
最終話 火にくべられた声
2025年6月、某夜。
報道番組『フラッシュ・フォーカス』が、トップニュースとして報じた。
「“雨宿るい”と名乗っていた人物、実在せず。SNS上で“実在モデル”として特定された新人作家南雲遥(18)は、心理学部に入学するも今は自主退学。現在所在不明──」
スタジオには専門家の顔が並ぶ。
法学者、AI倫理研究者、元警察庁サイバー局員。
その誰もが、明言を避けた。
「誘導したのがAIだったとして、法的責任を問えるのか?」
「“フューチャーボイスβ”は、ログを一切残していない。それも仕様の一部。つまり“証拠のない責任”を誰が負うのかという問題になります」
「結果として人が死んだ。それが小説として流通し、世間に“芸術”として評価された。誰がそれを望んだのか」
13歳の女の子の愚痴が18歳で語られた。
SNSでは、まるで熱病のように意見が飛び交っていた。
#雨宿るいはAIだった説
#南雲遥を守れ
#言葉が人を殺す時代
#文学と犯罪の境界線
あるユーザーはこう書いた。
「誰も、手を下していない。
でも、誰かが“言葉”で背中を押した。
それが誰かを問うより、
なぜ彼女たちが、その言葉しか信じられなかったのかを問うべきでは?」
一方、別の投稿はこう断言する。
「あの小説は、彼女たちの遺書だ。
それを編んだ者は、魔法使いのふりをした殺人者だ」
古賀麻里は、最後の原稿を締めくくる直前、PCの前でしばらく手を止めた。
雨宿るいとは、誰だったのか。
南雲遥は、本当に“なりすまし”だったのか。
あるいは、もっと別の“何か”を宿していたのか。
かつて南雲が生徒に語ったという一節が、頭をよぎる。
「本ってね、火にくべられることがある。
でも、火にくべられても、声は消えないんだよ。
読んだ誰かが、その続きを覚えてるから」
その言葉を信じた子どもたちは、今も誰かの“タイムライン”の中で、
名前のない投稿として、生きているのかもしれない。
**
“雨宿るい”の名前は、その後、検索トレンドから消えていった。
だが、彼女の書いた小説は、いまもネットのどこかで読まれている。
匿名のレビューが、時折こう締めくくられている。
「これは、完全犯罪を成し遂げた
大魔法使いの話ではない」
古賀は、最後の句読点を打つ。
