
予測不能にもほどがある 58 スペイン編 (12 昭和的実録 海外ひとり旅日記
日記_060 ロマからのギフトのような17時間
12 / Oct 1978 鳩暴翔テロ事件


hostal 200ESP
rate : 1ESP≒2 JPY

・Real Parroquia de los Santos Juanes València (iglesia de San Juan del Mercado)
ルートに迷いがなくなれば、列車は明らかに南下し始めている(どうも海に向かう=海抜がどんどん低くなり明るい世界へ、という短絡な思考に侵されている)はずなのだが、この列車が切り開く路はむしろ緑深く山々に分け入って行くようにも感じる、心なしか空気も湿り気を帯びて来たか。
Castilla〜La Mancha地方で体験したカサカサの街々は、海抜800〜1000mと結構高い台地状に位置しており、実際Cuenca辺りまでは大陸性乾燥地帯であるようで、この緑豊かな山々を抜けなければ、再びの”地中海”気候帯へと云うことにはならないようだ。
それでも山々を抜け徐々に降り下り始めるに従って、確かに肥沃そうな様々な色の畑の出現で、俺の期待感を解き放ち始めてもいる。
そして着いた València は本当に蒸し暑く(フェーン現象でもあったか)、それでも久し振りの大都会の感じが心を開かせる。
駅舎の外観もSezession(ウィーン分離派)風で結構好み、オシャレ感も高鳴る。
駅から旧市街までの並木も看板も珍しくもないのに都会的に見える、時に ’30年代のManhattanの鉄骨組みむき出しの文字サインが塔屋にあったりと、初めての来訪者にとっても新旧取り混ぜ、惚れ惚れ、飽きさせることはない。
Mercado Central de València(中央市場)前の広場が湿気た大汗を落ち着かせるにはちょうど良い、バックパックを降ろし、なみなみとカップ一杯の手絞りのオレンジジュース( Naranja València大玉7個半/杯 )を飲み干しながら曇天の空を仰ぎ見れば、市場の大屋根の稜線を波打たせる程の夥しい数の純白の鳩々、(確かにここは喰いものにありつける市場である)長髪の旅人がパンのカケラを抛り挙げれば、バサバサッという腹に響く羽音と共に、辺り一面の吸気を根こそぎ攫うかの瞬撃の白の低空群舞、
・・・周囲に残った、困惑の重苦しい空気。

Museo Marqués de Dos Aguasファッサードの一部
豊満で官能的な外観は必見
と云うのもこの広場、ガサツで活気が売り物だろう市場には全く不似合いと思える、Baroccoな王立教会( Real Parroquia de los Santos Juanes 内戦で消失した大天井画修復中)やら螺旋柱のボールト天井が美しいシルク取引所( Llotja de la Seda )、裏手にはValènciaのSistinaと言われるほどの大フレスコ画を持つ教会( Iglesia Parroquial de San Nicolás de Bari y San Pedro Mártir )など、本来なら公立の厳格さを漂わせてもおかしくない場ではあるのだが。
そんな由緒正しき官民(?)入り混じった場も奇妙ではあるのだが、それに和をかけるように、アッチにもコッチにも長髪のHippies崩れの若者が溢れていること、そんな不思議な時間空間で勃発したチョットした鳩暴翔テロ事件・・・。
チョット気持ちが引く(お前も同類だろっ! 確かに¿)
13 / Oct Valènciaには白い鳩がよく似合う


