
レシート
人は、いつから物を捨てられるようになるのだろう。
若い頃は考えたこともなかった。
財布が膨らめば整理し、古い紙は丸めて捨てる。それだけのことだった。
七十歳になると、その「それだけ」が難しくなる。
新しい財布を買った。
革の匂いが少しだけ眩しかった。
長く使った財布を机の上に置き、中身を一つずつ移していく。
運転免許証。
保険証。
診察券。
もう閉店してしまった喫茶店のポイントカード。
どれも薄く、軽い。
人生とは、案外こんな軽いものを持ち歩いているのだと思う。
最後のポケットに指を入れると、一枚の紙が引っ掛かった。
レシートだった。
折り目が幾重にもつき、紙の色は白ではなく時間の色になっている。
インクはほとんど消えていた。
日付だけが、辛うじて読めた。
二〇〇四年六月。
私はしばらく、その数字を見つめていた。
二十二年前。
その頃の私は、今より二十二歳若かった。
そんな当たり前のことを考えてしまうのは、年齢のせいだろうか。
何を買ったのだろう。
誰といただろう。
仕事の帰りだったのか。
休日だったのか。
思い出そうとしても、何一つ浮かばない。
店の名前は消え、品名も消え、金額も消えていた。
残っているのは、あの日が確かにあったという証拠だけだった。
私は最近、人の名前を忘れる。
昨日会った人の名前が出てこないこともある。
そのくせ、小学校の廊下の匂いは思い出せる。
母が台所で包丁を使う音も思い出せる。
記憶というものは、なんとも身勝手である。
残してほしいものから先に消えていき、どうでもいいものほど、いつまでも居座っている。
若い頃は、忘れることを悪いことだと思っていた。
覚えている人ほど賢く、忘れる人ほど衰えていく。
そんな単純なものだと思っていた。
しかし、七十年生きてみると、少し違う景色が見えてくる。
人は忘れるから生きていけるのではないか。
もし悲しみを一つも忘れなかったら。
別れを一つも忘れなかったら。
後悔を一つも忘れなかったら。
人生は、とても重くて歩けない。
忘却とは、記憶を裏切ることではない。
明日を生きるために、昨日を少しずつ軽くしていくことなのかもしれない。
私はレシートを光に透かしてみた。
薄い紙の向こうに、窓の外の木々が揺れていた。
二十二年前、この紙を財布へしまった私は、まさか七十歳になってもう一度これを開くとは思ってもいなかっただろう。
いや、七十歳の自分を想像することさえなかったかもしれない。
未来とは、若い頃には永遠に遠い場所だった。
今では、過去のほうが遠く感じる。
私はレシートを静かに丸めた。
捨てようと思った。
だが、指が動かなかった。
思い出は残したいのではない。
思い出せなくなった自分を、まだ受け入れきれていないのだ。
そのことに気づくまで、ずいぶん時間がかかった。
結局、そのレシートは新しい財布には入れなかった。
ごみ箱にも入れなかった。
机の引き出しへ、そっと戻した。
忘れることにも時間が必要なのだろう。
そう思ったとき、不思議と安心した。
人は記憶でできているのではない。
忘れてきたものの形で、できているのかもしれない。