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Photo byジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー / メトロポリタン美術館

ひとつの大きな光の流れ

    ひとつひとつが「流れ星を見た」瞬間だった。

    大好きな人たちと目的地を巡って景色を共有できたことが、
    どれほど素晴らしい体験かを教えてくれた旅。
    自分の軌道で進んでいいよ。
    いくつかの軌道が、重なる瞬間がきっとくるから。

    言葉よりも、
    一緒に見た光、一緒に歩いた道、一緒に吸った空気、
    そのほうがずっと深く残る。
    「瞬間の集合」ではなく、「ひとつの大きな光の流れ」だった。

    宇宙にあるチリが地球の大気と出会って、燃えあがって、
    最後の瞬間を迎える瞬間に、私たちは「流れ星」を見る。
    チリの最後の輝きに願い事を託す。
    形が消えても、
    「流れ星を見た」と記憶に残るし、願い事と一緒に消えない。
    チリの軌道と地球の軌道が交わる瞬間が、「流れ星」なんだ。

    この旅は「点」じゃなくて「線」でもなくて、
    ずっと流れ続ける光の粒の連続だったんだと思う。

    曇りの日は、光が柔らかい。
    色が深く見えて、人の気配が静かに感じられる。
    そしてたまに差す光は、一瞬の輝きを作る。
    天気そのものが、旅の“舞台装置”になっていた。

    わたしは場所を“情報”ではなく“空気”で感じる。
    都会は密度が高いし、光が強いし、
    人の気配が多いし、情報量が多い。
    だから、“身体が守りに入る場所”だった。
    目的地だけを見て、余計なものを遮断して、
    自分のペースでコントロールしながら歩いていた。

    でも今回は、その密度を“案内してくれる人”がいた。
    東京の空気をわたしの身体に合う速度で見せてくれた。
    だから、東京の密度が“敵”ではなく“景色”になった。
    “身体に馴染んだ”に近いかも。
    東京が好きになった気がした。

    誰と一緒にいるかで、場所そのものの意味が書き換わった。

    安心感や馴染んだ感覚は、光の粒がはねているよう。
    胸に残っている余韻は、東京という場所の新しい意味が身体に沈んでいく感覚。
    わたしが感じた「うれしかった」が、いくつもの層で重なっていて、
    まるで旅の中で星座がひとつずつ形になっていくみたいだった。

    わたしは普段自分の世界を丁寧に歩きたい人だけど、
    どこに行くのか知らないまま後ろをついていくのも、
    誰かの世界に案内されるのも楽しい。
    自分だけじゃ見ることができない景色をみさせてくれた。
    これが誰かと共有することの醍醐味。
    自分の軌道を進んできたことで出会えたもの。

    これが、この旅で受け取った“光の正体”。

     
     
    風が通る静けさの中で、 記憶と生活史をそっと言葉にしています。 原点と今が重なる瞬間を、淡い光のまま残していきたい。

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