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【223】 狐塚

    【このブログの目次はこちら】

    (写真は狐きつね塚づか)

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    伊勢鈴鹿郡の鶏足山は卯月八日の登山を以て聞えたる霊地である。寺では千手観音を本尊にしているが、而も山上に鏡ガ池というがあって、傍かたわらに善ぜん女にょ龍りゅう王おう雨壺の三さん祠しを斎いつき祈き雨うの神として仰がれていた(三国地志二十六)。

    浮島を以て知られている羽前大沼の浮島稲荷神社も古くから例祭は四月八日で、祭さい神しん宇う迦か之の御み魂たまというも元は宇賀神すなわち弁才天の信仰に始ったものらしい。

    鍋の祭で評判の江州筑摩神社の如きも、社殿大湖に臨んで竹ちく生ぶ島じまに向い、今は主神を大おお御み食け津つの神かみとしているが、以前は市いち杵き島しま姫ひめの命みことと伝えていた(木曽路名所図会)。

    祭は同じ四月の八日で八人の童女を玉串を以て定め一月の物もの忌いみさせて神事に仕えしめた。前に挙げた陸中化粧坂の薬師堂に美女を以て池の神の牲いけにえとした口碑を伝えるのも、その薬師の賽さい日にちという四月八日と関係あることは、同時に報告せられた武蔵井ノ頭の弁天の申し児なる長者の娘が、池に入って蛇体となったのも同じ日という話(郷土研究二巻六九二頁)と見合わせても推測し得られる。

    さらにまた野州葛生の峰ね渡わたり権ごん現げんにおいても、昔蛇体となったという長者の妻の供養を、同じくこの日に行う例であったといい、四月六日を以て例祭とする近江伊香郡の大おお音おと神社にも、やはり弘法大師が池の主を済さい度どしたという、かのせせらぎ長者の妻つま虎とら御ご前ぜんの話(同上四巻三三九頁)と相似たる話を遺のこしている。

    (中略)

    田中君の葉書というのはごく手短かで、もっと調べて下さいと言ってやったのだが、まだその返事は来ない。その内容は、白鳥からの帰り途、三本松の駅の近くの田たん圃ぼに、稲刈りの跡の土を少し盛り上げて、そこに一株の稲を刈り残し、その前に青竹を立てて花をさして供えてあったという、たったこれだけの事実であったけれども、二つの点において私をびっくりさせたのである。

    その一つは、たとえ小さな土まんじゅうにせよ、田の中の祭にわざわざ祭壇を築くという風が、まだこの地方に伝わっていたことである。その盛り土が小さくまた臨時のものであることは、かえって東国農村の水みな口くち祭まつりや、正月十一日の田打ち行事との連絡を考えさせるのだが、この点は別に狐きつね塚づかの話のつづきとして、「民間伝承」の方へ書くつもりだからここでは省いておく。

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    (中略)

    何でもない逸話のように笑って語ることで、私ばかりが早くから気をつけていることは、大昔弘法大師が天てん竺じくから、稲の穂をそっと持ってござった時に、後々稲荷に祭ってやるからという約束をして、狐にその種子を芦あし原はらの中に隠かくさせた。

    その目じるしに立てられたのが苗じるしの起りだということである。この話はいろいろと形をかえて、今でも日本全国に分布しているのだが、これを苗じるしと稲荷とに結び付けたものは少ないらしく、しかもこの点がかなり有力な一つの暗示であった。

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    『年中行事覚書 卯月八日 サンバイ降しの日』
    (柳田國男)

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    弘法大師は、天てん竺じく(インド)には行っていない。

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    Amazon Kindle でトリに関する本や写真集を出版しています。 昭和後期のサブカルチャーの研究をライフワークにしています。

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