hostal 200ESP
それにつけても、エレガント(?)なValènciaには ” この白い鳩はよく似合う ”
夜ともなると、Valènciaのランドマークの塔 El Miguelete と Catedral を、カギ型の中心に据えた巨大な Plaza de la Reina が灯りに浮かび上がり美しいお膳立て(半分の敷地は大駐車場だけど)ができあがると、硬軟取り混ぜた人々のそれぞれの興宴が繰り拡げられるのだ。
ぼんやりを楽しむ、スケートボードを繰る、二人だけの時間、広場四周のCafe/Restauranteで寛ぎ|談笑する、ボールを蹴る、ベンチでSpanish Guiterを奏でる、日課のそぞろ歩きに身を任す、今夜の宿をここに決め込んだ者も、Catedral の裏手カギ型に折れ曲がった向こう側にも、隠すように Plaça de la Verge(バレンシア守護聖母デサンパラドスの皿)、Roma Campidoglioの丘の花崗岩のパターン張りを思わせる御影石張りの外部床の噴水の廻りは、既に若者たちの( 地元|観光客|Hippies 区別なく? )Guiterを持ち込んでの響きに占拠されていた。
( ア ァ ア 〜 コ レ ガ ヒ ロ バ ナ ン ダ ヨ ナ ァ ア ァ 〜 )
おぉ−っと、忘れてはいけなかったな Catedralのクーポラの屋根や薔薇窓の縁にも、そして電線にはそのシルエット、灯りの中を掠めればやっぱりの白い鳩々、
(いいじゃないか、平和が翔びかっているんだから)。
本当に、(”Valènciaには白い鳩がよく似合う ”)
明日も活きるんだろぅ おやすみなさい
14 / Oct 忘れモノはないか



hostal 160ESP
València初日の鳩暴翔テロ事件は、些細ではあったが、俺には手痛い後遺症として残った。
善意で示したことが、(感に触れることもあっただろう)地元の人たちに大顰蹙を買ってしまったことが、Hippie思考に心情的シンパを任じていた俺にも転移して、街を去るか逡巡し始めている。
(関係ないっ!)と思いながら、Museu de Belles Arts でValència出身のJoaquín Sorollaの太陽光溢れる作品群に触れ、高揚もしたところでハッとした、València、オカマさんっ多いっ!(お尻プリプリとすれ違った)、
(んんっ Borgiaにはオカマさんの怪しげな感じ、ピッタリ!よっしゃ!今日の夜は・・・)と、此処が ” Borgia家発祥の地 ” だったことを思い出させたのも、都会の薫りに紛れてしまっていたからなんだろう。
列車でほんの1時間、Jativa( Borgia 家教皇 Alexander Ⅵ の故郷 Cesare はその庶子)に期待のイメージするモノはなかった。
高々二日の滞在で発作的にValènciaを出てしまったことに、何か後悔めいて、忘れモノでもしたかのよう・・・。
コラム_140 鳩暴翔テロ事件 Identityの行方
特段の目的意識ない旅をしていると、時に自分の現実感(依拠するところ)を失うことがある。
イイこともたくさんあれば、落ち込むようなこともある訳で、イイ悪い判断・決断無しに、” 旅の恥は掻き捨て ” の諺では無いが、現実とは違うから、夢で起きてることみたいなモノだから、精がないこと、で大抵は体内で消化してしまうことも少なくない。
どうもValència入りに関し、久し振りの都会に気負いもあったのか、のっけの鳩暴翔テロ事件は 結論の着かないもの、手に負えないモノ、と片付けられ棚上げされたようだ。
鳩に罪がある訳ではないけれど、地元の人たちには日頃慣れ親しんだ生き物と雖も何千・万羽となれば功罪あって然るべきもの、一方で”自然に優しくあれ”のつもりで、生き物にほんの些細な同調を示した結果が、予想もつかぬ禍をもたらしてしまう、しかもそれが見も知らぬ者の仕業となれば、冷たい視線に晒されるのも道理。
姿かたちは殆ど同じ、Hippie思考に心情的シンパを任じていた俺に居心地の悪さとして、一気に伝播したようだった。
それはまるで 対日本・東京の歴史・文化比較にまで(何故なら勝ち目のなさそうな立派な歴史資産を眼の前にした評価競争に巻き込まれそうにも思えてしまったのだ)及びそうで、妙に俺のプライドやらアイデンティティの存在価値にまで茶々が入りそうにも思えてしまったからだ。
(殆ど病気だね)
想像するに何事もなければこの空気感をもつ街であれば、1週間位は滞在してたように思うが、”オカマ”さんの発見が何故、街を離れることを決定付けたかって?
やっぱりちょっと尋常とはズレた人生に乗っているヒトは、同じような目で見られてしまう訳だから、今ここで決着を見るような話でもないことは、十分解っていますから。
地に足の着いた旅でありますように・・・。
15 / Oct ペンションの留守番 ?

