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ニュージーランドに16歳、1人で。遠くに来て気づいた“日本の当たり前”


    遠くに来て気づいた“日本の当たり前”

    ニュージーランドに留学して半年。毎日が新しい発見の連続だけど、その中で一番印象的なのは「日本で当たり前だったことが、実は全然当たり前じゃなかった」ということ。
    日本にいた頃は気にも留めなかった小さな習慣や文化が、ニュージーランドに来てから何度も自分を支えてくれているのだ。

    バスが時間通りに来ない!?

    まず一番驚いたのは、公共交通機関。
    日本では電車もバスも分単位で正確にやってくる。1分でも遅れたら車内アナウンスで謝罪があるくらい。

    でもニュージーランドでは、バスが平気で10分遅れてくるし、最悪の場合は来ないこともある(笑)。

    最初は「え、どうするの!?」と焦っていたけど、周りの人はみんな落ち着いていて「まあそういうこともあるよね」と言わんばかりに待っている。

    この“おおらかさ”は、最初は戸惑いだったけれど、今は少し心が楽になった。日本では「遅れちゃいけない」と焦っていた私が、「ちょっとくらい大丈夫」と思えるようになったからだ。

    スーパーで探した“あの味”

    次に恋しくなったのは食べ物。

    日本のスーパーでは、味噌や豆腐、冷凍うどんまで手に入る。だけど、ニュージーランドではそうはいかない。もちろんアジア系スーパーに行けばあるけれど、値段は日本の2倍以上。

    それでも、一度ニュージーランド人の友達に「これが日本の家庭料理なんだよ」と、味噌汁を作ってあげたときの反応が忘れられない。

    「シンプルだけど、すごく落ち着く味だね」
    その言葉を聞いたとき、ただの毎日のご飯が“文化”になった瞬間だった。

    小さな優しさに救われる

    異国で生活していると、ふとした瞬間に孤独を感じることがある。

    言葉がうまく出てこなかったり、ホストファミリーとすれ違ったり、学校で一人になる時間があったり…。
    でも、そんな時に救ってくれるのは小さな優しさだった。

    例えば、図書館で本を探していたら声をかけてくれたスタッフ。

    バス停で話しかけてくれた見知らぬおばあさん。
    そして「一緒にランチ食べよ!」と誘ってくれるクラスメイト。

    日本にいたら気づかなかったけど、当たり前のように交わされる人との関わりは、実はすごく大事でありがたいことなんだ。


    日本の“当たり前”が、私を支えている

    ニュージーランドに来てから、日本で育った自分をより強く感じるようになった。

    時間を守ること、食文化、そして人との距離感。
    その全部が「私」という人間の一部であり、異国でも支えになっている。

    だからこそ、日本の“当たり前”は世界のどこにいても私を助けてくれるんだと思う。

    そしてニュージーランドでの経験は、その“当たり前”をもっと大切にしたいと気づかせてくれた。

    おわりに

    留学生活は決して楽しいことばかりじゃない。
    でも、異国での暮らしの中で「日本の文化ってすごい」と誇れる瞬間に出会うたび、ここに来てよかったと心から思う。
    遠く離れたニュージーランドで、日本の当たり前に助けられながら、私は少しずつ生きる力を学んでいるのだ。


    最後まで読んでいただいてありがとうございます😊また会いましょー!次回の記事で!では、また。

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