メインコンテンツへスキップ
見出し画像

【074】 斑鳩とイカル

    【このブログの目次はこちら】

    (*写真はスズメ目アトリ科イカル属イカル)

    斑鳩を 旅するのなら
    春よりも 秋がいい
    あなたが 言ってた 
    とおりです
    『旅愁〜斑鳩にて〜』(作詞:松本隆)

    推古天皇9年(601年)、聖徳太子(厩戸皇子)は政まつりごとの中心地を飛鳥あすかから斑鳩いかるがへ移し、仏教布教のため推古天皇の御所のとなりに斑鳩宮いかるがのみやを造営した。この宮は聖徳太子の没後に焼失するも、その跡地に新しい寺が建立された。それが法隆寺。

    イカルの群れがいた、との伝承が斑鳩の語源だが、現代のイカルと同じ鳥を指しているのかは不明だ。

    斑まだらの鳩はとでイカルガ。イカルのチャイナ表記は桑鳲(クワカッコウ)で、鵤いかるは日本発祥の国字。立派な嘴を角に見立てたのだろう。大和言葉では「まめわり」と呼ばれ、その名の通り硬い木の実や豆を好む。

    昭和47年、梅原猛は『隠された十字架 法隆寺論』にて、法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮める目的で建立された、との説を発表し話題となった。法隆寺は世界最古の木造建築として、平成5年、日本初の世界文化遺産に登録された。

    法隆寺のある町、奈良県生駒郡斑鳩町。昭和22年に竜田町・法隆寺村・富郷村が合併して発足。郡に「駒」、町に「斑鳩」と、二つも動物名の入った自治体は珍しい。

    いかるが=法隆寺のイメージが強いが、他にも「いかるが」の地名がある。

    現代の京都府綾部市:丹波国何鹿いかるが郡
    大阪府交野市の磐船神社周辺:いかるがみね
    三重県四日市市 大膳寺跡地周辺:南いかるが町

    兵庫県加古川市野口町:鵤いかるが公園周辺
    兵庫県たつの市揖保川町:鵤いかるが宿じゅく
    兵庫県揖保郡太子町:鵤いかるが地区・斑鳩寺

    何鹿いかるが郡が、斑鳩いかるが、鵤いかると同源なのかは不明である。淳仁天皇の甥の何鹿王いかるがのおうと所縁ゆかりがあるのかも知れない。京都府船井郡京丹波町の何鹿神社は「いつしかじんじゃ」と読む。

    一方、揖保郡太子町の斑鳩は由緒正しい。

    皇太子亦講法華經於岡本宮 天皇大喜之 播磨國水田百町施于皇太子 因以納于斑鳩寺
    『日本書紀巻第廿二 豐御食炊屋姬天皇 推古天皇』

    現代語訳:聖徳太子が岡本宮で法華経の説法を行い、喜んだ推古天皇は、太子に播磨国の水田百町を与え、斑鳩寺領として納めた。

    この地はその後、「鵤荘いかるがのしょう」と呼ばれ、後に斑鳩村、斑鳩町を経て、昭和26年に石海村・太田村と合併し、太子町となった。由来は聖徳太子である。皇族由来の自治体名は、現代ではここだけではなかろうか。なお、「いかるが」の語源は、「怒る川」という説を唱える人もいるようだ。

    次のブログはこちら。

     
     
     
    Amazon Kindle でトリに関する本や写真集を出版しています。 昭和後期のサブカルチャーの研究をライフワークにしています。

    あなたへのおすすめ