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【短編小説】ほしの王子さま

    【あらすじ】

    みかどの第三王子・徳三郎は、身分に守られた人生ではなく、自らの力で生きる道を選び、御殿を飛び出します。

    竹取の老夫婦と出会い、物売りとして町を歩きながら、人に喜ばれる商いの本質を学んでいく徳三郎。

    やがて竹から生まれた不思議な少女・かごや姫と家族として暮らし、商いの相棒として心を通わせます。

    しかし、かごや姫には十五夜に月へ帰らなければならないという宿命がありました。
    彼女から「一緒に月へ来て王になって」と乞われた徳三郎が、最後に下した決断とは──

    働く喜び、人との出会い、家族の絆、そして宿命に揺れる恋を描く、少し切なくどこか懐かしい和風ファンタジー小説です。

    『星の王子さま』『竹取物語』『唐茄子屋政談』、そして寅さんにも敬意を込めて、ひとつの物語として紡ぎました。



    みかどには三人の王子がいます。
    その三男の名は徳三郎王子。いまのところ──この物語の主人公。

    彼には二人の兄がいるので、いずれどちらかがみかどの跡取りになります。
    徳三郎は兄弟のなかでもひときわ賢く、人と話すのが好きで、子供のころから好奇心旺盛でした。

    そんな徳三郎ですが、跡継ぎは早く生まれた順と決まっているため、自分がみかどになれないことはわかっていました。
    そのことへの不満はまったくなかったのですが、一生御殿の中で過ごしていくことだけは、どうにも納得できませんでした。

    長兄がみかどになり、次兄が右腕として支えていくとすれば、自分は大した役割も持てずに、名ばかりの王子として暮らしていくことがたまらなかったのです。

    いつかは町に出て、王子としてではなくひとりの町人として暮らし、できることなら一旗あげてみたいと考えるようになりました。
    しかし三男とはいえ、徳三郎はれっきとした王子。そんなことをみかどに伝えられるはずもありません。

    一度だけそれとなく、冗談交じりに母君に言ったことがあります。
    「冗談でもそんなことを言ってはなりませんよ。あなたはみかどの王子なのです。ゆくゆくは二人の兄を支えていかなければならない立場なのです。わきまえなさい」
    とにべもなく返されてしまいました。

    「もちろん冗談ですよ、母君」
    そう笑ってみせましたが、あきらめることなどできませんでした。

    幼いころから身の回りの世話をしてくれた侍従の爺やには本音を打ち明けました。
    「とんでもございません。あなた様はれっきとしたみかどのお血筋。勝手にお屋敷を出ることなどあってはなりませぬ。ここにいることこそがあなたの役割なのです。花鳥風月を愛でながら、悠々と人生を過ごしていけると思えば良いではないですか。万人がうらやましがるお立場にいらっしゃるのですぞ」

    万人がうらやましがる──
    徳三郎にはその意味がわかりませんでした。

    どうしてうらやましいのだろう。
    町を自由に歩くことだって、どこに行くのにもお付きの者が付いてくる。自分で買い物をしたり、酒を飲んだりなどもってのほかなのだ。私だって、町人と気の置けない会話をしてみたいし、友達だって作りたい。芝居や落語も見てみたい。きっと愉快なのだろうな。

    そうだ、自分で商売をしてみたい。私には商いが向いていると思うんだ。
    人に頭を下げられるのにはもう飽きた。きっと一生分下げられたであろう。今度は頭を下げて商品を売ってみたい。
    自分で金を稼ぐとはどういうことなのだろう。
    楽ではないのだろうなきっと。望むところだ。親が選んだ見合いではなく、町で出会った娘と恋をして所帯など持てれば何より最高だ。

    それらがひとつもできずして、毎日不自由なく三食が与えられ、絢爛豪華な御殿に住み、時間を持て余しながら花鳥風月を愛でて生きることが、はたして万人がうらやましがる人間の生き方だといえるのか──

    徳三郎はその答えを自分で見つけたくなりました。
    やってみなければわからないことならやってみよう。ここにいてもいつか後悔するだけだ。

    そう考えると徳三郎は御殿を出ていく決意をしました。
    まつりごとは、父と二人の兄がいれば滞りなく進んでいきます。
    町人として生活しながら、自分の力を試してみたいという気持ちが一番でした。

    その晩は満月でした。
    徳三郎は誰にも気づかれないように生まれ育った部屋を片付けて、風呂敷に荷物をまとめました。机の上にはみかどと母君、世話になった爺やへの手紙をそれぞれ並べて置きました。

    出発のときは夜明け前。
    地平の端がほのかに東雲色に染まってきていました。
    御殿から堀の向こうへと抜ける、万一の時の脱出路をいつか爺やが教えてくれました。
    「万一とはこのためだったか」
    徳三郎は苦笑いをしながら、暗く細い脱出路を提灯を握りしめて進んでいきます。

    もう御殿には戻ることはないだろう。
    王子がお屋敷からいなくなれば家の一大事だ。
    みかどは激怒されるであろう。
    しかし王子が失踪したことが世に知れれば家の、いや国の恥だ。みかども母君もこのことは大ごとにはせず隠しきるだろう。事を荒立てて探し出すことなどすまい。私がいなくて滞る仕事などはないのだ。

    そんなことを考えながら、心細い暗闇の道をひたすらに歩くのでした。

    やっと出口にたどり着くと、すっかり夜は明けていました。
    そこはうっそうとした竹林のほら穴でした。生い茂る竹の葉の間から、昇ったばかりの太陽が眩しく輝いて見えます。
    普段と変わらないはずの朝の光が、徳三郎にはいつもよりも何倍も神々しく感じられました。

    あたり一面の竹やぶでした。
    どこへ歩けば町へたどり着くのか見当もつきません。
    耳を澄ますとかすかに「カーンカーン」という高く乾いた音が聞こえてきます。
    徳三郎はその音の鳴る方へと歩いて行きました。
    竹がすこしずつまばらになり、視界が開けてきたところに一人のおじいさんがいました。
    その人は鉈を握りしめ、林の中に乾いた音を響かせながら竹を切っていました。

    すみませんと声をかけると、鉈を下ろす手を止めて汗をぬぐいました。

    「あんた、この竹林の中から来たのか?」
    「はい、道に迷ってしまって、一晩中この竹やぶのなかにおりました」
    おじいさんは徳三郎の顔をじっと見ましたが、人懐っこい笑顔と育ちの良さそうな顔つきに、悪人ではないだろうと感じました。

    「それは大変じゃったな。まぁこれでも飲みなさい」
    そう言うと水の入った竹筒を手渡しました。
    緊張がつづいたこともあって徳三郎の喉はカラカラでした。ごくごくと音を立てて飲み干しました。徳三郎はその水のあまりのおいしさに感激しました。

