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父という人🌸私の歩いた道(体験談)

    私にとって父という人は、
    簡単な言葉では表せない存在です。

    子どもの頃、私はよく思っていました。

    「おじいちゃんとおばあちゃんの子どもなのに、どうしてこんなにも違うんだろう」

    おじいちゃんとおばあちゃんは、
    私の言葉を信じてくれました。

    おばあちゃんは、私が「やっていない」と言った時、

    「咲夜がやってないと言っているんだから、やってない」

    そう言って私を守ってくれました。

    おじいちゃんは、怖い思いをした時にも
    安心できる場所を作ってくれました。

    私にとって二人は、
    ありのままの私を受け止めてくれる存在でした。

    だからこそ、父の姿が不思議で仕方ありませんでした。

    父は真面目な人でした。

    仕事には責任を持って向き合う人でした。

    平日は仕事に行き、
    家族を支えようとしていたのだと思います。

    でも、私の記憶の中では、
    家庭の中で心を寄せてもらったという実感はあまりありません。

    平日は仕事。

    休日は友人との時間。

    父には父の世界があり、
    私はその中に入れてもらえていないような寂しさを感じていました。

    子どもの私が欲しかったのは、
    物や正しさではありませんでした。

    ただ、

    「私のことを見てほしい」

    「私の気持ちを分かろうとしてほしい」

    「安心したい」

    そんな気持ちでした。

    父は、自分の中にある正しさやルールを大切にする人でした。

    「こうあるべき」という思いが強く、
    自分が正しいと思ったことは曲げない人でした。

    でも、その正しさは、
    私にとって優しさとして感じられるものではありませんでした。

    子どもの頃、
    理由が分からないまま怒られることがありました。

    突然手をあげられることもありました。

    そして、家の中でも安心できないと感じることがありました。

    父が、お風呂やトイレに外側から閉められる鍵をつけたことがありました。

    父にとっては、何か理由があったのかもしれません。

    でも子どもの私には、
    「もし閉められたらどうしよう」
    「出られなくなったらどうしよう」

    という怖さが残りました。

    実際に、お風呂から出られなくなってしまったこともありました。
    しばらくして、お風呂場から離れにいるおじいちゃんの影が見えたので、精一杯の声で泣きながら、
    「おじいちゃ〜ん!」と叫ぶとその声に
    気づいて、お風呂場から助け出してくれました。
    小さな私にとって、
    その時間はとても怖いものでした。

    家は本来、安心できる場所のはずでした。

    でも父との関係の中で、
    私は家の中でも安心できない感覚を抱えることがありました。

    怖かった。

    悲しかった。

    ただ、安心したかった。

    子どもの私は、
    父に認めてもらうことよりも、
    父の怒りから自分を守ることを考えていたように思います。

    高校生になり、身体の不調で行った大学病院で、私は鬱病と診断されました。

    精神科に通っていても、
    父には「怠けているだけ」に見えていたのかもしれません。

    病気として認めてもらえないことは、
    苦しんでいる私にとって、とても孤独でした。

    私が欲しかったのは、
    正しい言葉ではありませんでした。

    「つらかったね」

    「大丈夫だよ」

    「味方だよ」

    そんな言葉でした。

    そして父は、お酒が入ると別の一面を見せました。

    人前で私の体型を笑いのように話したり、
    私が恥ずかしいと思うことを言ったりしました。

    父にとっては冗談だったのかもしれません。

    でも、言われた私は傷つきました。

    家族から笑いの対象にされることは、
    子どもの心に残るものです。

    父は正義感の強い人でした。

    でも私は、父を通して学びました。

    正しさは、持ち方を間違えると、
    誰かを傷つけることがあるということ。

    正しいことを言うだけでは、
    人の心は救えないということ。

    人には、その人にしか分からない痛みがあるということ。

    大人になった今、私はふと思うことがあります。

    もしかしたら父も、
    私と同じような生きづらさを抱えていたのかもしれない、と。

    父は子どもの頃、
    忘れ物が多かったと聞きました。

    それを聞いた時、

    「私と同じような特性があったのかもしれない」

    と思いました。

    もちろん、本当のことは分かりません。

    でも父自身も、
    周りから理解されにくい部分を抱えて生きていたのかもしれません。

    だからといって、
    私が傷ついたことがなくなるわけではありません。

    理解することと、
    許すことは違います。

    父の苦しさを想像することと、
    私の苦しかった記憶を否定することは別です。

    私は父に似たところがあります。

    正義感が強いところです。

    弱い人を傷つけること。

    暴力やいじめ。

    立場の弱い人を追い詰めること。

    私は、それを許せません。

    でも私が大切にしたい正義は、
    誰かを責めるためのものではありません。

    傷ついている人を守るためのものです。

    それは、私を守ってくれたおじいちゃんとおばあちゃんから受け取ったものです。

    疑われた私を信じてくれたおばあちゃん。

    怖い時に守ってくれたおじいちゃん。

    二人が教えてくれたのは、
    人を守る強さでした。

    私は父のようにはなりません。

    父から受け取った痛みを、
    誰かに渡すことはしません。

    私は、守ってくれた祖父母から受け取った優しさを選んで生きていきます。

    父の人生は父のもの。

    私の人生は、私のもの。

    私は父から、

    「人を傷つける正しさではなく、人を守る優しさを選びたい」

    という大切なことを学びました。

    父という人は、
    私に痛みだけではなく、
    どんな人でありたいかを考えるきっかけをくれた人でした。

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    心に、小さなしおりを🔖 HSP、ADHD、ASD、鬱、毒親育ち、引きこもり、不登校、生きづらさを抱えた方が、少しでも心穏やかに生きやすくなるための灯りを置いてあります。 人生の中で見つけた小さな光たちを 誰かの心にそっと届けられたら… 想いを一つ一つ心を込めて書いていきます。

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