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【実録】 「絶対結婚できない」と真剣に言われて育つとこうなる

    織の日々是好日

    親の否定的な言葉は、心の奥に残る。
    そんな経験がある人は結構いるのではないだろうか?

    心配性の親が言ってしまう否定の言葉

    私の母は心配性で過保護だ。私が母から言われた印象深い言葉は「あんたは絶対結婚できないから、他の子は良くても、あんたは一生ひとりで生きていけるようにならないとダメ」だった。

    当時私は中学一年生。喘息やアレルギーで病気がちだった私のために、母はそう言った。真剣な言葉は心に深く刺さり、私はその言葉を「確かにその通りだ」とすんなり受け入れた。

    その日の夜、天井を見つめながら頭に浮かぶ自分の将来は、病気のため人前に出れず、静かな地方で、低い賃金の仕事をしながら、どこかの狭い和室でひとり寂しく生きている姿だった。それを想像した時、絶望感に包まれたのを覚えている。

    アレルギーごときで、大袈裟な未来と思う方がいるかもしれない。しかしこの頃の私は、アトピー性皮膚炎で有名な"土佐清水病院"の治療を受けるほどであったので、この将来像は現実的に起こり得るものだった。

    「できない」という言葉の影響

    このとき、少しはあった結婚という未来の気配が完全に消え、恋を知る前から、結婚は絶対起こらないだろう事柄になった。健康な同級生たちが、いつか家族を持つ未来を当たり前に描く一方で、私はこう考えていた。
    「せめてひとりで寂しく生きていく未来にだけはならないようにしよう。寂しい将来なら、せめてやりたい事を仕事にして、友達がいて、楽しく生きていけたらいい。」
    限界値を低く設定し、強固な呪いとしてインプットした。

    その後の私

    1) もちろん恋愛を頑張らない人になる

    結婚という未来像が無いため、恋愛に注力しなかった。喘息も治り、アレルギーも治り、自分でも気にならなくなっても、人格形成期にインプットした『絶対結婚できない』というアイデンティティは強固なもので、誰かに告白されても、誰かを好きになっても、「でもこの先は無いし」と冷めた気持ちで、向き合う努力をしなかった。

    2) 普通のことに達成感を感じる

    大学生活を楽しく過ごせているだけで、やりたい仕事で働けているだけで、「昔言われた未来からしたら、本当によくやれているな」と思った。
    一人暮らしを始めた時も「普通の人と同じ生活ができているなんてよく頑張ってる」と心から自分を褒めた。ある意味、QOLの高い状態だ。

    ちなみに、実家を出たら、アレルギーは治った。おそらく私の症状は"シックハウス"と"生活の管理不足"が大きな起因のひとつだった。

    3) 結婚適齢期がきても他人事

    世間的な結婚適齢期が来て、周りで結婚していない友人が、自身の現状に病んでいっても、もともとそんな未来を描いていない自分は、理想と現実の差が無く、メンタルへの影響は皆無だった。おまけにQOLも高いので、無敵の人だった。
    結婚している友達を見ても、自分には関係ないこと過ぎて羨ましいと思わなかったし、慣例的にちゃんと祝っているつもりでも、何が幸せなのか実際のところはよくわからず、心がこもっていなかった。
    母はたまに、孫が見たいなどと言っていたが、本当に時々しか聞かなかったし、姉に対して言っていて、私に対してはもちろん言っていないと思った。自分には関係ないこと過ぎた。

    でも、私は結婚している

    ここまで読んで、「この人きっと独身だろうな」と思ったと思う。でも、私は結婚している。母を見返したかったからでも、運命的な大恋愛をしたからでもない。ただ、私が結婚しようと思ったから、結婚した。

    4) 世間的な適齢期が過ぎてようやく気づく

    周りの子は8割がた結婚していた。仕事もやるだけやって、もう大抵のやる事がなくなったその時、ようやく思い至る。
    「結婚できないと言うけど、何も試してない」
    そうしてやっと「もしかして私って、結婚できる?試してみた方がいい」と思った。

    5) 家族を俯瞰する

    それまで、姉がそのうち結婚してくれるとも思っていた。両親も姉には期待しているようだったし、叔母も姉にはお見合い話を持ってきた。でも、30歳で実家に戻った姉が想定外にまるで結婚しなそうで、私がせめて試さないといけない、と感じた。

    6) 仕事の一つと思うことにする

    自分にとっては絶対に起きないはずの事柄だったが、色々理由づけした上で、新しい仕事の一つと思えば試せる気がした。
    全く想定していない未来でも、何が幸せなのかよくわからなくても、一緒に生きていくパートナーを見つける事はできる。こんな自分に合う人を、真剣に探して見つけた。思い至ってから1年で、私は結婚した。

    今を生きる

    不思議なことに、結婚した後も、結婚したという実感があまりない。『絶対結婚できない』というアイデンティティは、誰かと過ごす将来像を描く事自体を無くさせたので、私の中に具体的な未来像やプランがない。やりたかった事がないので、色々やっても実感がない。
    今、私はノープランで生きている。良い言い方をすれば「何も決めつけずに生きている」。私はちゃんと私に合う夫を見つけたので、多分夫にもそんなに切羽詰まったプランはない。
    私たちは、私たちの時間で生きている。結婚とは今のところ、共に歩み、大切にしていきたい人と、同じ時を生きていくことだ。ノープランで生きることは、何もないわけじゃない。むしろ、どんな未来でも描けるということ。今、私は、自分の家族というものを自分で少しづつ形作っている最中だ。

    「絶対できない」とか、絶対受け入れてはいけない

    当たり前だが、自分の人生を決めるのは自分自身。試してないなら、試してみたほうがいいし、安易に「絶対できない」という言葉を信用してはならない。

    言葉で自分の可能性を狭めていないか?
    もし『できない』と思っても、
    それを試したことはあるのか?
    試していないうちは、まだ何も決まっていない。

     

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    織田りお です。織(おり)と呼んでください🦆 日々の体感や出来事を記載中。エッセイ/雑記/英語日記など、気ままに更新しています。 英語でのコメントも歓迎です♪ Xは適当につぶやいてます。

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