攻める・越える・立て直す — 日本製薬5社の戦略DNA
FY2025決算で見えた5つの賭け — 武田・第一三共・アステラス・中外・住友ファーマ
5月、日本製薬大手5社が FY2025(2026年3月期、中外のみ2025年12月期)本決算と次の戦略を市場に示しました。同じ「日本製薬大手」とくくられる5社でも、資本配分とR&Dフォーカスは3層に明確に分かれます。第一三共と中外製薬は、資本余力を自社の強みに再投入する「攻め」。武田薬品工業とアステラス製薬は、特許切れと買収資産の消化を乗り越える「越え」。住友ファーマは、財務再建を最優先する「立て直し」です。
本号では、FY2025 決算後の各社の戦略 DNA を、5社のスナップショットと横比較で読み解きます。最後に、機関投資家・大手BD・中堅製薬・創薬スタートアップ・FA/コンサルの5層の読者が、5社をどう「使う」かを整理します。
I. 5社、3層、5つの戦略選択
2026年4月下旬から5月中旬にかけて、日本製薬大手5社の FY2025(2026年3月期)本決算が出そろった[1][2][3][4][6]。中外製薬のみ12月決算で、1月29日に2025年12月期を発表している[5]。つまり、ここ4カ月で日本の上位5社の手の内が見えた。
各社が決算と同時に市場へ出したメッセージは、はっきり違う。武田薬品工業は、VYVANSE 米国独占権の喪失後を3本柱の新製品で越えると宣言した[1]。第一三共は ADC を中核に据えた新5カ年計画で「FY2030 売上3兆円超、営業利益6,000億円超」を掲げた。さらに、2030年代前半に営業利益1兆円を狙うとした[3][8]。アステラス製薬は買収後の Strategic Brands を売上化しながら、R&D を絞ってマージンを戻す回復局面に入った[4]。中外製薬は Roche グループの高収益エンジンを維持し、自社創製と外部導出をさらに厚くする戦略を再確認した[5]。住友ファーマは黒字化を実現したが、北米3製品依存と財務再建をどう両立するかが次の焦点である[6][9]。
この違いは、新製品の差や決算数字の差だけではない。より根本には、資本をどこへ振り向けるかという選択がある。5社の戦略選択は「動詞」で読める。第一三共と中外製薬は 「攻める」。武田薬品工業とアステラス製薬は 「越える」。住友ファーマは 「立て直す」。この3層が、資本配分とR&Dフォーカスの違いを生んでいる。同じ「日本製薬大手」というカテゴリだけで5社を並べると、この差は埋もれてしまう。
本号では、5社を3つのグループに分ける。攻める2社(第一三共と中外製薬)、越える2社(武田薬品工業とアステラス製薬)、立て直す1社(住友ファーマ)である。同じ「攻め」「越え」「立て直し」でも、読者はそれぞれ別の問いで読むはずだ。本号の最後(§VI)で、5層別の「持ち帰り方」を集約する。
II. 横比較:資本配分とR&Dフォーカスの一枚絵
まず数字で並べる(表1)。
表1:日本製薬大手5社 FY2025本決算 / 直近通期見通し 横比較
観点 武田薬品工業 第一三共 アステラス製薬 中外製薬 住友ファーマ 売上規模・営業利益率 売上4.51兆円、営業利益率9.1%、Core 26.0% 売上2.12兆円、営業利益率10.8%、Core 17.0%程度 売上2.14兆円、営業利益率17.9%、Core 26.0% 2025売上1.26兆円、IFRS営業利益率47.6%、Core 49.5% 売上4,533億円、営業利益率23.7%(一過性含む) R&D比率(売上比) ※要確認(FY2024 7,299億円から大きく動かず想定) 約4,650億円見込み、約21.9%(※要確認) 3,148億円、14.7%(前年比 3.9%減) 1,801億円、14.3% FY2026見通し 510億円、9.4% 配当性向・自社株買い 累進配当、FY2026配当予想204円。大型自社株買いは確認できず 調整後DOE 10%以上、累進配当。2025年4月公表の上限2,000億円自社株買い枠 FY2026配当予想80円、配当性向47.8%。機動的自社株買い方針 FY2025年間配当272円(普通122円+創業100周年記念150円)、FY2026予想132円 FY2025配当0円、FY2026予想未定。負債返済優先 主力モダリティ 低分子・血液・免疫・希少疾患・血漿分画 ADC・抗体・低分子 ADC・抗体・低分子・眼科。細胞/遺伝子は選別 抗体・バイスペシフィック・低分子。