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Photo bymadame_tone

ひたわりの季節

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門
    困らせる人だった父の、䞍噚甚なやさしさを゚ッセむにたずめたした。介護する人を支える人を目指す私の原点のお話です。

    1. 父の芋たかった道

     タクシヌドラむバヌだった父が突然芖力を倱った。
    糖尿病による合䜵症だった。
     20幎以䞊も前の話だ。
     幞いにも近隣の倧孊病院で治隓治療を受けるこずができ、かろうじお日垞生掻は送れる皋床の芖力は取り戻せた。
     しかし、それを皮切りに腎䞍党、脳梗塞、さたざたな合䜵症を発症し、最埌にう぀病を発症し、倱業した。
     自暎自棄になった父は誰ずも口を聞かず、自宅に匕きこもった。䜕を蚀っおも返事をしない父に困り果おた母をみかねお、私は少しき぀い口調でそんな父をずがめた。
     そんな日々が䜕日か続いた埌、ふずんに朜り蟌んで黙っおばかりだった父がぱっずふずんをめくりあげ、私にこうさけんだ。

    『おかあさんを車で旅行に連れおいきたかったんや。』ず。

     そしお、
     私にしがみ぀いお、子どものように泣いた。
     そんな、感情をむき出しにした父は埌にも先にもあの時、䞀床きりだった。
     父は、圓時倧孊院生だった匟が独立しお、経枈的に自立したら、転職を繰り返し、苊劎ばかりかけおしたった母を自分のタクシヌで旅行に連れおいきたかったのだ。そんな父の姿を芋お、ただ、20代だった私は絶句しおしたい、䜕も蚀えなかったのを今でも鮮明に芚えおいる。

    2.  昌たで寝おいた父

     父の䌚瀟が倧䌁業に吞収され、高卒だった父は窓際に远いやられた。父の䌚瀟は、䞭小䌁業だったがたじめな父は営業ずしおそれなりに誇りを持っお、サラリヌマン家業に勀しんでいたようだ。
     䞀念発起した父は脱サラしたが、その埌、職を転々ずした。その間、実の兄になけなしの退職金をだたしずられたりずかなり䞍噚甚な生き方をしおきたようだ。きたようだずいうのは、私はすでに成人しおいたが䞡芪はそういった姿は芋せないようにしおくれおいたのだ。
     結局、タクシヌドラむバヌに萜ち着いたのだが、そうなっおからは、私たち家族は、昌間、いびきをかいお寝おいる父の姿しか芋かけなくなった。
     昌倜が逆の生掻ずいえば聞こえがよいが、母には気が向いた時に起き出しお、仕事に行き、朝方に垰っおくる父の姿がだらしなく芋えたようだ。
     しかし、実は䞀浪しお私孊の倧孊の理系孊郚に入り、さらに倧孊院に進孊しおいた私の匟の高額の孊費のために皌ぎのよりよい倜にタクシヌを走らせおいたのだ。自らの健康ず匕き換えに。
     それだけでなく、父なりの孊歎コンプレックスに察する意趣返しだったのかもしれない。
     その埌、父は72歳たで生きた。
     母は、20幎以䞊ヘルパヌの仕事をしながら、父の介護を行い続けた。匟は就職ずずもに家をでた。たたに気が向いた時だけ連絡をよこす匟に父も母も䜕も蚀わなかった。私はずいうず結婚をするたで実家から出るこずなく、介護の䞖界で働きながら、父ず母を支え続けた。  
     たたたたの成り行きだが、私は、今はケアマネゞャヌをしおいる。20幎前、父の介護が始たり、䞀時は自分の幞せはないものずあきらめかけたが、倫ず恋に萜ち、かわいい嚘を2人授かった。奇跡だず今でもおもう。それだけでも、倫に感謝だ。結婚を快く認めおくれた矩理の母にも兄匟たちにも。
     だからこそ、芪を捚おられないがゆえに自分の幞せをあきらめおしたった人たちの力になりたいずいう思いが匷いのかもしれない。


    4. 母が倒れた日
     ある日、父のケアマネゞャヌから連絡があった。
     『お母さんが歩けなくなりたした。救急車を呌びたいのですが、お母さんが倧䞈倫ず蚀っお呌ばせおくれたせん。すぐに来おください。』
     慌おお駆け぀けた時、父のケアマネゞャヌが救急車を呌んでくれおいお、なんずか母を救急搬送した。
     調べおもらったずころ、母は、肝臓が悪く肝性脳症ず蚀うのを発症し、認知症のような症状がでお、さらに䞡足が蜂窩織炎ずいう病気でパンパンに腫れお歩けなくなっおいたのだ。
     近くに䜏んでいながら、ケアマネゞャヌずいう仕事をしおいるくせになぜ早く母の異倉に気が぀かなかったのだろうず自分を責めた。しかし、そんな埌悔が吹っ飛ぶくらいの毎日が始たった。その日から父ずの戊いが始たったのだ。
    そしお母もずうずうもず通りには戻らなかった。

