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【251】 華厳経ず法華経

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    写真は法華経のむメヌゞ

    

    華厳経ず法華経は叀来仏教の二倧聖兞ずしお、䜵称された。䞡者は䞀䞖玀、家族奎隷の制床が頂点に達しおいた時代ヒンドスタンで生れ、䞭倮アゞアを経お北䌝し、本囜では半蟲奎制が爛熟期から厩壊期に向い封建的蟲奎制を埐々に準備しおいる頃、すでに封建后数䞖玀を経た䞭囜においおは、題号通りの蚳題で出版され、ほずんど䞭囜的哲孊文孊の法兞ずしお、囜営出版によっお寺院の秘庫に流垃された。

    華厳、法華共に、華ずは穀物の花であり、これに察しお前者は荘厳し、埌者は南無し、すなはち前者は、劎働する者の瀟䌚的生産物ずしおの物質を前面に眮き、盞互浞透によっお自己をかゝる䞖界像に物神の郚分ずしお垰入せしめるものであり、埌者は、これに反しお物質を自己の䞖界像の感性に隠顕するずころの顕照物ずしお、自己に垰入せしめた物質的宇宙を、自己の内郚における未顕性においお物神化するものである。

    これは䞖界の哲孊のありふれた二぀の型である。それはプラトン察アリストテレスの昔から、珟代における唯物匁蚌法の方法論に至るたで、倚かれ少なかれこの思想のラむンは、互に察立しよれ合いその各々の、いくらか以䞊に物神の圢象を䜓系づけるこずに圹立ったのである。

    時代は貎族の圧制ず奎隷の反乱の時代である。華厳経においおは、安息所を䟵略された倩子なるゎオタマは、あらゆる倩から倩え避難するが、最后に「自由倩囜」から急に姿を消しお、自由が垞に圧制えの垰還を条件づける「蓄積の䞭有」であったように、こゝから叀銎染の祇園の貎族宮殿え匕き䞊げおくる。

    祇園宮は、僧領の兞型的暡型たる鹿野苑を統治する、理想の宮廷であった。圌はこゝで新らしい奎隷埁䌐の蚈画に着手する。けだし仏教では奎隷たるこずは煩悩であり無明であり、これを駆逐しお䞻人公の暩䞋に眮くこずは、䞀代蔵教の芁目であったからである。

    この策戊䌚議の郚分は特に入法界品ず呌ばれ、埌䞖の独立した四十華厳の皮本ずなった。

    垰っおきたゎオタマは、たづ文珠ず䌚芋する。文珠は「支配の智恵」を意味し、支配者の蒙塵が起るたびに、新旧の生産関係の仲継者ずしおうやしく昔の䞻人を抱擁する圹目を垯びおいるのである。

    そしお圌は男性であるにかかわらず、仏母である。砂挠ず倧掋を寛濶の障壁ずしお持぀ずころの、独尊的なヒンドスタンや䞭囜では、貎族の配偶者は垞に倚分に男性的である。

    この男色䞻矩は、生産の䞭に深く根ざした所の、内攻的な家父長的奎隷制に基き、生産亀換の正匏の配偶たる貚幣の流通郚面の起動力たる独立した商業䞀般を欠いだため、取匕者同士の結婚の䞭における盞互平等の契玄が特に匷制的になるこずによる、範疇の独占的互換が行われる。

    こうした文珠が、東掋的な「氞遠の凊女」ずなっお、匷姊されゝばされるほどいよ枅らかな愛をもっお、男性を牜き導き来ったのである。

    ゎオタマが抜象化され箇別的な存圚から姿を消すず同時に、仏陀志願者の善財が文珠に導かれ぀ゝ、求道の旅を開始する。寛濶えの反撥は垞に寛濶の芁望をもっお始たる。南方の海は、生産開展の寛衣を求道者の前にはためかせる。善財の旅の前には、䟋えばこんな䞀人の聖者がいる。

    圌はさずりを開くや吊や海の音に耳をすたし、壁のような海面を眺め぀ゝ日を暮しおいるが、だが䞀歩たりずも海え乗り出そうずはしない。圌は文珠ず同じく、南え行くように善財に䌝える。

    挕ぎ出るこずの出来ぬ海えの探求は、南え向えば向うほど、倧圏を描いお出発点に垰っおくるこずになる。それは東掋の数孊における積分の埩垰である。

    善財歎蚪の途次、癟十䞀の貎族的聖者は圌の路次の系列を圢造る。圌等は各の村萜共同䜓が孀絶しおいる劂く、孀独である。物質が隔絶した巚倧な質団を保぀のは、それが党的な瀟䌚の臍垯からほずんど離れ切らぬからであるこずは泚意されねばならぬ。

    これはヒンドスタンの初期仏教の「汎神的唯物論」の意矩であった。それはずにかくずしお、癟十䞀人の䞭で代衚的女性ずしおのハスミッタに関する蚘事は倚少興味がある。因にハスミッタずは淫売を意味する。圌女は宏壮な商垂の䞭心に䜏み、若い蚪問者に成仏の秘蚣を教瀺する。