    「いやあ、おいしい。これはただの水なのですか。私はこんなに甘くておいしい水を飲んだのは初めてです」
    「ほう、面白いことをいう青年じゃ。普段どんな水を飲んでいるか知らないが、いかにもこの水は私が見つけた湧き水から汲んだものじゃ」
    おじいさんはにこりと笑いました。

    「山の中にきれいな湧き水を見つけたので、竹をつないで家まで流しているんじゃ。だからいつでもこの水が飲めるんじゃよ」
    「この水がいつでも飲めるのですか。それはすごい、うらやましいです」
    「水が湧くまわりには、やわらかくて甘いよもぎがたくさん生えている。それで作る草もちが抜群に旨いんじゃが、良かったら食べてみるか?」
    「本当ですか?実はおなかがペコペコでして。ぜひとも頂きたいです」
    おじいさんは手にしていた鉈をさやに納めると、こちらにおいでと手招きをしました。

    竹林の中を細い道が通っており、おじいさんは慣れた足取りで歩いて行きます。徳三郎は竹につかまりながら、おじいさんのあとを追いました。
    しばらくして着いたのは里山のふもとにある茅ぶきの家でした。
    おじいさんが言ったとおり、裏の林から長くつながれた竹で作られた水道が、庭先の池に流れこんでいました。

    「おーいおばあさん、今帰ったぞ」
    おじいさんは玄関を開けて、中に向かって声をかけました。
    「おやおや、ずいぶんとお早いですね。何かあったのですか」
    家の中から女性の声が聞こえます。

    「竹林の中で会った客人を連れてきたんじゃ」
    そう言うと首で徳三郎を土間へと招き入れました。中には白髪のおばあさんの姿が見えます。
    「あら、こんにちは。ずいぶんとお若い方がお客様なのですね」
    「はじめまして。突然参りまして申し訳ございません。私、名を徳三郎と申します」
    「道に迷って、一晩中竹林のなかで過ごしたそうじゃ。腹が減っているそうじゃから草もちを食べさせてあげてくれんか」
    おじいさんは式台に腰を下ろし、ゆっくりと履いていた草鞋を脱いでいます。
    「はいはい、わかりましたよ」
    そう言うとおばあさんは台所から草もちを五つ持って来てくれました。

    しっとりとふくらんだもえぎ色の草もちでした。
    ひと口食べると、その美味しさたるや──おじいさんが言ったとおりでした。
    よもぎの香りが口いっぱいに広がり、鼻腔をくすぐって抜けていきます。
    一個、二個。あっという間に徳三郎は食べました。
    お茶をひとふくみして、三個、四個。
    夢中になって食べる徳三郎の姿に、老夫婦は目を丸くしています。

    「おやおや、よほどお腹がすいていたのねぇ」
    「違うんです。それもあるのですが、こんなに美味しい草もちは食べたことがなくて」
    残りひとつを大事そうに眺めたあと、ゆっくりと口に入れたのでした。
    「ごちそうさまでした。とてもおいしかった」
    おばあさんは竹の茶碗にお茶を入れて、ひざの前に置いてくれました。
    「そうかい、それはよかった。育ちの良さそうな顔をしてるから、こんなものいくらでも食べていそうなのにねえ。いったいどちらから来なすった?」

    なにげない問いかけに徳三郎はあせりました。
    まさか「私はみかどの王子で、さきほど御殿から家出をして来ました」と答えるわけにはいきません。

    「家業は長らくみかどのお屋敷の庭師をやっております。私は父と兄の手伝いをしておりましたが、商いの修行がしたくなって家を出てまいりました」
    「ほう、どこで修行をするのじゃ?」
    おじいさんが口をはさみました。
    「まだ決めておりません」
    「決めてない?あてがないのか?」
    「あてはございませんが、本日よりしっかりと探すつもりです」
    「住まいはどうするのじゃ」
    「まだ決めておりませんがそちらも何とかいたします。私はただ自分の力で生活していきたいのです」

    おじいさんはため息をつきました。
    「なんと行き当たりばったりな。無計画にもほどがある。今からでも考え直したほうがよい。立派な家業があるのなら、わざわざ苦労などせずともよいではないか。商いとは大変なものじゃぞ」

    おばあさんも心配顔で諭します。
    「そうですよ。世の中はそれほど甘くないのです。悪いことは言わないからおやめなさい。
    あなたは裕福な家庭に生まれたようだけれど、一から生活をしていくというのは大変なことなのです。
    うちは竹取りが家業で、山から切ってきては竹細工で生活しているけど、ときどき農家だってやるの。いくら竹で商品を作っても毎日売れるものではないし、荷物を担いで売りに行くのはとても骨の折れることなのよ。
    だからと言って農家だけやっていたら、飢饉の年は売るものも食べるものもなくなってしまう。色々やって何でも売って、やっと生きているのです」

    「それに加えて、毎年みかどに収める税がある。作物が育たなくても、毎年同じ量を納めなくてはならんし、どんなに家業が忙しくても夫役として駆り出されるのじゃ。裕福な家におればわからないことかもしれんがな」
    おじいさんはささくれだらけの手を見つめて言いました。

    みかどという言葉が出て一瞬はっとした徳三郎。
    しかし腹を決めてやってきたのです。もう御殿に戻れるはずもないのです。
    「私はたしかに裕福な家に生まれたのかもしれません。毎日人から与えられることばかりで、恥ずかしながら自分で自分のことを決めたことがありませんでした。今日初めて自分で決めて出てきたのです。今さら帰るわけにはまいりません。うまくいかないかもしれませんが、精一杯働きたいと思っています」

    おじいさんはしばらく考え込んでいましたが、やがて土間の隅に置いてある大きな竹かごを指さしました。
    「そのかごの中には唐茄子が入っておる。うちの畑でとれた唐茄子じゃ」
    唐茄子とはかぼちゃのこと。徳三郎がかごの中を覗くと大きな唐茄子が三つ入っていました。

    「お前さんが本当に自分の力で生活をしてみたいというなら、まずはこの唐茄子を町へ行って売って来ると良い。物売りの大変さが身にしみてわかるだろう」
    かごは二つあって、合わせると六つの唐茄子が入っています。
    「全部売ることができたら、うちに住まわせてやってもよいぞ」

    突然のおじいさんの申し出でした。
    曇っていた徳三郎の顔は、一瞬にして晴れやかな笑顔へと変わりました。
    「本当によろしいのですか?願ってもないことです。本当のところ、何を商いすればよいのかまったく当てがありませんでした。それではさっそく町に行って、唐茄子を売り切ってまいります」
    徳三郎はいても立ってもいられない様子でした。
    その姿を見たおばあさんは小さくため息をつきました。

    おじいさんは竹かごを二つ並べて、丈夫そうな物干しざおを選んでくくりつけ、即製の天秤棒を作ってくれました。
    徳三郎がさっそく担ごうと持ち上げましたが、左右のかごがぶらんぶらんと揺れて、思わずよろけてしまいました。

