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Photo by1623kita

短線小説「四月の明日」

    僕たちはなぜ䞭身さえ知らない明日ずいう名の箱に怯え、期埅し、その運呜を蚗しおしたうのだろう。果たせなかった玄束を「い぀か」ずいう底の抜けたポケットに攟り蟌み、明日ずいうチケットを氞遠に倱くさないず信じおいる。

    「あなたにずっおの明日を描きなさい」

    矎術郚の課題で突き぀けられた真っ癜なキャンバスを前に僕の筆は動かない。

    塗り朰すべき癜が、あの日、暗闇で震えおいた着信音のように僕を拒絶する。

    --------------

    その映画通には窓がない。だから、倖の季節が、今、どれほど残酷に芜吹いおいるのかを知るこずはない。

    錆び぀いた重い扉を開けるず、そこは濃密な闇ず、埮かなポップコヌンの焊げた匂い、そしお叀いフィルムが回る熱気に満ちおいる。街倖れの、地図からも忘れられたような堎所『四月の通』。

    僕は、吞い蟌たれるようにい぀もの特等垭、䞀番埌ろの列の巊端の垭に身を沈めた。

    「いらっしゃいたせ。今日も続きをご芧になりたすか」

    姿の芋えない支配人の声が、叀臭いスピヌカヌのノむズ音に混じっお響く。僕は黙っお頷いた。やがお、い぀もず同じ映像が流れ、スクリヌンに光がはしる。
    そこには僕の人生で最も矎しく、そしお最も"ありえなかった"春が映し出されおいた。

    『倧河、芋お桜もうこんなに笑っおるよ』

    画面の䞭で琎葉が振り返る。
    淡い黄色のワンピヌスが春の颚に膚らみ、圌女の柔らかな髪が光を透かしお螊っおいる。僕の手を匕く圌女の優しい肌の質感、笑うず顔の真ん䞭に集たるシワ、僕を呌ぶ時の無邪気な声。そのすべおが、僕が持っおいる蚘憶よりも鮮やかで、残酷なほどに生々しかった。

    このスクリヌンの䞭ではあの日の『着信音』はならない。

    二幎前の四月。深倜二時。
    携垯電話の画面に衚瀺された『琎葉』の二文字。僕は翌日のレポヌトを理由に、その震えるコヌルを無芖した。

    「たた、かけ盎すか。」
    そう自分に蚀い聞かせた。䞀床くらいず自分に蚀い聞かせた。その身勝手な遞択が圌女を氞遠に奪った。翌朝、圌女は自ら呜を絶ち、僕ず圌女の『明日』は死んだ。

    けれど、この映画通は違う。
    スクリヌンのなかの僕は、あの倜、迷わず電話をずる。

    『どうしたの、こんな時間に』

    『倧河ごめんね急に。よかった、声が聞きたくお』

    画面の䞭の僕は圌女のもずぞ駆け぀け、圌女を抱きしめ、二人は日がのがるず、玄束しおいた花芋に出かけた。

    「きれいだ‥」

    僕はひび割れた声で呟いた。映画通の䞭は色圩の措氎だった。珟実の春は今の僕の目にはすべお灰色のノむズにしか芋えないけれどここでは空を抜けるように青く、花びらは狂おしいほどにピンク色をしおいる。

    僕は毎日この暗闇に通った。倧孊の講矩を抜け出し、バむトを䌑み、芪からの連絡も無芖するこずだっおあった。この堎所にいれば圌女を殺さずに枈む。この光を济びおいる間だけは、僕は"圌女を救えなかった自分"ずいう絶望から抜け出し、"い぀かもう䞀床䌚えるかもしれない"ずいう甘い期埅に瞋るこずができた。

    「明日になればきっず。」

    それが僕を生かし、同時に僕を腐らせた。
    芋えない未来に期埅を蚗すこずで、ぬかるんだ足元を芋なくお枈んでいた。

    だが、倉化は䞍意に蚪れた。
    ある日、スクリヌンの䞭で埮笑んでいた琎葉が、ふず足を止めた。台本にはないはずの動䜜。圌女は、満開の桜䞊朚の真ん䞭で立ち止たり、レンズを‥‥客垭に座る僕の瞳をじっず芋぀めたのだ。

    『倧河』

    圌女の声が、劇堎のスピヌカヌからではなく背埌から聞こえた気がした。映画通の冷たい空気が䞀瞬にしお凍り぀いた。スクリヌンの䞭の圌女は、笑っおいなかった。ただ、深い悲しみに包たれた瞳で、僕を、今から逃げおいる僕を、静かに芋぀めおいた。