遺伝子/細胞は Roche 導入含む 低分子・再生医療/細胞・泌尿器・精神神経 領域フォーカス 消化器・希少疾患・血液・免疫・神経 オンコロジー、特にADC オンコロジー・眼科・免疫・女性ヘルス オンコロジー・免疫・神経・眼科・血友病 精神神経・泌尿器・再生医療 直近24カ月のM&A・大型ライセンス Protagonist 提携由来 rusfertide、Nimbus 由来 zasocitinib 等の刈り取り局面 Merck との ADC 大型提携、AstraZeneca との ENHERTU/Datroway 提携継続 Iveric Bio 買収後の IZERVAY、Propella、Vir 等の提携 Renalys、Gero、Rani、Roche 導入・導出 アジア事業一部譲渡、Roivant 関連整理、iPS/北米製品集中 海外売上比率(特に米国) 海外比率高、米国依存大(厳密値※要確認) ENHERTU/Datroway 拡大で海外比率上昇、米国・欧州が成長源 XTANDI/PADCEV/IZERVAY で米国比率高 海外売上 約6,054億円、製品売上の約56%、Roche向け輸出大(出典・定義※要確認) 北米セグメントが中核、FY2026北米売上4,064億円見通し 想定リスク VYVANSE 後の谷、上市成功、負債、薬価 ADC 集中、製造・CMO、提携利益分配、競争 XTANDI 依存、買収資産減損、眼科競争 Roche 依存、薬価、バイオシミラー、導出先開発 北米3品集中、負債、再建の持続性、一過性利益
出所:各社 IR 開示 [1]-[6] を基に筆者構成。
この表から、3つの構造的な差が見える。
第一に、売上規模と資本余力は一致しない。武田薬品工業は売上4.51兆円で5社最大だが[1]、特許切れと負債管理の制約がある。還元の自由度は限定的だ。逆に中外製薬は売上1.26兆円で、2位の第一三共の6割弱にとどまる。しかし IFRS 営業利益率47.6%・Core 49.5%という収益性は、日本製薬では突出している。配当と研究投資を同時に回せる体質だ[5]。住友ファーマは売上4,533億円の規模で再建を進めている。利益率は23.7%まで戻ったが[6]、財務健全性の回復が最優先の局面である[9]。
第二に、R&D比率の格差は戦略の差である。第一三共は約21.9%(売上比)と推定され、5社で最も高い(※要確認、公式 PDF 直接照合は次フェーズで実施)。これは「ADC への全資本集中」という選択の帰結だ。新5カ年計画では、この比率を維持しながら2030年売上3兆円超を狙う[3][8]。アステラス製薬と中外製薬は14%台で、買収資産の売上化と Roche 連携収益の刈り取りに重心を置く[4][5]。アステラスは FY2025 で R&D を前年比3.9%減と意図的に圧縮した。SMT(社内臨床試験能力の内製化)で約100億円のコストも節約している[4]。住友ファーマは FY2026 で 9.4% まで絞り、研究投資を意図的に圧縮している[6]。武田薬品工業は数字未確定だが、Core ベースで7,000億円規模を維持していると推定される。絶対額では国内最大級だ。
第三に、株主還元の格差は「資本市場規律の幅」を示す。第一三共は2,000億円の自社株買い枠を実行中で、調整後 DOE 10%以上の累進配当を掲げる[3]。中外製薬は普通配当122円に創業100周年記念配当150円を上乗せし、年間272円を出した[5][10]。FY2026 も Core 配当性向44.7%の高水準を維持する見込みである[5]。武田薬品工業は累進配当を維持する一方、調整後 Net debt/EBITDA 2.6倍を踏まえ、自社株買いには慎重だ[1]。アステラス製薬は配当性向 47.8% の機動配当で回復に合わせる[4]。住友ファーマは無配で、財務健全性の回復を完全に優先する[6]。
規模ではなく、何に資本を配分しているかで分けると、5社は明確に異なる戦略選択をしている。
III. 攻める2社:第一三共と中外製薬
「攻める」とは、特許切れや負債管理に大きく縛られず、自社の強みに資本を再投入できる状態を指す。この基準で見ると、第一三共と中外製薬は攻めの2社である。ただし、攻め方の中身は対照的だ。
第一三共:DXd ADC への全資本集中
第一三共は2026年5月11日、新5カ年計画(FY2026-2030)を公表した[3]。骨子は明快である。FY2030 までに売上3兆円超、営業利益6,000億円超を達成し、2030年代前半には営業利益1兆円を目指す[3]。その達成手段の中核は、DXd(独自リンカー・ペイロード技術)を用いた ADC(抗体薬物複合体)である。ENHERTU、Datroway、HER3-DXd、I-DXd、R-DXd の5剤を主軸に、2030年までに20以上の新適応で市場拡大を進める計画だ[3][8]。オンコロジーで2030年売上2.3兆円超、2035年にはオンコロジーグローバルトップ5を目指すとも明示している[8]。
