘れない」と書かれていたことにも、
深くうなずいています。
言葉にしたことは、やがて薄れていくかもしれません。
けれど、五感で受け取ったことは、
思いがけないときに、ふっとよみがえる。
それは、その人の中で育ち続けるものなのだと思います。
料理もまた、そうです。
一皿は食べれば消えますが、そこに宿った記憶や感覚は残る。
私は、そういうものを手渡せる仕事をしていたいと、改めて思いました。
今回の旅は、沖縄をご案内した時間であると同時に、
私自身が「文化をどう手渡していくか」を考え直す機会でもありました。
そして、おそらくこの旅は、まだ終わっていません。
感じたものは、それぞれの中で、これからも静かに育っていくはずです。
その余韻ごと、旅なのだと思っています。
旅の景色や出来事は、のりこ先生のnoteに美しく綴られています。
ぜひ、そちらも読んでみてくださいね。
今日も沖縄から愛を❤️
千明