    「肩の真ん中に棒を乗せて、重さが均等になる場所を探すとよい」
    徳三郎は言われた通りにして、何とか担ぎ上げました。しかし歩き出すとますますかごが揺れてうまく進むことができません。

    「足の幅は小さめにして、かごの揺れに逆らわずに合わせて歩くのじゃ」
    最初はかごの中の唐茄子の重さに振り回されっぱなしでしたが、少しずつぎこちないながらも歩けるようになってきました。

    おぼつかない足取りで徳三郎は町へ出かけました。
    肩にずしりと棒が食い込んで何度も立ち止まりましたが、心はどこか晴れやかでした。
    御殿にいたころには流したこともないほどの汗が、頬を伝って地面へと落ちていきます。
    畑のあぜ道を抜けると、往来へと差し掛かりました。
    人通りも出てきたので、徳三郎は歩きながら売ることにしました。

    「唐茄子、唐茄子、唐茄子はいかが~」
    すれ違う人は誰も徳三郎に目をやることすらありません。
    それもそのはず、担いで歩くことに精一杯で大きな声を出すどころではないのです。

    「唐茄子、唐茄子、唐茄子はいかが~」
    まっすぐ歩くことだけに気をとられていた徳三郎は、誰も自分と目すら合わせないことに気づきました。
    そこでかごを下ろし、道端にござを広げ、唐茄子を並べて売ることにしました。

    「唐茄子、唐茄子~、唐茄子はいかが~」
    さっきより大きな声を上げると、やっと道行く人が気づいてくれました。しかし唐茄子をちらりと見ただけで通り過ぎました。
    「やはり大きな声を出せば人は見てくれるのだな」
    そう思った徳三郎は一段と大きな声で
    「唐茄子、唐茄子~、唐茄子はいらんかね~」
    と張り上げました。

    そうすること一時間。
    行き交う人は徳三郎をちらりと見るようになりましたが、唐茄子はひとつも売れません。
    徳三郎はおじいさんの言った「物売りの大変さ」が少しずつわかってきました。
    物を買ってもらうということは、想像していた何倍も難しいことでした。

    おばあさんが竹筒にいれてくれたお茶を飲み、ふうっと天に向かって息をついたそのときです。ひとりの男が徳三郎に声をかけました。

    「よぉ、兄ちゃん。さっきから見てりゃあ、ずいぶんと声だけは景気良く出してるじゃねぇか」
    薄茶色の格子柄の着物に水色の帯を巻いて、手には大きな風呂敷を持った、見るからに旅慣れた風体の男がそこに立っていました。

    「はい、ですがひとつも売れなくて困っているのです」
    旅の男はござの前にしゃがんで、唐茄子をぽんと叩いて言いました。
    「物を売るっていうのはな、声だけ出してりゃいいってもんじゃないんだよ。品物をな、押し付けることじゃないんだ」
    男は並んだ唐茄子を品定めするかのように次々と触っていきます。

    「その品物がどんなものかって伝えて、それじゃ買おうかって手を伸ばす。家に持ち帰ってな、いやぁ今日はいいものを買ったって思ってもらうんだ。そのときにな…」

    徳三郎は男をじっと見つめました。
    「そんときに、品物を売ったお前さんの顔がぱっと浮かぶ。ああ、あいつから買ってよかったなあって。それこそが物売りってもんよ。ほら少しどいてみな」
    そう言うと男は徳三郎の横に腰を下ろし、唐茄子をひとつ片手でひょいと持ち上げました。

    「さぁさぁ、一同お立ち会い。道行く皆さま見てごらんなさい。ここに持ちたる唐茄子、ただの唐茄子じゃございません。まばゆいお日様の光を目いっぱい浴びて育った唐茄子、とびきり上等の代物だ。煮ればほっくり、焼いてほくほく、餅に丸めりゃもっちりもちもちと来たもんだ」
    手のひらでぽんと唐茄子を叩きます。

    「おっかさん茹でた唐茄子、子どもは笑顔、酒飲みゃ亭主はなお笑顔。丸い姿は十五夜の月、割れば輝く黄金色と来たもんだ。ひとくち食べりゃ一家は円満、腹もふくれりゃあ心もふくれる、丸くて甘い唐茄子唐茄子、買って損なし、食って悔いなし」
    ぽーん。さらに勢いよく唐茄子を叩きます。

    気が付けば数人が旅の男の口上に足を止めています。
    「さぁさぁ残りは六つ、はやいもん勝ちだよ」

    「まぁ、ずいぶんとおいしそうな唐茄子じゃないか。お一つおくれ」
    ひとりの女が言いました。するとそれを見た後ろの女も
    「私は二つもらおうかな」
    その横にいた男は少しあわてた様子で
    「一家円満の唐茄子か、どれ私もひとつ買わせてくれ」

    面白いように買い手がついて、あっという間に四つが売れたのです。

    代金をもらって客の後ろ姿を見送ると、旅の男は空を見上げて言いました。
    「買ってくれた人のな、食べて喜ぶ顔があの雲の向こうに浮かぶじゃないか。なぁ青年」
    「ありがとうございます。奥義を見せていただいた思いです」
    「そうか?そいつは良かった。まぁ、励むこったな。それじゃ」
    そう言い残すと、旅の男は風のように去っていきました。

    徳三郎は雷に打たれたようでした。
    これこそが物売りの、商いの本質なのだと思わされたのです。
    残った二つは私の力で売ってみよう、そう決意しました。

    「さぁさぁ、道行く皆さま、唐茄子はいかがですか」
    声が少し上ずっているのはご愛嬌、両手を大きく広げて見栄を切ります。
    「甘い唐茄子、丸い唐茄子、丹精込めた日本一の唐茄子です。母上茹でたらほくほくと、父上食べればにっこりと。かたいお顔はやわらかく、四角い心はまん丸に。一家の食卓、笑顔が実る。家族円満、幸せの唐茄子はいかがでしょうか」

    いざ売り出すと、つたないながらもはつらつとした口上に、誠実そうな顔立ちも相まって、道ゆく何人かがぴたりと足を止めました。

    少しコツを会得したのか、はたまた天性の才覚を持ち合わせていたのか──
    「ひとつおくれ」「こちらももらおうか」
    と声が飛んで、ござの上の唐茄子は見事に売れてしまいました。

    ほっと安心したのもつかの間、町の人に声をかけられました。
    「なんだ、もう売り物はないのかい」
    「すみません、たった今商品が売れてしまって」
    「それがあるじゃないか」
    町の人は二つの竹かごと物干しざおを指さしました。

    「ずいぶんと丈夫そうで立派な品物ではないか、そのかごは売り物ではないのか」
    おじいさんとおばあさんにとっての本職は竹屋なので、立派なのは当たり前のことでした。