    5.困らせる人

     父は脳梗塞になり、高次脳機胜障害ずいうのを発症しおいた。自分の感情をコントロヌルできず、他人を思いやるずいうこずが苊手になっおいたのだ。
     看護垫さんや介護職さん、ケアマネゞャヌさん、そしお、母。呚りのお䞖話をしおくれる人にわがたた攟題。
     介護保険のサヌビスの利甚はこずごずく拒吊。母が疲れ果おたのを芋兌ねお圓時私が勀めおいた特逊にショヌトステむさせようずしたが、廊䞋にひっくり返っお、手足をバタバタさせ、家に垰るず泣き叫び、それ以来、母はサヌビスを利甚するこずを諊めた。家に看護垫さんに来おもらったりもしたけど、長くは続かなかった。
     父は、週3回、透析にでかけるのは、率先しお出かけおくれた。そのおかげでなんずか母はヘルパヌの仕事を続けるこずができたのだ。
     母はそんな生掻を20幎以䞊続けおきたのだが、母が倒れお、それが䞀気に私ひずりの肩にのりかかったのだ。
     そしお、それだけでなく、母も認知症を発症した。  
     肝性脳症は䞀時的なものではなかったのだ。
     母は、入院しおすぐに70歳の誕生日を迎えた。
     母の誕生日に実家にいくず、䜕故か庭の雑草の䞭にたけじず倧きなひたわりが䜕本か咲いおいた。ひたわりが倧奜きな母がタネを撒いおいたのだろう。
     久しぶりに実家の台所に入るずたるで絵に描いたようなゎミ屋敷。それだけでなく、介護の利甚料の滞玍やカヌドロヌンの返枈。い぀から母は認知症を発症しおいたのだろう。
     その埌、母は肝臓ず䞡膝、蜂窩織炎の治療で半幎間入院生掻を送るこずずなった。
     そしお、その半幎の間、私は父ずの密な時間を過ごすこずになった。ほんずによく困らせおくれた。
     その間の物語はたた違う機䌚に曞いおみたいず思う。

    6.いのりがめ祈亀

     怒涛のような2024幎が終わり、明けたお正月。私は幎明けに仕事に埩垰するこずになっおいた。このお正月は父も母も入院しおいた。だが、どちらも幎明け早々には垰宅するこずになるだろう。䞡芪の介護が始たる。私は仕事を続けながら䞡芪をみるこずができるのだろうか。䞍安に抌し぀ぶされそうになりながら近所のでんがの神さんにお参りにいった。そこで、祈亀さんに匕き寄せられるようにお願いごずをした。
     『お母さんのでんががなくなりたすように。』
     『じぃじのはいらんの』ず嚘から聞かれたが䜕故かいらない気がした。
     『じぃじはでんがじゃないからいらんのやわ。』

     その倜、午前2時ごろ。
     父の入院しおいる病院から連絡があった。
     『お父様が急倉されたした。』
     倫ず慌おお駆け぀けたが、すでに息をしおいなかった。

    父の葬儀に合わせお、垰宅した母。
    初䞃日が終わり、少し萜ち着いたころ。
    『お母さん、退院したら、したいこずある』
    わたしがそう聞くず母は、少し考えおから、
    『ひたわりがようけ咲いおるずこいきたい。』ず蚀った。
    ただ、車怅子でしか移動できない母。
    私ひずりでは無理でも、今は倫がいお、嚘たちがいる。

    父が行けなかった道の先ぞ、今床はみんなで行ける気がした。

    『ほんなら、䜐甚町いっおみる』
    そう蚀うず、嚘がすかさず笑った。
    『ママ、運転ぞたくそやから、パパ連れおっお。』
    倫は苊笑いしお、『高いで。』ず蚀った。

    『第䞉やないビヌル䞀本やな。』
    母が声を䞊げお笑った。



     
     
    看護垫・保健垫・ケアマネゞャヌ。 父の介護ず看取り、母の介護を今もしながら、医療・介護・犏祉の珟堎で働いおいたす。 仕事ず介護の䞡立に悩み、支える人を支えるこずの倧切さを痛感。 このnoteでは、介護する人の気持ちが少し軜くなる蚀葉や、家族介護のリアルを綎っおいたす。

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