
違和感の価値
いまさらだけど、ふいに思い出す事がある。
あの頃の自分は、周囲に馴染もうと必死だった。
どう振る舞えば浮かないのか。何を言えば叩かれないのか。
そんなことばかり考えていた気がする。
でも厄介なのは、学校生活には「正解」がないことだった。
数学みたいに答えを教えてくれるわけでもない。
少しでも周囲と違えば、当たり前のように避けられ、陰口を叩かれ、笑い者にされる。
そんな時間を、何年も過ごしていた。
今になって思う。
あの時に受けていた精神的な痛みは、大人になってから社会の理不尽に適応するための、予行演習であったと思う。
陰口を言われると、「自分が間違っている」と思っていた。
でも今は少し違う。
陰口を言われたら、それは正解だという事。
価値があるから妬まれる。もしかしたら、そいつが思う理想を体現しているのかも知れない。
人は、本当に興味のない相手をわざわざ気にしない。
目立てば、「あいつは何なの?何様のつもり」と捲し立てられて、
静かにしていれば、「地味だよね、根暗の陰キャ野郎」と笑う。
目立てば叩かれる。静かにしていても笑われる。
結局、何をしても文句を言う人はいる。
じゃあ何が正解で、何が不正解なのか。
他人と同じであることが、本当に正しいのか。
お前の物差しで人を測るな。人の価値を決めつけるな。
誰目線の話だよ、言ってる奴はそんなに立派な人間か?
そう言いたくなる瞬間が何度もあった。
人と違うことを悪だと言うなら、人と同じことはすべて善なのか。
そんな単純な話なわけがない。
だからこそ、自分に後ろめたいことがないなら、堂々と生きればいい。
誰かに認められるためじゃなく、自分のために。
己の貴重な時間を割いてまで付き合ってやる必要は一切ない。
相手の課題と自分の課題を見誤るな。
何をしても劣等感をぶつけてくる人間はいる。
そういう相手とは、無理に戦わなくていい。
視界に入れない。距離を置く。
あえて視界の隅にすら映らないようにする。
それだけでいい。
今、守るべきものは自分の時間だけでいい。
嫉妬に狂った相手と、わざわざ戦う必要はない。
火薬を使う価値もないからだ。
有意義な日常とは、執着や嫉妬に振り回されず他人から植え付けられる
劣等感の存在しない世界で、自分の時間を静かに生きることなのだと思う。
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