    徳三郎はおばあさんの言った「何でも売っていかないと生きていけない」という言葉を思い出しました。

    「はい、いかにも。このかごとさおは、竹取の翁と媼としてつとに有名な夫婦が丹精を込めて作った品物です。丈夫で長持ち。重いものを運んでも吊るしてもびくともいたしません。あなたの人生に寄り添う竹細工です」
    そう言うと徳三郎は、竹かごと物干しざおまで見事に売り切ってしまいました。

    帰り道は日が暮れかけていました。
    長い一日でしたが、初めて味わう充実感に徳三郎の足取りは軽やかでした。
    ただいま帰りましたと手ぶらで帰った徳三郎を見るなり、おじいさんは目をむきました。

    「こらおぬし。さては品物が売れずに途中でみんな放り投げて帰ってきたのだな」
    徳三郎は袖から、出がけにおばあさんから預かった巾着袋を取り出しました。

    「こちらに今日の売上が入っています。唐茄子は親切な方の助けもあってすべて売れました」
    おじいさんは袋の中の小銭を念入りに数えています。
    「唐茄子が売れてしまいましたので、残った竹かごとさおも売ってきました。そちらのほうが評判が良かったので、明日からは竹の商品を売ってもよろしいでしょうか」

    おじいさんと、その後ろから眺めていたおばあさんは思わず顔を見合わせました。
    初めて商いに出た人間が、品物を一つ残らず売り切って帰ってくるなど思ってもみないことでした。

    二人は約束通り、徳三郎に小さな部屋をあてがって、家に住まわせてあげることにしました。

    翌日、徳三郎は大きな竹かごを背負い、今度はその中いっぱいに物干しざおを入れて町へと向かいました。

    相変わらず足取りだけはおぼつきませんが、心は晴れやかでした。
    今日は誰に会えるのだろう、どんな話ができるのだろう、たくさん買ってもらえるだろうか、たくさん売れたらおじいさんとおばあさんは喜んでくれるのかな。
    そして昨日会った、旅の男の顔を思い浮かべるのでした。

    「たけや~さおだけ、さおだけ~ものほしざお」
    徳三郎は町までの道中、歌いながら歩きました。
    その声はよく通りました。幼いころから雅楽や謡を学ばされ、みかどの前で幾度となく詔を読み上げてきたのです。
    歌声も節回しもそれは見事なものでした。
    その声に引かれて、たちまち往来の家々から声がかかります。

    「おい兄さん、さおだけか。なかなか立派な代物だ」
    「なんとも丈夫そうな物干しだ、触ってもいいかい」
    「お前さん、そのかごの中には他の竹細工も入っているのかい、どれ見せておくれ」
    歌声を聞きつけて、軒先からも次々と人が顔をのぞかせます。

    徳三郎は買ってくれた人が今晩喜んでいる姿を思い浮かべながら、ひとつひとつ丁寧に品物の良さを説明しました。
    そしてなんと、町へたどり着く前にすべて売り切ってしまったのです。

    次の日も、その次の日も。
    町への途中にある家の物干しざおは、次々と新しくなっていったのでした。
    ようやく道中で品切れになることもなくなり、町までたどり着けるようになったころ。
    その噂は町中でもしばしば聞かれるようになっていました。

    徳三郎は昼過ぎに町に着くよう見計らって家を出ました。
    「たけや~さおだけ、さおだけ~ものほしざお」
    その歌声が聞こえ始めると、昼食を終えた人がちらほらと集まり始め、自然と人だかりができるようになったのです。

    竹ざおやかごは、丈夫で使い心地がよいと誰もが褒めてくれました。
    徳三郎はそのことが何よりも嬉しいことでした。
    どんなに売り方がよくても品物が良くなければ「あの人から買ってよかった」とは思われないものな、と感じていたからです。
    徳三郎はあらためて、おじいさんとおばあさんを誇らしく思うのでした。

    さて、そのおじいさんとおばあさんはといえば。
    突然忙しくなってしまって、慌ただしい日々を過ごしていました。
    ただ、徳三郎が品物を担いで町へ売りに行ってくれるようになったので、二人は商品作りに専念できるようになりました。
    そのため品質はさらによくなって、二人が作る商品とやり手の物売りの評判はますます広がっていきました。

    徳三郎は自分が高い身分だったことなどまったく鼻にかけることもなく、商売をひとり占めすることもありませんでした。

    「自分だって親切な人に教わったことだから」と、他の唐茄子売りに口上を教えてあげたり、隣で一緒に声を張ってやることもありました。
    そしてその人柄の良さまでも、町中に知れ渡ってゆくのでした。

    🌕

    そして半年が経ち、徳三郎はすっかり商いにも町人の生活にも慣れました。
    おじいさんもおばあさんも変わらず忙しい毎日を送っています。

    山から竹を切り出してくるのはおじいさんの役目ですが、年を取ったおじいさんだけにそんなことはさせられないと、徳三郎も時間を作って一緒に行き、切り出した竹を担いで帰るようになっていました。

    「わるいな、徳三郎。このところ本数も増えたので、お前が手伝ってくれて助かっとる」
    「いえ、おじいさん。私は今の生活がとても楽しいのです。それにお家に住まわせてもらっているのですから、お気になさらないで下さい」
    いつしか三人は本当の家族のようになっていました。

    そんなある日。
    長くて太い物干しざおがほしいというお客のために、いつもより大きな竹を求めて林の奥深くへと進んだ時のこと。
    うっそうと立ち並ぶ竹の中に、ひときわ目を引く一本がありました。

    その竹は際立って大きく、根元がほの白く光を放っていました。
    こんな竹を見るのは徳三郎はもちろん、おじいさんも初めてのことでした。

    「どうしましょう、竹が光るなんてなんだか気味が悪いです。このまま切らずにおきますか」
    おじいさんはしばらく光る竹をじっと見つめていました。
    「いや切ってみよう。この竹は切らねばならん気がするのじゃ」
    その言葉を聞いた徳三郎は鉈を持ち、慎重に根元に鉈を入れはじめました。

    こつ、こつ、こつ、こつと竹林に乾いた音が響きます。
    やがてその切れ目からも光が漏れだし、やがて神々しくかがやく竹の中に、何かの影が浮かび上がってきました。

    「おじいさん、中に何かいるようです」
    のぞき込んだおじいさんがはっと息をのみました。
    「なんと…赤ん坊じゃ」
    信じられないことに竹の中には、女の子の赤ちゃんが小さな着物をまとい、まばゆい光に包まれながらすやすやと眠っていたのでした。

    二人は狐につままれた思いでしたが、そのままにしておくこともできず、女の子をそっと抱いて家へと連れて帰りました。
    おばあさんも目を丸くしましたが、これはきっと神様のおぼしめしだと思いました。
    「私たちは子供には恵まれなかったが、徳三郎が来てくれて、この子まで授かるなんて。きっと頑張って働いてきたことを天が見ていてくれたのでしょう」
    そうして三人は、その女の子を家族として育てていくことにしました。