朝が騒がしい、「San Pedroの日」とか言って、伝統衣装に着飾った子らを先頭に小さな神輿を葬送曲のような重い響きと共に丘を登っていく、崖の上にはBorgia家の邸|城?もあるはずだ。
行進を遮らないようにと崖を攀じ登ると、腹に応える程の爆竹音が楽隊の音を遮った。
小高い丘の上では余程の儀式だったのか、お偉方も出席していたようで城への道はおまわりさんによって封じられていた。(崖をショートカットしたため、俺は知らぬ間に非常線を突破していたらしい)
(何のための行進だったのか?)人々が三々五々丘を下り始めてもしばらくは散発的に爆竹音が鳴らされているのを聞くばかりだった。
そうして街に戻ってみれば、Fiesta のため、全て店は休業で食事にも困れば、ペンションも休み(?)、事前に部屋の鍵まで預けられ、
まあ列車の時間は夜行だったので、それまで部屋でじーっとしていることとはなった、ヨカったのか?ワルかったのか?
何事もなかった(?だらけの)、Jativa 。
(宿泊代160ESP/2days ?)
16 / Oct 特別なギフトのような17時間

hostal 200ESP
バス・列車問わず夜行は厭わない俺でも、17時間は死ぬほど長い。
ちらっと何故そんなに懸かるのか(地図上直線250km程度)と疑問は湧いたのだが、それより列車の座席を取るか、快適な寝る場を確保するか決めるのが先、(程々の乗客数か)、遅めに乗車して(わぁもう座席埋まっちゃた)感丸出しで、シレッと目当ての連結部を確保、(えぃっ)と寝袋広げて(存在感アピール!)バックパックの上に座り込めば、寝床確保完璧!
それにしても時間調整のためでもなければ、遅れること厭わず超越したこのExpreso(夜行急行?)の速度(遅さだよ)尋常ではない、早朝 Murcia には到着 1h余り停車、その後は一段と遅くなる、わずかな登り坂でも自転車程のスピードも出ていない、駅での停車時間もゆっくりだから( 仮に出発しても跳び乗り・跳び降り自由自在 )、列車の横っ腹に行き先があるから(どんな大きな街かな)と構えていても、全く家など見当たらない荒野のど真ん中だったり、それでもご丁寧に小 1h も停まっていたり・・・。
(車輌毎に行き先の違う列車を連ね、連結を切り離していく効率を考えた列車だということは理解した)
そうでなければ給油・補給の気配もないのだから運転手の気紛れじゃないかと勘繰りたくもなる程なのだ。
(何か面白く見えてきたゾ)
俺のいる連結車輌部がざわつき始めた。
男が連結部の扉を背で開け放ち、招き入れられるようにもう一人の男が、俺の居る出口とは反対側に、Guiter を翳しながら持ってきた折り畳み三脚椅子( 用意周到っ )をピシっと置くと、静かに Arepegio し始めた、静かだが一音一音ははっきりとした明快な響きだったから( Flamenco Guitar だっ!)
、とすぐに判った!
身なりは普通の格好だが、スタンドハイカラーのワイシャツこそ、只者では無いことを物語るように、その Guiter は徐々に序・破・急していく
・・・TaッTaッTaッ TaッTaッTaッ Tan Tan TaッTaッ・・・
既に刻むリズムが只者の奏でるそれではない事が分かれば、俺の足踏みと鼓動すらも共鳴するように( 列車のリズムさえ三拍子に成っていないか・・ガッタン ゴットン ガッタン・・)高鳴っていくのが分かる、
(嗚〜呼〜ぁぁ〜、Palma(フラメンコの手拍子)だぁ〜)