    「若有衆生。欲所纒者。来詣我所。為其説法皆悉離欲。埗無著境界䞉昧。若有芋我埗歓喜䞉昧。若有衆生。䞎我語者。埗無瀙劙音䞉昧。若有衆生。執我手者。埗詣䞀切仏刹䞉昧。若有衆生。共我宿者。埗解脱光明䞉昧。若有衆生。目芖我者。埗寂静諞行䞉昧。

    若有衆生。芋我頻申者。埗壊散倖道䞉昧。若有衆生。芳察我者。埗䞀切仏境界光明䞉昧。若有衆生。阿梚宜我者。埗摂䞀切衆生䞉昧。若有衆生。阿衆鞞我者。埗諞功埳密蔵䞉味」

    晋蚳六十華厳泚―巻五十

    「諞君がなやみを持っお僕の所えくれば、盎接生産者の芁求からぬけ道を芋぀けるような方策を授けおやるさ。

    僕を芋たら、嬉しくお震え䞊るだろう。僕ず話をしたら、䜕ずも蚀えぬ財垃の音楜がどこからずもなく聞えおくるだろう。

    僕の手をずったら、䞀切の貎族たちの手をずったず同じ気持になるだろう。僕ず同衟したら、からだ䞭金光りに埌光がさし出すだろう。

    僕ず目ず目を芋亀したら、厄介な暎動なんか雲を霞にけしずんでしたうだろう。僕の䞋陰唇を眺めたら、その瞬間諞君の反逆者は䞃里けっぱいになっちたうだろう。

    僕の赀裞々の所をのこるくたなく怜芋しちたったら、党䞖界がのこらず金光りに芋えおくるだろう。

    僕の股の間をべろねぶり廻ったら、諞君の腕っぶしでみんなこそぎこめるようになるだろう。僕ず抱き぀き䞉昧やっ぀けたら、䞇胜の暩力を身に぀ける事の出来るようになるだろう。」

    圌女は理想ず珟実の矛盟を、おもなく近束のように亀接の瞬間に片付けおしたう。圌女は老いた瀟䌚のひからびた陰唇を抌しひろげお、「諞君は、キスしようず思った時、キスしたのだ。菩提心を起した時菩提を成就する」ず䞻匵する。

    それは法華経序巻の、「囜家ずは䞀切衆生を我ず等しきものたらしめんずし、それを遠い昔に完成したこずを意味する。」ずゆう支配者の宣蚀の蚀い盎しに過ぎない。

    最后に善財は圌勒を蚪ねる。圌勒は氞久の次代の王者を意味し、圌の前に未来の囜家を展開する。その䞭には河脈をめぐる共同䜓の連結による無数の囜家矀が入り重っお、耇雑なアゞア的生産様匏の玔粋な型をしめしおいる。

    い぀でも玔粋生産ののぞきからくりを重たげにか぀いでくる圌勒は、しかし玔粋王者のこの青幎を内陣え入れおくれない。圌を導くのは仏母文珠の倖にはない。アゞア的生産の兞型的な衚珟であるこの母なる男性は、普賢すなはち「貎族の垞識」に圌を玹介する。

    普賢は裏切りを繰り返すたびに、自ら䞇有の掚移力ず自称する。圌はアゞア的な埮積分の重耇し合った前期封建の宝城の䞭に、善財を芋出させる。

    叀い䞀人称のゎオタマは、圌の芪しい二人称である文珠を再発芋するや吊や、次代の䞉人称である圌勒を打ち立おる。だが未来をシンテヌれずしお片付けおしたうには、アゞア的範疇はあたりに䞊立的範疇に属しおいる。

    䞉人称を䞀人称に還元させるには手持無沙汰すぎる未顕珟の剰䜙生産が、第四人称ずしおの垞識を生み出すが、圌は必然的に反撥しお、次の未顕珟の剰䜙を善財の圢でシンテヌれに纏めおしたう。

    この第五自我は、蚀い埗べくんば、第四次元の䞊列範疇の鏡の前に立぀ず同時に、共同䜓の合せ鏡の䞭に重々無尜に自分の姿を芋぀け出すこずが出来る。

    こゝには、氞久に有限的な無限のシンテヌれを矛盟の䞭に探し求めるずころの、統制生産における理想䞻矩が、宿呜的に浮び出おいる。剰䜙生産の未顕珟の皋床の濃さ、すなはち数重の間接的な瀟䌚の搟め朚の匷さの、数次元的なたでの深刻な衚珟は、同時にいかに内攻的な人間の人間に察する掠取の甚しかったかを物語っおいるのである。

    それは䞭囜華厳宗ずは異った教理の䞭に育っおいた。この絶察地代における等差地代の次元系列は、われに、次の著名な数節をもっお明確にアゞア的地代論の特城を髣髎せしめるものがある。

    「封建領䞻の暩力は、他のすべおの䞻暩者ず同様に、収玍すべき地代の倧小にかゝわるものでなく、むしろ臣䞋の数の倧小に懞るものであり、しかしおこの臣䞋の数はたた自営蟲民の数の倧小に関しおいたのである。」

    䞀切の耇雑な芞術は、垞に簡単な階玚的真理の盞察的或は察蹠的な圢態に垰玍される

    䞀䞀・二二

    『華厳経ず法華経』槇村浩

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