
伝えられなかった言葉の今
幼稚園児の私は、手紙を書くことが好きだった。
家に帰ってきたら、その日に友達からもらった手紙を読んですぐに返事を書いた。
先生に手紙を渡すと、そのお返しにはいつも可愛いキャラクターを画用紙で作った手作りのメッセージカードやたくさんの優しい言葉を綴った手紙をくれた。
たまにもらえるハート型の小さな厚紙に一言だけ、「がんばってね」「ありがとう」などと書かれたメッセージカードはいつもバッジの裏側に入れていた。
当時私が書いていた手紙は、同じような内容を何度も書いていたり汚い文字で読めなかったり、内容もとても薄かったと思う。
手紙の最後には必ず、「だいすきだよ」と書いていたことを覚えている。
他には「いっしょにできてたのしかったね」とか「おしえてくれてありがとう」「いつもなかよくしてくれてありがとう」とか、ただただその時に思っていたことを素直に言葉にして書いていた気がする。
感謝もたくさん伝えた。
当時は、友達や先生からもらう手紙も内容より私が渡した手紙に対して返事をくれたということが嬉しかった。
小学生になると誕生日のお祝いに手作りの手紙を送り合ったり、意見や考え方の違いでぶつかってしまった時に手紙で気持ちを伝え合ったりした。
時に手紙がお守りになることもあった。
不安になった時に見返すために持ち歩いていた、母からもらった手紙があった。
その手紙を見るだけで「大丈夫」と思えた。
幼稚園の担任の先生とは今でもずっとご縁が続いていて、年賀状を送り近況報告をしている。
小学生の時ある一人の先生からは夏の時期やクリスマスの時期にも毎年手紙が届いた。
あとから母から聞いた話だが、小学生の頃、心配性が酷くなっていく私を見ていて母も不安になってしまい先生に相談していたらしい。
先生からの手紙には、あの頃と変わらず優しい言葉だけが並べられていて悩みも心配も吹き飛んだ。
返事には感謝の気持ちと相談したかったことなどを書いた。
小学生になると手紙は、自分の思いや考えを伝えるものに変わった。
幼稚園児の書く手紙の内容とはどんどん変わっていき、当時書いていた感謝の気持ちは口に出して直接伝えることが増えた。
感謝は書くよりもしっかり面と向かって伝えることの方が大切だと、この頃学んだ。
ちゃんと届くし、気持ちが伝わる。
それから成長していくうちに手紙を書く機会は減ってしまった。
毎年送っている年賀状と卒業など別れの時に手紙を書くくらいになっていた。
そして声にして気持ちを伝えることが多くなった時、不思議と素直な気持ちを隠すようになった。
もちろん会話はするし、喧嘩をすることもあったけど本音を全部は言えなくなった。
感謝の気持ちを伝えることも何故か減っていった。
中学生の時、音楽が好きだった私は入学前から吹奏楽部に入部することを決めていた。
仮入部へ行き、音楽室に入ると
「よろしくお願いします。」
「ありがとうございます。」
と、部員全員の揃った挨拶が聞こえてきた。
入退室は先輩が優先で、先輩が持っているものややってくれていることで代われることがあれば後輩が率先して動く。
演奏の迫力と凄さの次に見えてきたのは、はっきりとした上下関係と徹底された礼儀だった。
私は吹奏楽部に入部して間もなく、朝練と放課後の練習、土曜日の一日練習、合同練習やイベントがあると日曜日も部活という休みのないハードな毎日を送ることになった。
当時はいっぱいいっぱいで伝えることが出来ていなかったが、毎日朝早くに起きてお弁当を作ってくれて、休みの日は送り迎え、楽器の運搬、引率をしてくれていた両親や保護者の方々には感謝しきれない。
家に帰ってからも次の合奏までに様々な準備をしなくてはいけないため、楽譜に書かれた言葉の意味や曲の進み方を確認したり曲を聴き込んだ。
事前にどれだけ準備ができるのかということ、それがどのくらい重要なのか、その準備の差が今後どう部員を左右していくのかということを思い知らされた。
それを知っても、私たちがやることは部活だけではない。
勉強もある。家に帰ったら他にやりたいこともあったし、休みの日は本当に貴重だったから遊びにも行きたい。
どんどん優先されるのは自分の好きなことで、大変なことは後回し。
それが後々私を苦しめることになる。
コンクールが近づくと部員も顧問の先生もより一層熱が入る。
そこで難しいのが熱量の違いだ。