    女の子には竹屋の娘として、幾重にも幸せが編みこまれた竹かごのような人生が送れるように、かごや姫という名が付けられました。

    それから三人の暮らしは、がらりと変わりました。
    交代でだっこをし、夜泣きをあやして、おしめを替え、ごはんを食べさせました。
    商売に子育てが加わった毎日は大忙しでしたが、あまりにかわいいかごや姫の笑顔に疲れも吹き飛んで、子育てに夢中になっていました。

    ところが。
    どうも様子がおかしいのです。
    昨日までお乳を飲んでいたと思えば、今日はおかゆを食べ、這い這いをした翌日にはつかまり立ちをし、さらに次の日にはよちよちと歩くようになっていたのです。

    いったいこれはどういうことなのか──
    三人はかごや姫の日々の成長に目を丸くしました。
    そしてなんと一年もすると、誰もが振りかえるほどの美しい娘へと成長したのです。

    かごや姫は家事だけではなく、竹取りや竹細工もすすんで手伝いました。
    それはまるで真綿が水を吸うようでした。
    おじいさんが竹取りのやり方を教えればすぐにコツをつかみ、おばあさんが竹の編み方を教えればあっという間にできるようになったのです。

    飲み込みが早いうえに、好奇心も旺盛でした。
    かごや姫は徳三郎と一緒に町へ商いに行きたいと言い出しました。
    「ひとまずは付いてくるだけだよ。それで良いのならおいで」と言って、連れていくことにしました。

    初めて町へと出たかごや姫に、道行く人は皆振り返りました。
    身なりは町人の娘なのですが、どこか気品を持ち合わせたその美しさに誰もが目を奪われたのです。

    徳三郎はかごや姫には、自分の見てくれだけに頼らない商売の仕方を教えていきたいと考えていました。
    うわべだけでは人の心をつかめないことを、日々の商いを通じて何度も学んできたからです。

    徳三郎はまず、自分が町へ出た初日に旅の男から教わった話をしました。
    「今日はいいものを買った、そしてあの人から買ってよかったなと、空を見上げればその人の顔がぱっと浮かぶような、そんな仕事を私はやりたいんだ」

    ほら、と徳三郎は青空に淡く浮かぶ丸い昼月を指さしました。
    「月に面影を浮かべてもらえるような商いをしたいんだ──」

    それからの間、かごや姫は徳三郎の物売りの様子をじっと眺めていました。
    しばらくたったある時、ようやく徳三郎はかごや姫に声をかけました。
    「さあ、私のあとにつづいてごらん。たけや~さおだけ~さおだけ~ものほしざお」

    かごや姫は顔を赤らめたまま。
    人前で歌うことが恥ずかしかったのです。
    「大丈夫、私の声と合わせてごらん。たけや~さおだけ」
    「たけや~さおだけ」
    蚊の鳴くような声でした。
    「もっと大きく。商いはまず、人に振り向いてもらうところから始まるんだ」
    「たけや~さおだけ」
    「もう一度」
    「たけや~さおだけ」
    翌日もその翌日も、二人は声を合わせました。
    ぎこちなかったかごや姫も、幾度となく繰り返すうちに少しずつ声に張りが出てきました。
    「いいぞ、その調子だ」
    徳三郎が笑うと、かごや姫も嬉しそうに笑いました。

    いくら成長がはやく物事の飲みこみが良いといっても、鍛錬が必要なことはいくらでもあるのだと徳三郎は教えたかったのです。

    「たけや~さおだけ~さおだけ~ものほしざお」
    やがて二人の声は、心地よく町に響くようになっていました。

    かごや姫は真剣に徳三郎の商いを学びました。
    いつしか徳三郎は、かごや姫にとって太陽のような存在になっていました。その大きさと温かさに少しずつ心を引かれていったのです。

    その思いは徳三郎にとっても同じでした。
    かごや姫は純粋で無垢な月のようでした。
    真綿の心が吸いこむ水がいつも清らかであるように、ときに泥くさい商いの中でも笑顔は曇らぬよう、自分が守ってあげたいと思い始めていたのです。

    かごや姫は商いも少しずつ自分のものにしていきました。
    「お日様育ちの竹ざおで、干せば命の泉湧く。乾いた心は潤して、湿った布団は乾かして。晴れの日はもちろん、雨の日も風の日も、家族の暮らしを支える一本を、どうぞ末永くおそばに置いてくださいな」
    「ねえさん、この竿の評判は良いと聞くが、よそといったい何が違うんだい?」
    通行人が声をかけます。

    「この竹はお日様の陽を浴びて、じっくり育った竹なのです。だからとっても丈夫で長持ちします。この竹で布団を干すと、本当によく眠れるのですよ」
    「ほう。竹のさおで干せばそんなに寝心地が良くなるのかい?」
    「はい、干した布団だけではなくて、竹の中でぐっすり眠っていた私がいうのだから間違いありません」
    かごや姫は日に日に要領を得て、いつしか徳三郎の良い相棒となっていきました。

    🌕

    さて、それから二年近くが経ちました。
    評判の良い物干し売りの噂は、みかどの住む御殿にまで届いていました。
    その御殿とはほかでもありません、徳三郎がかつて第三王子として暮らしていたお屋敷です。

    「なにやら評判の商人がいるそうじゃな。聞けば物干しざおを商っているそうだが、たいした売れゆきとのこと。どんな商いをしているのかぜひその者たちに会ってみたい」
    みかどは好奇心が旺盛で、世の中のことにいつも耳をそばだてていたのです。

    そしてある日。一通の書状が家に届いたのです。
    差出人は御殿でした。おじいさんとおばあさんはたいそう驚きました。
    手を震わせながら書状を開くとそこには、その家に住む若い二人の商いが巷で評判のゆえ、ぜひ会ってみたい。御殿へ参上するようにと書かれていました。

    読み終えたおじいさんとおばあさんは「夢ではなかろうか」と喜びました。
    かごや姫は二人の喜ぶ姿を見て嬉しい気持ちになったのですが、徳三郎の顔を見るとどうにも浮かない表情をしていました。

    それもそのはず、参上するように言われた場所はかつて自分が家出をしてきたお屋敷であって、呼びだしたのはほかでもない自分の父親なのです。

    仮に自分が御殿に参上したとして、私の顔を見た父であるみかどは何というだろう。
    父は最近評判の商人が、まさか息子であるとは夢にも思わないだろう。
    頑固な父のことだ、もしかしたら私を見るなり烈火のごとく怒り出すかもしれない。
    そうなれば私は、すぐさま御殿に戻されてしまうだろう。
    おじいさん、おばあさんはどうなるのだ。もちろんかごや姫も。
    ようやく手に入れた暮らしを、私は失ってしまうのだ──

    その夜、おばあさんはお赤飯を炊いてくれました。
    「わしらには子供が授からなかった。だけど一所懸命に生きてきて、息子と娘が我が家にやって来てくれた。商売も繁盛してみかどにまで呼ばれた。人生の後半にこんな幸せが待っていたとは思いもしなかった」

