
10.60代で個人ブランドを始めた理由——jomon-auraの出発点
jomon-auraの作品一覧 → https://jomon-aura.com/kimono-remake-onepiece/
60代で、個人ブランドを始めました。
周りに話すと、驚かれることがあります。「今から?」と。
でも私には、今だから、という感覚があります。
なぜ今、着物リメイクなのか
きっかけは、母の喪服でした。
母が亡くなって数年が経ったころ、押し入れの奥から喪服が出てきました。一度も袖を通さなかった、上質な正絹の一着。捨てることも、誰かに譲ることも、どうしてもできなかった。
「形を変えて、手元に置いておけないか」
そう思ったとき、自分でリメイクしてみようと考えました。長年ミシンに触れてきた経験がある。シルクの扱いも、なんとなくわかる。やってみたら、想像以上に美しく仕上がりました。
完成したワンピースを着たとき、不思議な感覚がありました。母の記憶が、日常の中に戻ってきたような。喪服という重さが、少し軽くなったような。
それが、jomon-auraのはじまりです。
「同じ思いを抱えている人が、きっとほかにもいる」
その確信が、ブランドを立ち上げる背中を押してくれました。
ミシンと私の歴史
ミシンを初めて触ったのは、10代のころです。
洋裁を習い、自分の服を縫い、子どもの服を縫い、カーテンを縫い——気づけば何十年も、ミシンとともに暮らしてきました。特別なことだとは思っていなかった。ただ、縫うことが好きだった。
正絹に特化するようになったのは、もう少し後のことです。絹特有の滑らかさ、縫うときの緊張感、仕上がったときの艶。化学繊維とはまるで違う、布との対話のような感覚。それが好きになって、正絹だけを縫うようになりました。
60代になって思うのは、手仕事は年齢を重ねるほど深くなる、ということです。
焦らなくなった。布の声を聞く余裕が生まれた。若いころには気づかなかった細部に、今は自然と目がいく。これは経験でしか得られないものだと思っています。
南島原で作ることの意味
生まれ育った南島原市を、離れたことがありません。
海と山が近く、四季の変化がはっきりしていて、空気が澄んでいる。この土地が好きです。
都会のアトリエで作れば、もっと多くの人の目に触れるかもしれない。でも私は、ここで作りたかった。南島原の光の中でしか出せない布の表情がある。この土地の空気が、作るものに宿ると信じているから。
「南島原の光で染め直す」というコンセプトは、飾り言葉ではありません。ここで生きて、ここで作っているという、正直な宣言です。
地方で、小さく、丁寧に。それが私のものづくりの姿勢です。
これから作っていきたいもの
jomon-auraを始めてから、少しずつご依頼をいただくようになりました。
届く着物はどれも、それぞれの記憶を持っています。形見の喪服、一度しか着なかった留袖、祖母から受け継いだ小紋。預かるたびに、この仕事の重さと喜びを感じます。
これからも、一点物にこだわり続けます。量を増やすつもりはありません。一着一着に向き合える範囲で、丁寧に続けていきたい。
60代で始めたこのブランドを、70代でも80代でも続けていけたら。そのためにも、無理をしない。焦らない。ミシンの前に座るたびに、そう思っています。
このnoteを読んでくださった方と、いつかお仕事ができたら嬉しいです。
あなたの着物の話を、聞かせてください。南島原からお待ちしています。