もちろん事前の準備も人によって大きく差が出てくる。
私は最低限のことはしっかりやった。
曲を聴き込んで譜読みをした。
でも抜けてる部分はたくさんあった。
それは次の合奏の時に顧問の先生によって見抜かれた。
吹けていない連符があったのに、そこを徹底して練習せず自分の好きな部分ばかり吹いていたのだ。
合奏中に音楽室から出て行き、出来るようになるまで何度も練習した。
でも、この時は「上手くなりたい」とか「こうなりたい」という理想よりも「怒られたくない」という思いの方が大きかった。
基礎練習よりも曲を演奏している方が好きだったが、怒られたくないから基礎練習をして、苦手な部分も反復して練習した。
合奏の間は間違えないようにと必死だった。
学年が上がると同学年の部員同士の関係性が少しずつ変わっていた。
それがそれぞれの意識を変えるきっかけにもなった。
他の人とは違う綺麗な自分だけの音色を響かせたいとかソロを吹きたい、曲の主旋律を吹くファーストが吹きたい、演奏を良くしていきたいなど目標ができた。
演奏面の他にも先輩として引っ張っていきたい、頼ってもらいたい、認めてもらいたいと思うようになった。
そして、お互いにライバル意識を抱くようになり、意見の衝突も増えていった。
この時期にこのような感情を抱くのは当たり前のことなのかもしれないし、大事なことだったのかもしれない。
そして、ここでこそ手紙や声にして気持ちを伝えることが大切になる。
なのに私は、しっかり向き合わずに安全な道を見つけ揉め事から避けてしまった。
言い換えれば、自分の考えや思いを伝えることから逃げた。
以前、あんなにも気持ちを伝えることや言葉にする大切さを学んだはずなのに意見を求められた時にも常に中立でいて、当たり障りのないようにしていた。
そんな私の当時の本音は感動してもらえるような音を響かせたい、必死になれることも好きだから意見が衝突してでもより良い練習方法を見つけたりリズムを合わせていきたいという熱い気持ちもあった。
でもそれはいつもではなく、みんなに合わせよう、怒られないように頑張ろうという考えがよぎることもあった。
熱量や考え方に違いはあっても、皆しっかりと自分の意思があってそれを伝えていた。
そんな中、私は意見を持たず全員に共感していた。
いつもやると決めたことは最後まで逃げずにやり切るけど、それまでの過程での立ち位置はずるくて、中途半端。
嫌われることが怖かった。
いざ意見を伝えてみようと思った時、いつも何も伝えない私の意見は弱くてサッと消されてしまう。
「でも」という言葉がくるだけで勝手に否定された気持ちになって、最後まで伝えることを諦めた。
そして、どんどん伝えることが怖くなった。
伝えたいけど伝えられない気持ちはたくさんあったが、手紙を書くこともほとんどなくなっていた。
それに加えて、意見の衝突や伝えることの恐怖を少し覚えていた私は、自ら自分の気持ちを伝える場所も友達の気持ちを知って理解する機会もなくしてしまっていた。
そして、憶測でしか相手の気持ちを汲み取ることが出来なくなっていた。
このことがきっかけなのか、私は相手の気持ちを表情から読み取ったり様子を窺って空気を読むことがどんどん得意になっていった。
私が感じた感情や思いがどれほど正解だったかは分からないが、何となく当たっていることが多かった。
そんな私を皆はどう思っていたか分からない。
理解のある人と思っていてくれていたかもしれないし、合わせてばかりでイライラしたり、意思のない人と思われていたかもしれない。
周りからどう思われているかも不安になる時があって、意思を伝えられない代わりにどんな時でも良い人でいなきゃと思った。
こんな中途半端な気持ちがいつもでなくても出てしまっている時点で一生懸命になっていたつもりで、部員や顧問の先生、音楽にも全力では向き合えていなかったのかもしれない。
楽器から出る音にもその時の感情や迷いがそのまま乗ってしまい、安定感がなく上手くいかないことが増えていった。
どんなに気持ちを隠していても音は正直だ。
顧問の先生はどんな状況であろうと、まっすぐに言葉を伝えてくださった。
その言葉に対する熱い思いや責任感は計り知れない。
顧問の先生は絶対に私たちに伝えた言葉を忘れることはないし、私たちが顧問の先生に話した内容も忘れずに覚えていてくださる方だった。