ただし、FY2025 単年では一過性費用が出た。ADC 供給計画の見直しに伴い、CMO(医薬品受託製造業者)への損失補償約757億円と、小田原工場での ADC 関連設備投資の減損約193億円を計上した。その結果、FY2025 通期営業利益見通しを2,290億円に下方修正している[2]。製造インフラへの集中投資は、規模が大きいほど誤差の振れ幅も大きくなる。
注目すべきは、この製造リスクに直面しても、5カ年計画で大型自社株買いを継続する方針を変えなかったことだ。2025年4月に公表した上限2,000億円の自社株買い枠は、エンハーツを中心とするキャッシュ創出が見えてきた段階でのシグナルである。投資家には「成長株からキャッシュリターン株への移行」を示している[3]。R&D 集中と株主還元を同時に出せること自体が、第一三共の戦略の自信を示す。
第一三共が ADC への全資本集中を続けられる背景には、3つの累積的な条件がある。
第一に、DXd 技術プラットフォームへの長期投資の蓄積である。2007年の第一製薬と三共の経営統合以降、ADC は社内で20年級の研究投資を受けてきた。エンハーツの FDA 承認(2019)と ダトロウェイ(HER2低発現乳がんの第二弾 ADC)の追随(2025)は、その20年の積み上げの結実である[11]。短期業績ではなく、長期 R&D の累積投資が、現在の集中投資の原資を作っている。
第二に、AstraZeneca および Merck との大型提携契約である。2019年3月の AstraZeneca との エンハーツ共同開発・販売契約は、一時金 $1.35B にマイルストーン最大 $5.55B、合計最大 $6.90B という規模だった[11]。日本では第一三共がエンハーツの独占権を保持する。世界(日本外)では、AstraZeneca と50/50で開発・商業化費用および利益を共有する構造である[11]。2023年の Merck との Datroway、HER3-DXd、I-DXd を含む3剤の共同開発契約も同等規模である(※要確認)。提携金は ADC への追加投資原資になった。加えて、共同販売により先進国市場へのリーチも一気に確保した。
第三に、心血管領域の安定収益と、Daiichi Sankyo Inc. の米国オンコロジー販売網である。リクシアナを含む心血管領域は、ADC が立ち上がるまでの収益基盤として機能してきた。米国子会社 Daiichi Sankyo Inc. はエンハーツを AstraZeneca と共同販売する販社体制を構築している[11]。提携利益配分後も、安定したキャッシュ流入を得ている。
この3条件が同時に成立している。だからこそ、「集中投資をしながら自社株買いも回す」という、本来は両立しにくい資本配分が可能になっている。
第一三共の攻め姿勢が崩れるリスクとして、観察すべきマイルストーンは以下である。
HER3-DXd(パトリツマブ デルクステカン)や I-DXd(イフィナタマブ デルクステカン)の Phase 3 主要評価項目未達。5剤同時並行の集中投資は、1剤が崩れても計画全体の前提に影響する[3][8]。
ENHERTU の競合 ADC のシェア侵食。乳がんでの Pfizer/Seagen の Padcev、AbbVie の Elahere、他社開発中の HER2 系 ADC が想定以上に伸びれば、ENHERTU の米国売上の頭打ちが早く来る可能性がある。
ADC 製造能力のさらなる拡張投資の必要性。2026年5月の CMO 損失補償(757億円)と小田原工場の減損(193億円)は一過性として整理されている[2]。ただし再発すれば、「集中による単一リスク」として市場の評価が変わる。
AstraZeneca や Merck との提携利益分配の renegotiation。共同販売国の追加、適応拡大の優先順位変更、新規 ADC の提携枠組み交渉などで提携利益配分が変われば[11]、第一三共のキャッシュ創出シナリオも変わる。
米 IRA(インフレ抑制法)や MFN(最恵国待遇)案による ADC の薬価交渉対象化。ENHERTU の米国 NPV が引き下げられれば、5カ年計画の数字前提が修正される。
これらは「攻めを維持できる前提」を読者が継続観察するためのマイルストーンである。「攻めの会社」というラベルは固定ではない。四半期ごとに前提を再確認するべき、動的な評価になる。
中外製薬:Roche グループ内の高収益エンジン
中外製薬の2025年12月期決算は、Core 売上収益1兆2,579億円、Core 営業利益6,232億円、Core 営業利益率49.5%で締まった[5]。日本製薬の中で、この収益性は突出している。海外売上は約6,054億円、製品売上の56%を占める。その大半は Roche グループへの輸出と Hemlibra 等のロイヤルティで構成されている。
