
森羅インシデント:第3部『潜伏する秒針』――Cyber/Occult/Noise(3-1)
世界を統べる巨大企業LEXのセキュリティを欺き、下層区の全住民の脳内ナノマシンから吸い上げられた精神データ――「人工神」の設計図を盗み出してから、シンラは一度もまともな眠りについていなかった。
下層区の夜は、眠るためにはあまりにも騒がしく、そしてあまりにも
冷たい。
窓の外では、違法に増築された九龍城砦さながらの超高層ビル群が、酸性雨に濡れたネオンの光を乱反射させている。
ホログラムの巨大な広告美女が、実体のない微笑みを浮かべながら
「精神の安定を約束する最新のサイバーウェア」
を謳い文句に囁きかけてくる。
その全てが、今のシンラには酷くグロテスクな欺瞞に見えた。
ベッドの中で、シンラは震える左手で右腕の黒い義手を強く握りしめる。
あの狂気的なネットワーク構造図を目撃した直後、義手は満足したように
脈動を収め、今はただの冷たい金属の塊に戻っている。
しかし、皮膚とチタン合金の接合部には、いまだに消えない微熱がずっと
澱(おり)のように残っていた。
(あれは、何……。LEXは何を作ろうとしている?)
脳裏に焼き付いた、何百万、何千万という人間の脳を苗床にして電子の海に蠢く、あの異形なる「神」の輪郭。
現代に生きる下層区の人間たちは、誰もが精神の磨耗に怯えている。
明日生きるための金があるか、
明日の検閲に引っかからないか、
脳内ナノマシンが弾き出す「幸福度インデックス」が基準値を下回って精神矯正施設に送られないか。
誰しもが何かに怯え、しかし何を信じれば救われるのかも分からず、
ただLEXが配給するドラッグじみた娯楽と、徹底的に管理された
「最適化された日常」を貪っている。
シンラもまた、その無気力な家畜の一頭に過ぎなかったはずだ。
だが、ポケットの中の外部ストレージに格納された
「禁忌の断片(データ)」が、微かな電子の質量を持ってシンラの胸を
圧迫する。
知ってしまった。気づいてしまったんだ。
自分たちが信じ、縋り、管理されているLEXのシステムそのものが、
巨大な電子の神を祀る『伽藍(がらん)』であり、自分たちの精神は、
その神の肉となるための栄養素に過ぎないということを。
「……ハ、ハハ」
乾いた笑いが口から漏れた。恐ろしいはずなのに、その恐怖の裏側に、言い知れぬ恍惚感が皮膚を這い上がってくるのを感じていた。
自分は今まさに世界の裏側に触れている。
誰も知らない、この世界の終わりの始まりを、自分だけが特等席で眺めているのだという、劣等感と敗北感しかなかった自分の・・・歪んだ全能感。
シンラは、自分がもう、引き返せない暗闇の深淵へ、自ら爪先を突き出していることを自覚していた。
NEXT・・・・
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