正し過ぎて嫌になったりしてしまったこともあるが、とても尊敬でき信頼できる先生だった。
伝えることから逃げていた私も三年生になり、少しずつ意見を言うように意識した。
大きく変わることは出来なかったし、意見もたくさん出せるようになったわけではないが、考え方や意識は変えることが出来た。
三年間の部活動の中で、顧問の先生や先輩方から教わったことは音楽だけではない。
礼儀や物事への向き合い方、伝え方ここでは書ききれないほどたくさんある。
同学年の部員や後輩からもたくさんのことを学んだ。
一つだけではない考え方や必死になると言うこと、たくさんの楽しい経験も出来た。
誰か一人でも違うメンバーだったらあの時の経験は出来なかったと思うから、本当に濃厚な三年間をあの時のメンバーで一緒に活動することが出来て良かったと思う。
大切な宝物だ。
それなのにしっかりと皆に感謝を伝えたのは卒業する時の挨拶で伝えた一回だけだった。
また、ここまで綴ってきた顧問の先生の指導一つ一つの意味をしっかり理解し、もう一度直接会って感謝を伝えたいと思ったのは中学校を卒業してから五年が経ち、社会人になった時だった。
四月になり、小さい頃からの夢だった仕事に就職することが出来た。
配属先が決まると次々に覚えなくてはいけない業務、覚えた分どんどん増えていく仕事量。
この量を「大変」と言いいながらも何年も続けてやりこなしてきた上司の方々を尊敬する。
業務に関してはいっぱいいっぱいで頭が毎日混乱していたけど、礼儀に関しては褒めてもらえることが多かった。
言葉遣い、上司の方が優先、挨拶、出来ないことやミスをしてしまった後の対応、全て社会人として当たり前のことだし出来ないと困ること。
しかし、こういう当たり前こそ習慣になっていないと『いつも』は難しい。
当たり前のこと、自分は出来ていると思っていても忙しい時や余裕がなくなってしまっている時は周りが見えなくなる。
私は顧問の先生と先輩方に教えていただき、中学生の時にその当たり前を知ることが出来た。
そして、三年間の部活動によりそれを習慣にすることが出来た。
当時は「どうしてここまでしなくてはいけないんだろう」「このくらい良いじゃん」と思ってしまったこともある。
将来につながるとても大切なことを教えていただいていたのにその意識があまりなく、怒られないようにと行動していた中学生の私を叱りたい。
それでも何気なく意識していた挨拶や行動は、三年間続けると不思議と習慣になる。
数年経ってやっと、それは一人の人間としてこれからたくさんの方々と関わっていく中で一生忘れてはいけないことだったと気づくことが出来た。
ここでは言葉で書ききれないほど多くのことを学び、今に活きている。
配属先が決まり、現場で本格的に仕事が始まってから数日後の帰り道、突然顧問の先生に手紙を書きたくなった。
中学校を卒業してから就職するまで気づくことの出来なかった感謝を顧問の先生に伝えたくなった。
しかし、いざこの感謝を伝えたいと思った時その人は目の前にはいなくて、なかなか伝えることが出来ない。
顧問の先生も先輩方も今どこで何をされているのか分からない。
連絡先も交換していなかった。
二十歳の時に開催された同窓会にも顧問の先生は参加されなかったため、未だに感謝を伝えられていない。
このエッセイを通じてやっと言葉にすることは出来たが、いつかは絶対に直接感謝を伝えたいと思っている。
社会人になって二年目。
私自身に様々な違和感や自分でも言葉では説明できないような感覚を抱くことが増えてきた。
何をやっても上手くいかない。
元々の性格もあると思うが、一回ミスをしてしまうとなかなか気持ちを切り替えることが出来ないせいで何度もミスが続く。
そして、ある時から少しずつお客様と話していると急に言葉に詰まって次の言葉が出なくなった。
大人数の前で話すことは以前から苦手だったが、目の前の誰かに寄り添い、話を聞くことや話すことは好きだったから提案すること、接客することは得意だと思っていた。
だからこそ、どんどん話せなくなっていく自分が怖かった。
次第にお客様だけではなく、上司や友人と話している時にも「私の話し方ってこんなだったっけ」と違和感を抱くようになった。
中学生の時は気持ちを伝えなかった。
でも今は伝えられなくなってしまった。
お客様の前やある決まった場面では悪化していく一方だったが、また違う場面や友人の前ではそれが全くない時もあった。
