
樟脳の戒め 母の最後の願い
久しぶりに着物を虫干ししようとして和ダンスを開けると、樟脳の匂いがつーんとした。洋服ダンスには無臭の防虫剤を入れているが、和ダンスには樟脳を使っていたのだ。
紋のついた黒い着物の上には、母に頼まれて京都で買った男物と女物の扇子が置いてある。20年前に亡くなったときに形見として譲り受けたが、私は着物に縁がなく、これまで一度も着たことがない。
母は76歳のときに脳梗塞で倒れた。幸い命はとりとめたが、左半身に麻痺が残り言葉がやや不自由になった。懸命にリハビリに取り組み、言葉もかなり回復して元気そうだった。
あるとき、母は正式な場で使える扇子が欲しいと言い出した。だが、私には何故そんな物が欲しいのか分からない。というのも、その年の秋に予定されていた甥の結婚式には、「もう世代交替だから、息子に行ってもらう」と言っていたからである。
その年の6月に、私は所用で京都に出かけ、父と母のみやげに扇子を買った。母にそれを渡すと、「ああ、これね」と言って、一瞬遠くを見るまなざしをした。「暑いから使ったら」と普段使うことを勧めたが、その夏、母が扇子を使うのを見たことはない。
9月のある日訪ねていくと、母の姉が来て、二人きりで長いこと話し込んでいたので、私は母とほとんど話をせずに帰ることになった。それでも、帰り際にいつものようにお小遣いを2万円くれた。私は働いているので、お小遣いは必要なかったが、これも親孝行と思ってもらっていたのだ。母の手はかつてなくやせ細っていた。
その一週間後に母はあの世に旅立った。
葬儀のときに、あの扇子を棺に納めようとして探し回ったが、どうしても見つからない。だが、2か月経ち、家族で遺品を整理していたときに、義理の妹が和ダンスの引き出しの中にあった扇子を見つけてくれた。
一対の扇子は紋付という黒い着物の上にそろえて置かれていた。そのときになってやっと分かったことがある。母は世代交替だと言いつつも、もう一度この扇子を持って晴れの場に出てみたいという夢があったのだと。遠くを見る目をしたのは、自分の晴れ姿を想像していたのだろうか。
いつかこの着物を着たいと思っていたが、タンスの中にしまったままになっていた。最近は母を思い出すことは少ないが、体調がすぐれないときには母の夢を見る。決して相性が良かったとは言えない母娘だが、家族の誰よりも夢で出会うのは不思議である。
樟脳の匂いは、「たまには思い出しなさい」と私をいさめているかのようだ。