
トラとウマ
トラウマってみんな一つや二つあるのかな?
ボクにも一つある。
しかも、今でも思い出したくないやつが。
ただ、ひどいトラウマを持つ人から見れば、ボクのなんて大したことではないと思う。
だから今回は、トラウマじゃなくて、トラとウマと呼ぶことにする。
何年も前の話なので、一応回復?しているつもりなんだけど、
何か、スッキリしていない。
誰かに話してしまえばいいのかもしれないのだが、普通には話しづらい内容なのである。
そう言われると深刻な話に聞こえるかもしれないが、そんな話ではない。
でも、この話を聞いた人の83%は、いつかボクと同じ場面に出くわしたとき、この話を思い出してしまうと確信している。
あくまでもボクの推測ではあるが。
だから、ずっと人には話せなかった。
……どうしようか。
そうだ!
有料の記事にしよう。
それなら、本当に知りたい人しか読まないはずだ。

いや待てよ!
「500円払って、変なトラとウマに出会わされた」
なんてクレームが来たら、たまったもんじゃない。
ボクは現場監督だ。
日頃から、クレームという言葉には敏感である。
現場だけでも手いっぱいなのに、自分のnoteでまでトラとウマを増築するわけにはいかない。
ということで、無料公開に決めた。
よし、注意事項を貼っておこう。
これで、ボクにクレームが来ることはない……はずだ。

では、この先に進めてもいいかな?
ここまで来たということは、あなたは全てを理解し、承諾したということだよね?
では、後戻りできない世界へ行こう。
……
これが、ボクのトラとウマの始まりである。
何年か前のことになる。
ボクはある会社で、建築現場の現場監督をしていたんだ。
現場といえば、仮設トイレ。
仮設トイレといえば、あの独特の匂いがする簡易トイレ。
ボクは昔から苦手だった。
わかるよね。
あの、絶対使いたくないやつ。
ボクは、新しい現場が始まると、必ず近くにホームセンターがあるか確認する。
資材を買うふりをして、快適なトイレを使えるオアシスだからだ。
でも、職人さんたちはそう簡単にオアシスへ行けない。
絶対に使いたくないトイレで、地獄のトイレライフを送らなければならないのである。
毎日使う職人さんたちのことを考えると、何とかならないものかと思い始めたんだ。
そのトイレだが、ボクも使わないわけではない。
「小」の時は使うこともある。
でも、必ず行う儀式がある。
トイレの前に立つ。
ドアを開ける前に数回深呼吸をした後、大きく息を吸い込む。
息を止める。
すぐさまドアを開け、用を足し始める。
である。
だが、その息を止めるという行為が、裏目に出ることがある。
思っていたよりも時間がかかった時だ。
ボクの息は30秒くらいしかもたない。
30秒が近づいてくると、ウルトラマンのカラータイマーがチカチカするように、胸の鼓動が速くなってくる。
「ぷはー」
耐えられなかった。
「スー」
大きく息を溜めていたのを吐き出してしまった分、一段と大きく吸ってしまう。
鼻の中を、勢いよく通り抜ける素晴らしい香りを感じながらボクは後悔する。
こんなことなら、小刻みに小さく息をしておけばよかった。
ボクは仕事で現場に来ているのに、すっかり嫌な気分になってしまう。
これがトラとウマ。
……ではないんだ。
こんなトイレを使ってる職人さんたち、かわいそうだよね。
すると、ボクの中にいる、誰にも頼まれていない正義の味方が動き出した。
「よし、何とかしよう!」
ということで、ボクは現場に行くたびにトイレ掃除を始めたんだ。
朝、現場に行くと、ちょうどぶっ放してスッキリした表情で出てくるやつがいる。
我慢に我慢を重ねて、一気に出す。
そんなところだろう。
当然、後始末も一大事である。
ボクはバケツに水を汲み、ブラシできれいに汚れを落とす。
まるで最初に設置された時みたいに。
オマケで蚊を寄せ付けないスプレーを「シュッシュッ」と吹いてやるんだ。
これで完璧!
最初は驚かれていたけど、そのうち「あの現場はトイレがきれいだから」と喜ばれるようになった。
会社を辞めるまで、これだけは続けていた。
ただ、この時のボクは、まだ知らなかった。
その何気ない善意が、後に自分自身を苦しめることになるなんて。
では、そろそろ、本当のトラとウマの話をしよう。
ボクは毎日、お弁当を持って仕事に行っていた。
お弁当といえば、愛妻弁当と思われるかもしれないが、我が家は完全セルフサービス方式である。
自分で詰めた、ただのごはん。
節約するためには仕方なかった。
さすがに、ご飯だけではなんとも寂しい。
そこで、レトルトカレーをかけて食べていたんだ。
これはこれで、安く済むし、食べたという満足感は得られる。
ボクはこれを毎日続けた。
しかし、組み合わせが良くなかった。
何の組み合わせかって?
レトルトカレーごはんと仮設トイレ掃除。
想像はつくと思うんだが、どう見ても同じものに見えてしまうんだ。
あぁ、これ以上は詳しく書かないほうがいいだろう。
トイレ掃除をしていると、考えてしまう。
「これ、まさにカレーだよな」
この時はまだいい。
問題は、お昼の時間である。
フタを開ける。
レトルトカレーの袋を切り、絞り出す。
「ブチブチブチ」
黄土色で具はほとんど入っていない。
間違いなくカレーではある。
「……」
何も考えない。
いや、そんなこと無理……。
気にしないと思うほど、朝の光景が頭に浮かぶ。
映像は浮かぶ。
ただ、感情は持たない。
「無心」のつもりで食べる。
いや、無心ということにして食べる。
人間、余計なことを考えない能力も大切なんだと思う。
世の中には、トイレの神様なんて歌もある。
でも、ボクにとってトイレといえば、神様じゃない。
トラとウマなのである。
はじめに言った通り、大した話じゃない。
でも、これでボクは少しスッキリできた気がする。
「ガチャッ」
部屋の扉が開く。
夜、出かけると言っていた妻が入ってきた。
「ご飯は炊いておいたから、レトルトのカレーかけて食べてね」
……。
知らないって、しあわせなことだよなぁ。
結局、何年経っても、
カレーはおいしいし、
トイレは臭い。
そして、
ボクのトラとウマも、
きっと一生なくならないんだと思う。
ちなみに、あなたにも今、小さなトラとウマが一つ増えたかもしれない。
次にレトルトカレーを食べる時、どうか、この話だけは思い出さないでほしい。