    めずらしくおじいさんはお酒を飲み、そして涙を流していました。
    おばあさんはやさしくおじいさんの背中をさすってあげました。
    かごや姫はそんな仲睦まじい二人の姿を静かに眺めていました。

    ただ一人、徳三郎だけは喜ぶことができませんでした。
    いっそ家族にすべてを打ち明けるか、否か。
    しかし、それで何になる。
    それをしてしまえば、きっと今と同じ関係でいられなくなってしまうだろう。
    おじいさんとおばあさんは私に頭を下げて仰ぎ見るであろう。
    そうなればここで一緒に暮らしていくことなど出来はしない。
    今日のような温かな団らんなど無くなってしまうのだ。

    徳三郎の迷いとは裏腹に、時だけは無情に過ぎていきました。
    そしてみかどのもとに参上する日を迎えたのです。

    おじいさんと初めて出会った朝と同じように、空は輝いていました。
    徳三郎は庭先で、竹の葉のすきまからこぼれる朝日をじっと眺めていました。
    そしてひとつの覚悟を決めたのです。

    竹はどこまでもまっすぐ伸びます。
    節があるから強く育ち、そして折れるときも節から折れるのだとおじいさんから教わりました。
    今回の謁見を、生きた節にできるか、はたまた節から折れるのか──

    徳三郎は正面から父に向き合うことにしました。
    竹のように真っすぐ思いを伝えて、私の商いに対する思いを知っていただこう。
    そうすればみかどは、いや父はきっとわかってくれる。
    そう考えるに至ったのです。

    家へ戻ると、かごや姫は着物に袖を通していました。
    おばあさんがたんすの奥に大切にしまっておいた着物です。
    「やはりそんなたいそうな場所に行くのは気が引けますね」
    今になって心配するかごや姫に、徳三郎は笑って言いました。
    「私に任せておけば大丈夫。安心していなさい。さあ、いつものように明るく笑顔で参ろう。今日は晴れの日だ」
    おばあさんがかごや姫の着物を整え終わりました。
    「おじいさん、おばあさん。お二人から始まった竹取の物語を、私とかごや姫がしっかりとみかどに伝えてまいります。それでは行ってまいります」

    そう言うと徳三郎とかごや姫は、やって来た使いとともに御殿へと向かいました。
    使いの者は徳三郎を一瞥すると「はて」と言って首をかしげましたが、まさかそれがかつての王子であったとは想像だにできませんでした。

    徳三郎にとっては懐かしい道を歩くと、やがて御殿の門が見えてきました。
    二度とくぐることはないだろうと思っていた門をこんな形でくぐるとは。
    徳三郎は苦笑しました。

    勝手知ったるお屋敷のなかを、徳三郎はなるべく顔をみられないよう、うつむいたまま進みました。何なら目をつぶったって歩けるくらいです。
    二人はみかどとの謁見の広間に通されました。
    徳三郎とかごや姫はみかどの到着を、頭を下げて待ちます。

    待つこと数十分。ようやくみかどがお着きになりました。
    「さぁ頭をお上げなさい」
    徳三郎にとって懐かしい声が広間に響きます。
    先にかごや姫が頭を上げました。噂にたがわぬ美しい娘だと、みかどは感じました。徳三郎はまだ頭を下げたままです。

    「そちらの者のおもてを上げなさい。緊張することはないぞ」
    徳三郎は深く息を吐くと、ゆっくり頭を上げました。
    するととたんに、にこやかだったみかどの顔がかたまり、あっと声を上げました。
    そこには数年前にこの屋敷から飛び出した、まぎれもない息子の姿があったのです。

    「お前は徳三郎ではないか。なぜ、なぜここにおるのじゃ」
    みかどが気色ばんで問い詰めます。ここまできたら腹をくくるしかありません。徳三郎は覚悟を決めました。

    「父上、大変ご無沙汰をいたしております。何も告げずにこちらを出て行ってしまい本当に申し訳ございません」
    みかどの脇に控える家臣たちは、見覚えのある顔ばかりですが一様に仰天した様子。
    爺やの姿も見えますが、両手で顔を覆って泣いているようです。

    「このお屋敷を出て行ったあと、親切な竹屋さんに出会い働かせてもらっておりました」
    「竹屋で働いていただと。それでは評判のさおだけ売りとそなたのことだというのか」
    「はい、私とここにおりますかごや姫のことでございます」
    徳三郎はかごや姫をみかどに紹介し、これまでのいきさつを話し始めました。
    みかどは黙ったまま聞いていました。しかし厳しい面持ちのままでした。
    かごや姫は事態を飲み込めずにいましたが、頭を下げたまましばし聞いているよりありません。

    徳三郎はひととおり話し終えました。
    みかどは何も言わず、じっと徳三郎を見つめていました。

    「そなたのことは大体わかった」
    口ぶりと表情はいくぶん穏やかになったかのように思えました。
    「しかしそなたは、我が家に、大きな恥を塗りつけたのじゃ」
    「わかっております。お詫びの言葉もございません」
    「おぬしには、相応の責任は取ってもらわねばなるまい」
    「お待ちください、父上。私はこの家に新たな風を吹き込みたくて、この挙に出ました。わが血筋における…」
    「考えは悪くない。必要なことでもあろう。ただ、やり方を問うておるのだ。追って沙汰を出す」
    さすがのみかどの迫力に徳三郎は言葉が出ません。
    「ただし」
    みかどの声色が変わりました。
    「今日はそなたに罰を与えるために呼んだわけでもない」
    「──はい」
    「民の役に立っておるのか」
    「こちらにいたころとは比べようもないほど、多くの町人と会うことができています。そしてとても便利だと言ってもらっています。喜んでもらえているのだと感じております」
    「そうである…か。私はもちろん、お前の兄や御殿に居る者の一番の務めは、民のことを考えることにある。なぜなら民こそが国の基であるからだ。おぬしが民の役に立てているのならそれは本分だ」

    父は徳三郎が何年もかけてたどり着いた答えを、わずかな言葉で言い表したのでした。
    「ここまで名声が聞こえてきたことは、お前の努力なのであろう。褒めてつかわす」
    かつて父から言われた言葉の中でも最も嬉しいひと言でした。
    しばし徳三郎はその言葉に浸りました。

    「さて」
    みかどはかごや姫のほうに視線を向けました。
    「かごや姫と申したな。そなたは器量が良いと大変な評判であったが、噂にたがわぬものであるな」
    「もったいないお言葉でございます」
    かごや姫は深く頭を下げました。
    「町人からの受けや、商売への姿勢も大変良いと聞く。ついては」
    みかどはひと呼吸おいて言いました。
    「私の第二王子の妃として迎えたいと思っておるが、どうじゃ」

