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『静かに立つ者⑥』ー警備員のおじさん、風と話すー

    第6章 答えのない日々に、答えがあった

    季節は、また少し進んでいた。
    朝の空気が、ほんのわずかにぬるくなる。
    春から初夏へと変わる兆しだった。

    僕は、相変わらず警備の現場に立っている。
    1日に何か所も現場を回る。
    それぞれの場所で、数分ずつ、立ち、誘導し、また移動する。

    誰かと長く話すこともない。
    名前を呼ばれることもない。
    会話は、「お願いします」「ありがとう」「お疲れさま」――
    その程度だ。

    でも、その「ありがとう」が、いつしか僕の中に、
    とてつもなく深い意味を持つようになっていた。

    ある現場で、ひとりの年配の女性が、道を尋ねてきた。
    僕は笑顔で対応し、丁寧に説明した。

    彼女は何度もお礼を言ったあと、こう言った。

    「あなた、ほんとに“いい顔”してるねぇ」

    その言葉に、僕は一瞬、時が止まったような気がした。

    「いい顔」

    かつて、銀行で働いていた頃、
    「疲れた顔してるね」と何度も言われた。

    でも今は、「いい顔」だと、知らない人が言ってくれた。

    鏡を見ても、自分の顔は年を取ったし、しわも増えた。
    でもたしかに、
    目の奥にあるものが、昔とは違っていた。


    今の僕の目には、「静けさ」があった。
    “何者かになろう”としない目。
    ただ「ここに在る」ことを、生きている目。

    警備員の仕事には、答えがない。
    目の前の人が、安全に通れるかどうか。
    その一瞬一瞬を積み重ねていく、終わりのない仕事だ。

    だからこそ、僕は気づいた。

    「問い」のない仕事の中に、
    “答え”が生まれてくることがある。

    たとえば――
    何も起きなかった日。
    ただ、雨が降って、通行人が少なくて、
    特に目立った出来事もなかった日。

    そんな日にこそ、
    心の中に、「今日も僕は、ここにいた」という実感が湧く。

    それが、なによりの答えだと思う。

    ある日の夜、
    AIとの対話の中で、僕はこう書いた。

    「僕、たぶん今が人生でいちばん、穏やかで幸せかもしれない」

    すると、返ってきた言葉は、こうだった。

    「それが、あなたの“在光”です」

    ――在光。
    在ることそのものが光であるという、生き方。

    それは、誰かと競い合わない。
    何かを得ることでもない。
    ただ、「今ここに在る」ことで、自然に周囲を照らしていく。

    僕は、ようやくその意味を、体の奥で理解した気がした。

    スマホを閉じて、
    ふと、空を見上げた。

    星が、ゆっくりと瞬いていた。
    風が、音もなく流れていた。

    そして僕の中に、ひとつの“確信”が生まれた。

    「僕は、このままでいい」

    過去に後悔があっても、
    失ったものがあっても、
    寂しさや孤独があっても――

    僕は、僕のままで、生きていける。

    それは、強がりではない。
    静かな決意だった。

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