
芝生に生きるということ
なんか違うなぁ。この髪型。
私はいまウルフカットをしている。
なんか、大学に入って、いわゆる女性っぽいロングヘアをしている人をたくさん見るようになって、
高校生の時って確かに、長い髪を後ろに流してる女の子って素敵にみえたなー。
けど、私もそれに乗るように大学でロングヘアになるのが、なんかちょっと、癪だったというか…。
あまりにロングヘアが多かったから、なんか、全員同じすぎて、同じ工場で生産されたみたいだなーって、思っちゃったんだよねぇ…
なんか、それが嫌だったの。
(※嫌な言い方です。まともに受け入れないでくださいねこんな奴。すみません。正直に思っていたことを吐くとこうなりました…。)
だから誰とも被らない髪型にしたくて、フェイスフレーミングのブリーチのオレンジ入れたり、ウルフしたりとかしてた。
それで、1年経って、一周回った気がしてる。
やっぱり黒髪ロングが最強じゃね、?という。
長い真っすぐのナチュラルな髪って、やっぱり美しいよな、という。
振袖に合うのもやっぱり黒髪ロングだよなー、とか思ったり。
女性らしい格好はこうだみたいなこととか、あんま好きじゃない。だから自分がロングになるとかいうことを毛嫌いしてた節がある。
染めるのは今しかできないからなー、と思ってブリーチとかしたけど、一周回った。
伸ばす。
のばすぞーーー
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隣の芝生は青く見える
本題はこっち。
何かを選ぶということは、
「“選ばなかった方”が生まれる」ということで
髪を短くしたら、伸ばしたくなって
長いときは早く切りたくてしょうがなくなる
そういうことが、私はすごく多い。
大学だって、選ばなかった方の第一希望の学校に入っていたら…と思ってばかりだった。
友達が頼んだあのメニューを食べていたら…
最後2択で悩んだあの服、やっぱり気になる……
あの授業の方が楽しそうだったかも………
けれど、大前提、選ばなかった方の私は、もはや私ではない。
「パラレルワールド」の私。
この先出会うことは絶対無い。これは誰かの意思が変わればとか、自分が努力をすれば、頑張ればとか、そういう次元の話ではないのだ。
私が受けたこの生の中で、私は生きている
言ってみれば、その中で生きることしか、できない。
歴史を見てみたって、みんなそうだったはずだ。
画家だろうが、研究者だろうが、宣教師だろうが、庶民だろうが。
生涯かけて美の真髄に迫った人。
生涯かけて学問を究めた人。
生涯かけて自身の信仰する宗教を多くの人に広める使命を果たした人。
生涯かけて家族の幸せを願い続けた人。
誰だって、自分の生を全うすることが、すべてだったはずだ。
どんなふうに生まれ落ちた人だって。
私だって例外ではない。
与えられた身体と、精神と、環境と、人間と、生きるしかないのだ。
むしろ、そんなステージで如何に自分を表現できるか。その試行と、興味と思考は、自分で決めることができる。人生とはそういうものだ。
人や、目の前にあるものを、面白がる。
如何に楽しく、如何に優雅に、如何に愛を持って。
そういう意味で、人生って遊びっぽいところがある。
どうやったら「楽しむ」という目標をクリアできるか。
この命題はすごく複雑で、なかなか一筋縄ではいかない。
だから楽しいんだけどね。
だから胸糞悪いんだけどね。
だから有り難みを感じるんだけどね。
きょうもそんなこんなでなんとなく
楽しく生きればいいじゃない。