    まさに晴天の霹靂。かごや姫は目を丸くしたまま黙っています。
    「私はかねがね、次男は町人の娘と結婚させようと思っていた。徳三郎が言ったとおりだ。閉じた家は滅びる。高い身分の者たちだけで継がれた血統ばかりが正解ではない。むしろひ弱になっていく。それが私の考え方だ。そなたを見て私は確信したのだ。そなたこそ我が家系には必要なのじゃ」

    王子として御殿に暮らした徳三郎にとって、この話はかごや姫にとって決して悪い話ではないことはわかっています。
    そして父の話すことは道理に叶いすぎていて返す言葉すらないのです。
    王子の妃となれば何不自由のない生活が待っているのです。

    ですが──

    「どうだ、かごや姫。受けてくれるか」
    かごや姫は黙ったままです。
    「急な話であるから無理もあるまい。それとも、何か不都合でもあるのか」
    かごや姫も徳三郎も、それぞれ隣に座るお互いのことを思っていました。
    それはお互いが商売の相棒ということだけではないことに気づいた瞬間でもありました。

    「父上、お待ちください。私からお話しいたしたいことがございます」
    「なんだ徳三郎」
    「じつは私とかごや姫は結婚の約束をしております」
    徳三郎が横目でかごや姫の方を見ました。
    「な、なんだと」
    「申し訳ございません。本来、私から申し上げることでございました」
    「かごや姫、そうなのか」
    みかどがたずねます。徳三郎は固唾を飲みました。

    「はい、本当のことでございます。私は徳三郎様をお慕い申し上げております」
    徳三郎は止めていた息をふうっと吐き出しました。
    「父上、申し訳ございません。そういうことでございますので、何卒お許しください」
    そしてかごや姫がきっぱりと言いました。
    「この度のお申し出、大変ありがたいのですが、お断り申し上げます」
    「かごや姫、私は一同の面前でおぬしに息子と結婚するようにお願いしたのだ。これは私の命でもあるのだぞ」
    家臣を前に面目を潰されたみかどは、語気を強めて言いました。広間は水を打ったように静まり返りました。
    「はい、みかどさま。ですのでもう一人のご子息と結婚させていただきとうございます」
    息子の嫁に迎えることをきっぱりと断られながらも、どういうわけかみかどの望みは叶えられようとしているのでした。

    「もうよい。私の面目が立ったか立たぬのかはのちほど考えるとしよう。少々疲れた。本日はこのあたりとする。徳三郎、母上が心配しているので文を書いてやれ、良いな。ひとまずは、大儀であった」
    そう言い残すと、みかどは奥の座敷へと下がってしまいました。
    のちほど出すと言ったお沙汰が気になりましたが、みかどとの謁見は無事に済んだのでした。

    みかどのお屋敷からの帰り道。気づけばあたりは夕焼けに染まっていました。
    二人はしばらく黙って歩きました。
    お互いに相手が何も話さない理由を、はかりかねているようでした。
    松虫が鳴き始めた道に、二人の影が長く伸びています。
    田んぼのあぜ道に入るころ、その影は静かに夕闇へと溶けていきました。
    徳三郎が歩みを止めました。

    「かごや姫、黙っていてすまなかった。今まで誰にも言わずにいたのだが、私はみかどの息子だったのだ。どうしても町で自分の力を試してみたくなって、御殿を飛び出したんだ。おじいさんとおばあさんに気を遣わせたくない。このことは黙っていてくれるか」
    かごや姫は小さくうなずきました。
    「お前に対する私の思いは、先ほどの通りだ。あの言葉に一片の偽りもない。私と夫婦になってくれるか」
    見るとかごや姫の瞳から大粒の涙がとめどなく流れ落ちていました。

    「どうした、かごや姫。私が大切なことを隠していたことが気にかかるのか。無理もないことだ」
    「違うのです、徳三郎さん。私もあなたに隠していたことがあったのです」
    「──」
    「私、じつは、信じてもらえるかわからないのですが…」
    「心配いらない。お前の言うことはすべて信じるよ」
    「私は…この星の人間ではないのです」
    「今、何といった」
    「私は月からやって来たのです」
    折しもかごや姫のうしろには三日月が浮かんでいます。濃紺の空に尖った輪郭がくっきりと縁取られてきました。

    「私の父は、月の王なのです。私もあなたと同じように、月の姫でいることがいやになってしまい、違う世界を見たくなって、三年間だけという約束で赤ん坊の姿となって地球に降りて来たのです」
    「──」
    「今度の十五夜で三年になるのです。そうしたら私は月へ帰らなくてはなりません」
    「お前が嘘を言うとは思ってはいないが、私には信じられない」
    「私も言えずにおりました」
    「そんな…十五夜といえばもうすぐじゃないか。それにいったいどうやって月まで帰るというのだ」
    「月から天女が車で迎えに来るのです」
    「月からの迎えだって?そんなことがあり得るものか」
    「本当なのです。私には止めることはできません」
    「嘘なのだろう、嘘だと言ってくれ、かごや姫。そうだ、父上に頼んで兵隊を出してもらおう。迎えの車に一斉に矢を放てば、地上に降り立つことなどできないはずだ…」

    お前の言うことはすべて信じる、みかどの威光は借りたくないという自分の言葉もすっかり忘れ、徳三郎は取り乱していました。
    にわかに強い風が吹き、稲穂が音を立てて揺れました。徳三郎は少し落ち着きを取り戻しました。

    「かごや姫、きみはどうしたいんだい?さきほど父上の前で、私のことを慕っていると言ってくれた。私もきみとずっと一緒にいたい。いつまでも暮らしていきたいんだ」
    「私も、ずっと徳三郎さんと一緒にいたい。だけど、どうしても帰らなければならないのです」
    「そんな」
    「私も徳三郎さんと夫婦になりたい…」
    かごや姫は意を決したように言いました。
    「徳三郎さん、私と一緒に月に来ては下さいませんか?」
    「私が、月に…」
    「王である父には、私しか子供がいません。私がこの星に残ろうとすれば、月の王家は途絶えてしまうのです。徳三郎さん、一緒に月へ行って、そこで夫婦になってくれませんか」
    二人は夜空の三日月を見上げました。

    「あなたはこの星では王にはなれないけれど、私とあの星に行けば、やがて王になれるのです。どうか一緒に来てはくれませんか?」
    徳三郎はかごや姫の両肩をそっと抱きました。二人はしばらく何も言わずそうしていました。
    「かごや姫、それはできないよ。おじいさんとおばあさんのもとを、揃って離れてしまえばどんなに悲しむことか。ぼくたちを本当の子供のように思ってくれた二人を置いていくわけにはいかないよ。それにね」
    かごや姫の目を見てにっこり笑いかけました。

    「ぼくは星の王子さまじゃなくて、物干しの王子のほうがお似合いなんだ──」

    やがて二人は家に着きました。
    帰りが遅いことを心配していたおじいさんとおばあさんは、二人の顔を見てとても安心しました。見るとちゃぶ台の上には、二人が大好きな草もちが山のように積んでありました。
    「さあさあ、お上がり。お腹がすいたことでしょう、たんとお食べなさい」
    四人は卓を囲みました。おばあさんはお茶を入れてくれました。
    お疲れさまでしたね、と言われてもかごや姫はうつむいたまま。