連結部の扉を抑えていたあの男が、あの独特な リズム楽器=手拍子 でFlamencoのリズムを打ち始めたのだ。
・・・TaッTaッTaッ TaッTaッTaッ Tan Tan TaッTaッ・・・
気が付けば、この連結部、既に濛々の煙草の煙に包まれ、集まってきた乗客でギッシリ圧し詰め状態、座り姿勢で 魂ブッこんでくれ!と覚悟していた俺の顔が、おばちゃんのデカい尻で押し潰されそう・・・、
(密集が解けた!)
一塊りの群が緩み、乗客の誰かがワンボックス開けてくれたのだ、
(こっちで演れっ!)そして俺にも救いの手が、ワンボックスの端の席に(お前はここで聴きな!)招待(?)してくれたのだ。
そして通路の向こうから、絞り出すような声がする、人相の悪いおっさんだが 声は透る、( もうみんな居ても強ってもいられないのだ )
ステージ第二幕の始まりだった。
ステージが拡がれば、車輌1両全てがみんなの日常舞台に様変り、魂を爆発させるようなGuiterの叫びと共感のParmaが、zapateado(サパテアード|足拍子)が、紫煙の中を渦巻き響き続け始める、そして Flamenco を踊り出す女・男たち、果ては聞きつけたのか食堂車の Bar の制服までもが、素っ頓狂な声で歌い始める・・・
Granadaに向かう列車ならおそらくRoma(ロマ)たちが多く乗り合わせていたのだろう、
だからもう白昼夢のShowは終わらない・・・Granadaに着くまでは・・・
・・・・・・・・・・・・
Romaの深い文化の渦に否応なしに放り込まれた
特別なギフトのような17時間に
(世界でも稀れだろう、ノロノロ走る Expreso の España にも)
深く感謝!
コラム_141 ノロノロGranada行列車は
アリだった
いくら何でも17時間は長いだろう。
当然、” Játiva から海岸線に沿って南下し、Murcia を経由して Granada へ最短距離の一本の直通列車で入る”とばかり想像していたのだが、実はそんな都合の良い幹線は、当時も今も、存在していなかったのだった。
Murcia 以降の列車の足取りは今でもトント掴めていない、map を見ていただければ、ヒョットしたらさらに遠回りの Cordova 経由ということもあったかも知れない。
(Cordovaだとしたらこの後の訪問地だから、益々持って非効率の上塗りとは成る)
調べてみると、一時鉄道会社はSierra Nebata山脈を超える仮設工事はしたようだが、人口比からしてとても採算の取れる幹線とはなり得ないという事で廃線となり、現在も手付かずということらしい。
少なくとも Alcázar de San Juan は降りてはいないが二度通過したことになり、現在の高速鉄道(AVE)の発達とはいえ、スペイン内陸での在来線鉄道のネットワーク形成には今だ骨を折っているようである。
” 乗り換えなし ” の利便を選ぶのであれば、当時での「唯一にして正解」のルートではあったようだ。
しかも列車内には
Greek編でも紹介した ” 映画「夏の夜の10時30分」で射抜かれた
Parma( Framenco の手拍子)があり、その Granada に行ったなら是非
” 洞窟フラメンコ ” で、土地の匂いや人々の体温を感じて見たい ”
の全てが詰まった、白昼夢さながらの
” Romaたちからの 特別ギフト ” まで戴いちゃったのだから。
(全く 贅沢な感動の17時間ではありました)
コラム_142 Spain Map_12
Mapデータサイズ大きくなったため、Turkey〜Itary経路削除しました。