
王としての覚悟、父としての叫び。 【タロットから紡ぐ聖書の物語】
前回はタロットカード「女帝」から思い浮かんだ聖書の物語と重ね合わせながら、書いてみました。
今回はタロットカード4番「皇帝」について考えてみたいと思います。
タロットで皇帝というと、
リーダーシップ
決断
規律
責任
ただ強いだけではなく、家族や仲間、国など、自分が守るべきものを守るために強くある人。
夢を見る人ではなく、
夢を現実へと変えていく人。
そんな意味を持つカードです。
けれど、私はこの皇帝を見るたびに、少し違うことを感じます。
皇帝なのに──
いや、皇帝だからこそでしょうか。
喜びや楽しさを、どこかに置いてきた人。
そんな表情に見えるのです。
王冠を戴き、赤い衣をまとっていますが、
その下には鎧を身につけています。
その鎧は、本物の鎧なのでしょうか。
それとも、責任という重圧から生まれた
「心の鎧」なのでしょうか。
いつ何が起きても守れるように。
いつ何が起きても決断できるように。
決して鎧を脱ぐことのできない人。
皇帝の表情は決して明るくはありません。
けれど、前を見据えるその目には、
揺るがない強さがあります。
私にはその姿が、
多くの喜びと、多くの悲しみを知り、
たくさんの傷を背負いながらも
立ち続けてきた人に見えるのです。
そんな皇帝を見ていると、私の頭に浮かぶのは、旧約聖書に登場するダビデ王です。
ダビデは、羊飼いから王となり、イスラエルを治めた人物です。
イスラエル軍の誰も倒すことのできなかった巨人ゴリアテを打ち倒し、神に愛され、多くの民に慕われました。
しかし、その人生は栄光だけではありませんでした。
晩年、ダビデは王として、苦しい決断を迫られる出来事に直面します。
その一つが、息子アブサロムの反乱です。
アブサロムは父ダビデに失望し、やがて民の心をつかんで反乱を起こします。
ダビデは、王として国を守るため、息子と戦うという、あまりにも過酷な決断を迫られます。
王として見れば、国を守るために戦うしかありません。
けれど、父としてのダビデは違いました。
彼は、息子アブサロムを深く愛していたのです。
戦いに向かう兵たちへ、ダビデはこう命じます。
「どうかわたしのために、若者アブサロムを手荒に扱わないでほしい。」
ダビデは息子の安否を気にかけながら戦いました。
しかし、アブサロムはダビデの兵によって命を落としてしまいます。
勝利を手にした王ダビデでしたが、その口から出たのは勝利の言葉ではありませんでした。
「わが子アブサロムよ。わが子よ、わが子アブサロムよ。
おまえに代わって、私が死ねばよかったのに。」
(サムエル記下18章33節〈新共同訳〉)
それは、王の叫びではなく、一人の父親の悲痛な叫びでした。
しかし、あまりの悲しみに沈むダビデに、
将軍ヨアブは「王として民の前に出るように」と諫めます。
ダビデは悲しみを胸にしまい、再び王として立ち上がります。
私には、厳しい表情のまま前を見据える皇帝の姿が、この時のダビデと重なって見えるのです。
国を守る立場にある人は、自分の悲しみよりも、守るべきものを優先しなければならないのでしょうか。
悲しみも苦しみも鎧の下にしまい込み、それでも前を向いて重責を背負い続ける。
そんな孤独な覚悟の姿を、私はこの「皇帝」のカードに見てしまうのです。
※参考:旧約聖書『サムエル記下』15〜19章
最後まで
読んでくださりありがとうございました🌱