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【199】 獺祭書屋主人

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    (*写真は食肉目イタチ科ツメナシカワウソ属コツメカワウソ)

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    小学校時代。――尋常四年の時に始めて十七字を並べて見る。

    「落葉焚たいて葉守はもりの神を見し夜よかな」。

    鏡花きやうくわの小説など読みゐたれば、その羅曼ロマン主義を学びたるなるべし。

    中学時代。――「獺祭だつさい書屋しよをく俳話はいわ」や「子規しき随筆ずゐひつ」などは読みたれど、句作は殆ほとんどしたることなし。

    高等学校時代。――同級に久米くめ正雄まさをあり。三さん汀ていと号し、朱しゆ鞘ざや派の俳人なり。三汀及びその仲間の仕事は詩に於ける北原きたはら白秋はくしう氏の如く、俳諧にアムプレシヨニスムの手法を用ひしものなれば、面白がりて読みしものなり。この時代にも句作は殆ほとんどせず。

    大学時代。――略ほぼ前時代と同様なり。

    教師時代。――海軍機関学校の教官となり、高浜たかはま先生と同じ鎌倉に住みたれば、ふと句作をして見る気になり、十句ばかり玉ぎよく斧ふを乞こひし所、「ホトトギス」に二句御採用になる。その後ご引きつづき、二三句づつ「ホトトギス」に載りしものなり。但しその頃ころも既に多少の文名ありしかば、十句中二三句づつ雑詠に載のるは虚子きよし先生の御ご会釈ゑしやくならんと思ひ、少々尻こそばゆく感ぜしことを忘れず。

    作家時代。――東京に帰りし後のちは小沢をざは碧童へきどう氏の鉗鎚けんつゐを受くること一方ひとかたならず。その他一いち游いう亭てい、折せつ柴さい、古こ原げん艸さう等らにも恩を受け、おかげさまにて幾分か明めいを加へたる心地なり、尤もつとも新傾向の句は二三句しか作らず。つらつら按あんずるにわが俳諧修業は「ホトトギス」の厄介にもなれば、「海かい紅こう」の世話にもなり、宛ゑん然ぜんたる五目ごもく流りうの早じこみと言ふべし。そこへ勝峯かつみね晉風しんぷう氏をも知るやうになり、七部しちぶ集しふなども覗のぞきたれば、愈いよいよ鵺ぬえの如しと言はざるべからず。

    今日こんにちは唯一いち游いう亭てい、魚ぎよ眠みん洞どう等らと閑ひまに俳諧を愛するのみ。俳壇のことなどはとんと知らず。又格別知らんとも思はず。たまに短たん尺じやくなど送つて句を書けと云ふ人あれど、短尺だけ恬然てんぜんととりつ離しにして未いまだ嘗かつて書いたことなし。この俳壇の門外漢たることだけは今後も永久に変らざらん乎か。次手ついでを以て前掲の諸家の外ほかにも、碧へき梧桐ごどう、鬼き城じやう、蛇笏だこつ、天郎てんらう、白峯はくほう等の諸家の句にも恩を受けたることを記しるしおかん。白峯と言ふは「ホトトギス」にやはり二三句づつ載りし人なり。

    『わが俳諧修業』(芥川龍之介)

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    正岡子規は、病床に本を並べる姿を「獺祭」に準なぞらえ、自らを「獺祭だっさい書屋しょおく主人しゅじん」と名乗った。

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    Amazon Kindle でトリに関する本や写真集を出版しています。 昭和後期のサブカルチャーの研究をライフワークにしています。

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