    「どうしたんだい、何かあったのか」
    心配するおじいさんに、徳三郎は謁見でみかどに褒められたこと、万事はうまくいったと報告しました。そして。
    安堵する老夫婦に、徳三郎の口から、かごや姫の重大な事実を話し始めました。

    それからのおじいさんとおばあさんの悲しみは、筆舌に尽くしがたいものでした。
    三年前からわが子同然に大切に大切に育ててきた娘が、数日もすれば天上の月へと行ってしまうというのです。
    おばあさんはおいおいと泣いて、おじいさんは何とかならないものかと徳三郎に食い下がりました。
    しかし、誰にもどうすることもできないのです。

    やがて。
    四人は縁側に並んで座りました。
    虫の声と、竹筒から庭の池へと流れる水の音だけがあたり一面を包み込んでいます。
    おじいさんがぼそりと言いました。
    「あんなに好きだった月が、今は憎い」
    おばあさんは三日月を撫でるように指を動かしています。
    「こうやって見れば届きそうなのにねぇ…もう会えないだなんて」

    かごや姫は並んで座る二つの小さな背中の後ろへとまわり、肩に手を置きました。
    「おじいさん、おばあさん、どうか夜になったら月を眺めて下さい。私も月から眺めます。おじいさんとおばあさん、徳三郎さんのことを毎日思います。そして、いつも笑顔でおります」
    徳三郎は庭へと出て、池に浮かぶ水月をじっと見つめています。

    「あの月のどこかで、この星に住むみなさんのことを思って暮らします。だからどうか月を憎まないで下さい。月を見上げて微笑み返してください」
    「だけど…」
    おじいさんはしぼり出すかのような声で答えました。
    「だけど、遠すぎてお前の姿など見えないじゃないか…」

    「私、月にいた頃は毎日、空に浮かぶ青いこの星を眺めていました。とても美しい姿に心ひかれていました。私、月に帰ってこの星を見たら、きっと前よりももっとずっと美しく見えると思うのです。それは、そこには大好きな家族が住んでいるから」
    かごや姫は今まで物売りで口にしたどんな口上よりも思いを込めて言いました。
    「目には見えないけれど、きっと毎日、心でその姿を見られると思います」

    それから誰もしゃべりませんでした。
    特に言葉を必要だと思わなかったからです。
    そして、静かに夜は更けていきました。

    🌕

    あっという間に数日が過ぎ、十五夜を迎えました。
    いよいよ別れの日がやってきたのです。

    徳三郎は山で一番太い竹を切って、湧き水のほとりからよもぎを竹かごいっぱいに摘んできました。
    おじいさんはその竹で、大きな杵とかんざしを作りました。
    おばあさんは草もちを何個も作って、風呂敷に包みました。

    かごや姫はおばあさんのお下がりのあの着物を身に着けて、縁側にたたずみ静かに迎えの者を待っています。

    雲ひとつない、おだやかな夜でした。
    まんまるの月から、車がゆっくりと近づいてきます。衣をたなびかせた何人もの天女の姿が見えます。
    夢と見まがうような景色でした。

    かごや姫が三人の前に立ちました。
    「皆さん、今日までありがとうございました。短い間でしたが、家族として過ごせて幸せでした」
    「月までの道中にお食べ。月に帰ってからの分も入れておいたからね」
    おばあさんは草もちがどっさりと入った包みを手渡しました。
    おじいさんはよもぎがたくさん詰まった袋と、竹製の杵を手渡しました。

    「徳三郎が摘んで来てくれたよもぎじゃ。月ではうさぎがのべつ餅つきをしているそうだから、たまによもぎを入れて草もちにしてもらうと良い。太い竹の杵も作った。これでつく草もちは格別なんじゃ。草もちを食べたら今日のことを思い出しておくれ」
    泣くまいと決めていたおじいさんの目から涙があふれました。

    そして徳三郎とかごや姫が手を握りあいます。
    「先日お前に伝えた思いは、今でも変わらない。遠く離れてしまうけれど、毎晩月を眺める。月の見えない夜には心に思い浮かべることにする。私も笑うから、お前も笑っていておくれ」
    かごや姫はうなずき、二人は抱き合いました。
    最後の抱擁が終わると、着物の袖でそっと涙をぬぐいました。

    かごや姫は三人に深々と頭を下げました。
    「本当にさようなら。ありがとう」
    そう言うと、振り返ることなく車の中へと乗り込んで行きました。

    やがて月の車はゆっくりと動きはじめ、十五夜の空へと向かって上っていきました。
    今宵は丸い月がよりいっそう大きく感じられます。
    天女の衣をたなびかせた車は、月に吸い込まれて行くかのように静かに姿を消して行きました。
    満天の夜空を流れる流星群はまるで、かごや姫の流す涙のように見えました。

    🌕

    それから、一か月。
    おじいさんとおばあさんは、ようやくかごや姫のいない日常にも慣れ、普段の生活を取り戻しました。

    徳三郎はといえば、ぽっかりと開いた心の穴を埋めるかのように、以前にもまして商いに精を出しています。
    おじいさんとおばあさんは、徳三郎までいなくなることをとても心配していましたが
    「私はいつまでもおじいさんとおばあさんと暮らしていこうと思っています。これからもここに置いてください」
    とあらためて二人に話しました。商人として生きていくことを決心したのです。

    折しも先日、みかどから届いた書状にもそう書かれていました。
    商人修行に精を出して民の役に立て。そして日本一の商人となったら御殿へと戻り、兄上を支えまつりごとにも精を出せ、と──

    その夜はふたたびの満月でした。
    陽が落ちると三人は縁側に並んで座りました。
    ぽっかりと浮かんだ月は、いつもよりもやわらかな光をまとって見えます。

    「まるでかごや姫が笑っているようだねえ」
    おばあさんは草もちを用意してくれました。
    「はい。きっと今、地球を見ながら笑っているのですよ」
    「月のうさぎは今日も餅つきをしているようじゃな」
    おじいさんは熱いお茶をすすります。
    「あの臼の中には、あの時のよもぎは入っているだろうか」
    「きっと今ごろ、かごや姫も一緒につきたての草もちを食べていますよ」
    「どうしてわかるのじゃ」
    徳三郎は池に浮かぶ水月に草もちを重ねながら言いました。

    「大切なことは目には見えませんから」

    ふいに、叢雲が月をかくしました。
    しばらくすると雲が流れ、月がふたたび姿をあらわしました。

    うさぎの持つ杵が、少しだけ太くなったように見えました。



     
     
    創作と遊び心がライフワーク。 短編小説や「恋の路線シリーズ」など、右脳のおもむくままに表現しています。 本職は飲食店をいくつか経営🤫 どうぞ宜しくお付き合い下さい。

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