その症状が出た時に、話しにくいと思われていないか不安になった。
上司や家族、友人にも相談したことはあったが、たまにしかその症状が出ないからか
「気にしているけど、聞いている側はそんなに気にならないから大丈夫だよ。今みたいにいつも通りに話していれば大丈夫。」
と励ましの言葉をくれた。
真剣に相談に乗ってくれていることも分かっていたし、きっとみんなの言うとおりでいつも通りに話せば大丈夫なのだと思う。
しかし、いつも通りいつも通りと思うほどそうならなくて、結局上手くいかずに終わってしまう。
上手くいかなかったことを話しても、その場にいた人がほとんどいないから分かってもらえない。
ずっと葛藤していた。
もうこれ以上誰かに話しても自分がこんなにも駄目なんだと思い知らされるだけで、何も変わらないから伝えないほうがいいと思った。
その後も状況は悪くなる一方で、ついには
「ありがとうございます。」
が普通には言えなくなった。
たった十文字、今まで何回行ってきたか分からない言葉で誰であっても面と向かってしっかりと伝えなくてはいけない言葉なのにどうしても噛んだり喉で何かが詰まったように声が出なくなった。
接客や仕事のコミュニケーションを手紙で取るわけにはいかない。
必死にいつも通り伝えようとするが何回も聞き返されてしまう。
声に出して何も伝えられない自分が情けなくて、恥ずかしくて「ありがとう」すら言えなくなってしまったことを相談したことは一度もない。
どんどんしんどくなっていくし、解決方法も分からない。
体調はどこも悪いわけではないし、精神面の問題だから気にしすぎないようにしたり違うことを考えてリフレッシュしたりすれば、自分で治せると思った。
あともう少し、あと二ヶ月頑張ろうと仕事もコミュニケーションを取ることも続けたが無理だった。
その後も治ることはないし話すこと以外にも全てがじわじわと悪い方向に進んでいった。
私は逃げた。
一度やると決めたら最後までやり切りたい性格だから、それが私にとっての限界だったのかもしれないが、初めて中途半端なまま終わった。
病院にいったら良かったのかもしれない。
他にも出来た努力はあったかもしれないのに、私はそれに気付かないふりをして逃げた。
どうしても嫌なことばかりが頭をよぎってしまうし、時間や仕事に加えて言葉にも追われて疲れ切ってしまった。
しかし、こんな私にも様々な変化に気付いて声をかけてくださった上司の方がいた。
他にも知識や技術をとても丁寧に細かく指導してくださる方。
新しいことにも挑戦させてくださる方。
私が退職の話をした時にも真摯に向き合ってその時の思いを受け入れてくださり、様々な提案をしてくださる方。
こんなにも私を成長させてくださった方や気にかけて支えてくださった方がいたのに、その方々の思いに私が向き合うことが出来ていなかった。
忙しさや大変さを理由に、教えていただいた技術を疎かにしてしまったことがあった。
それも、教えていただいた方の目の前で。
すぐに修正したが、その時とった自分の行動に後悔しかない。
理想と違う自分、間違い、嫌だという負の思いが強すぎて、今まで当たり前にしていたことや大切にしてきたことを忘れてしまっていた。
もちろん、退職時に感謝は伝えたが、それではあまりにも足りなさすぎた。
今はもっと伝えたい、伝えなくてはいけない感謝がある。
今更気付いた。
気付くのがいつも遅い。
その感謝は今も誰にも伝えられないまま私の中にしまわれている。
素直な気持ちも伝えなくてはいけなかった気持ちも全て自分勝手に閉ざしてしまった。
色々あって、私は別の道に曲がってみることにした。
全く想像もしていなかった道だし正解なのかも分からないけど、これも私が決めた道だから今度こそ中途半端で終わりたくない。
その新しい道でたくさんの挑戦をしたいと思っている。
その一つは今まで閉ざしてきてしまった言葉ともう一度向き合い、言葉を届けることだ。
その時はそうは思っていなかったことでも今になって救われた言葉や支えられた言葉がたくさんある。
気付くのはいつになるか分からないし、人によって受け取り方も違うけどふとした瞬間に思う。
言葉を伝え続けることの大切さ。
難しいし嫌な時もあるけど伝え続けなくてはいけない。
伝えることから逃げてしまった期間があるからこそより一層、大切にしていきたい。
「今日もありがとう」