これは単なる「Roche 依存」ではない。Roche グループ内で、日本発の創薬・開発をレバレッジするモデルと読むべきである。中外製薬は、自社創製・Roche 導入・外部導出という三層構造で R&D ポートフォリオを設計している。最近では、中外創製の経口 GLP-1 受容体作動薬 orforglipron を米 Lilly が肥満症の米国 NDA(新薬承認申請)に進めている。自社アセットの価値最大化を「自社グローバル販売」だけでなく、「導出による最大化」で達成する事例も生まれている[5]。
資本政策では、2025年年間配当を272円(普通配当122円+創業100周年記念配当150円)で出した[5][10]。そのうえで、FY2026 予想配当132円を Core 配当性向44.7%の水準で維持する方針である[5]。研究開発費は1,801億円で売上比14.3%[5]。日本企業の標準より高めだが、第一三共ほどの集中投資ではない。「攻めるが、自社単独で全部抱え込まない」というのが中外製薬のスタイルである。
中外製薬が高収益と継続的な研究投資を両立できている背景には、Roche グループとの特殊な提携構造がある。
第一に、2002 年の Roche との戦略的提携で得た日本国内の独占ライセンス権である。Avastin、Tecentriq、Vabysmo、Hemlibra など、Roche グループの主要オンコロジー・血友病・眼科製品の日本販売権を持つ。これにより、国内で安定した高粗利の収益を上げている。Roche のグローバル研究パイプラインを、日本市場でほぼ無調達で活用できる構造だ。
第二に、自社創製品の Roche グローバル販売網への接続である。Hemlibra(エミシズマブ、血友病A)、オクレリスマブ等の中外創製品は、Roche の世界販売網で展開される。ロイヤルティと製品マージンが、安定して中外に還元される。日本企業が単独で構築するには重い販売投資負担を、Roche に外部化できている。
第三に、極めて強固な財務基盤である。純有利子負債が小さく、内部留保が厚い。これにより、100周年記念配当150円を上乗せできる強さ[10]、研究投資14.3%(売上比)を継続できる余力[5]、Renalys、Gero、Rani などの外部導入を機動的に進める柔軟性を同時に確保している。
第四に、orforglipron 型の「自社販売以外」の価値最大化モデルである。自社で世界販売網を持たないという制約を、海外大手製薬への導出(Lilly 経由の orforglipron)で逆手に取っている。提携先のリーチを使い、自社アセットの NPV を最大化する戦略を、中外は日本企業の中で最も洗練させている[5][7]。
中外製薬の攻め姿勢が変わる可能性のあるマイルストーンは、以下である。
Roche 親会社の戦略シフト。Roche の独占ライセンス権の見直し、または日本市場での Roche 直販体制への移行があれば、中外の収益基盤は大きく変わる。過去 25 年は安定した関係だが、提携契約は永遠の保証ではない。Roche グループの経営体制変更や、グローバルでの販売直営化トレンドは注視に値する。
Avastin、Hemlibra、Vabysmo などの主要品のバイオシミラー進出加速。特に Avastin は、すでにバイオシミラーが日本市場に存在する。薬価改定でシェアも侵食されている。Hemlibra や Vabysmo でも後発参入が現実化すれば、国内収益性が変質する。
Hemlibra の競合。新規 FVIII mimetic 抗体、CRISPR Therapeutics の血友病遺伝子治療等によるシェア低下が起これば、中外創製品の海外売上の柱が揺らぐ。
Lilly の orforglipron の米国 FDA 承認のタイミングと、それに伴う中外へのロイヤルティ流入規模[7]。これは下振れリスクであると同時に、想定以上に伸びれば中外のキャッシュ余力をさらに押し上げる「攻め」加速イベントでもある。
100周年記念配当の reversal。記念配がなくなる FY2027 以降のレギュラー配当水準(FY2026予想ベースで132円[5])について、株主が「記念配水準は二度と来ない」と認識する瞬間が、市場の評価軸を変える可能性がある。
中外製薬の「攻め」は、Roche グループとの安定した提携を前提とした収益構造に支えられている。その安定が崩れる事象が、最大の警戒点だ。
IV. 越える2社:武田薬品工業とアステラス製薬
「越える」とは、特許切れや既存主力品の頭打ちを、次の局面へ移すための再設計を指す。武田薬品工業とアステラス製薬は、それぞれ違う形でこの局面を進めている。