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自分の存在価値を証明するゲームから降りたら楽になった話

    なぜ今私達はこんなにも生きる意味や自分の存在価値にについて、日々考えるのだろう。


    昔は、生き残ることが最優先だった。
    食べること、眠ること、家族を守ること。
    まずは今日を生き延びることに意識が向いていた。


    でも現代は、生きること自体ある程度当たり前になったことで、人は「なぜ生きるのか」「自分には価値があるのか」を考えるようになった。

    その結果、

    * もっと稼がなければならない
    * 誰かの役に立たなければならない
    * 人より優れていなければならない
    * 成果を出さなければならない

    と、自分の存在価値を証明し続けるようになった。

    けれど、本来人の価値は成果や能力で決まるものではない。

    生きていることそのものに価値がある。

    昔の人も「生きる意味」を考える人はいたと思うが
    多くの人はまず目の前の課題が大きかった。


    一方で現代は、少なくとも多くの人にとって「生き延びる」こと自体はある程度達成できるようになったため
    人間の意識は次の段階に向く。

    「なぜ生きるのか」
    「自分は価値があるのか」
    「幸せなのか」
    「他人より劣っていないか」

    みたいな問いだ。

    だから現代の苦しみって、飢えや寒さではなく、

    『意味の苦しみ』
    『比較の苦しみ』
    『自己評価の苦しみ』

    が増えたんだと思う。

    しかもSNSがあるから

    「生きてるだけじゃダメ」
    「何か達成しなきゃ」
    「好きなことで成功しなきゃ」
    「輝いてなきゃ」

    みたいなメッセージを毎日浴びる。

    本来は存在しているだけで十分だったはずなのに、
    いつの間にか「存在価値を証明するゲーム」に参加させられてる感じがする。

    ただ面白いのは、

    「生きる意味がないと苦しい」
    と思う一方で、

    哲学者の中には
    「意味を探すから苦しい」
    と言う人もいる。

    例えば、意味を見つけようと必死になるより、

    * 今日ご飯がおいしかった
    * 好きなアイドルのライブが楽しかった
    * 誰かと笑えた

    みたいな小さい体験を積み重ねる方が、結果的に満たされることもある。


    でも、人間って案外、

    意味があるから生きるんじゃなくて、生きてるうちに意味ができる

    のかもしれないなと思う。

    だから今は「自分の存在価値を見つけなきゃ」と焦るより、

    「今日をどう過ごしたら少し心地いいかな」

    くらいの方が、実は人間の脳には合ってるのかもしれない。

    誰かと比べるために無理をしたり、自分の存在意義を必死に探したりしなくてもいい。

    本当に好きなことに夢中になったり、心が動く瞬間を大切にしたり、美味しいものを食べて笑ったりする。

    そんな一見小さなことの積み重ねが、生きることそのものなのかもしれない。

    生きる意味は探して見つけるものではなく、生きているうちに自然と生まれてくるもの。

    だから、「自分には価値があるのだろうか」と問い続けるよりも、「今日はどう生きたいか」に意識を向ける。

    その方が、人は少し楽に生きられるのかもしれない。

    ⸻

    「頑張るな」ではなく、「価値を証明するためだけに頑張らなくていい」

    ワクワクするから頑張る。
    好きだから挑戦する。
    誰かを助けたいから働く。

    それは素敵なこと。

    でも、

    「価値のある人間になるために頑張る」

    になると、終わりのない苦しさが始まる。

    価値を得るために生きるんじゃなくて、
    価値がある存在として生きる。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

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