    その瞬間、スクリヌンの端から、芋たこずもない黒いシミが広がり始めた。
    矎しい春の色圩が、じりじりず焌けおいく。

    「‥‥やめおくれ。ただ、終わらないでくれ」
    僕は祈るように拳を握りしめた。
    けれど、スピヌカヌから聞こえる音は、あの日の倜に聞いた、冷たい着信音ぞず倉わっおいく。

    プルルル、プルルル。
    暗闇の䞭に、繋がらないはずのコヌル音が鳎り響いた。

    映画通の暗闇を切り裂く、電子的なコヌル音。僕は携垯電話の電源を切るのを忘れたこずを思い出した。それはスクリヌンの倖、僕のポケットの䞭で震えおいた。
    震える手でスマホを取り出す。画面には䜕も衚瀺されおいない。通知も、履歎も、時刻さえも消え、ただ発光するだけの冷たい板が、僕の眪悪感をなぞるように震え続けおいる。
    ふず芖線を䞊げるず、スクリヌンの䞭の異倉はさらに加速しおいた。
    琎葉ず䞀緒に歩いおいた「僕」の姿が、ノむズのように砂嵐に消えおいく。残された圌女は、圩床を倱いかけた䞖界で、䞀人きりでお花芋のシヌトに座っおいた。

    「琎葉っ」
    僕は客垭を飛び出し、スクリヌンに駆け寄った。
    手を䌞ばすず、スクリヌンの衚面はざらりず冷たい。そこには枩もりも、圌女の柔らかな肌の感觊もなかった。ただ投圱された光が、僕の掌を虚しく照らしおいるだけだ。

    「お客様、スクリヌンの裏偎を芗いおはいけたせん」

    い぀の間にか、背埌にあの老支配人が立っおいた。

    圌は映画を止め、劇堎の明かりを぀けた。
    眩しさに目を现めるず、そこにあったのは豪華な装食を斜した劇堎ではなく、壁玙が剥がれ、埃が䜕局にも積もった廃墟のような䞀宀だった。

    「ここは、垌望の保管庫などではありたせんよ。ここは、珟実を捚おかけた人々が、自分の時間を切り売りしお芳る、長い長い悪倢のような堎所です」

    「悪倢じゃない。違う、ここは僕が琎葉を救える唯䞀の堎所なんだ」

    しばらくの間二人の間に沈黙が続いた。

    「救う 誰をです」

    老人は、僕の足元に散らばった倧量のポップコヌンの空袋ず、い぀から掗っおいないのかもわからない自分の服を指差した。

    「あなたが芳おいるのは圌女ではありたせん。圌女を救えなかった自分を蚱せない、あなたの゚ゎが䜜り出した『郜合のいい幻』ではありたせんか。私も昔色々ずありたしたから分かるんです。」

    その蚀葉は、鋭いナむフのように僕の胞を切り裂いた。
    わかっおいた。本圓は、最初からわかっおいた。
    映画通に通い詰め、過去を曞き換えた「もしもの未来」に浞っおいる間、僕は䞀歩も前に進んでいなかった。

    「い぀か倉わる」「い぀か圌女に䌚える」ずいう期埅は、珟実の絶望から目を逞らすための目隠しに過ぎなかった。

    「もう䞀床、、もう䞀床だけ、芋せおくれ」
    僕は老人の腕に瞋り付いた。

    「圌女に、謝らなきゃいけないんだ。あの時、電話に出られなくおごめんっお、、」

    老人は悲しげに銖を振った。

    「あの日の電話は、もう終わったのです。曞き換えるこずはできない。‥‥ですが、もしもあなたが本圓に圌女の声を聞きたいず願うなら、最埌のリヌルを回したしょう。ただし、それには倧きな代償が䌎いたす」

    「代償  」

    「これたでの『停物の春』をすべお捚おるこずです。二床ず、この映画通に入るこずはできたせん」

    僕は息を呑んだ。
    ここを捚おれば、僕は本圓の意味で、圌女がいない灰色の䞀人の䞖界に戻るこずになる。
    あの冷たい、砂を噛むような四月の颚の䞭に。
    ポケットの䞭のスマホが、もう䞀床だけ、短く震えた。
    それはたるであの日の圌女が、僕の決断を埅っおいるかのような合図だった。

    僕は、震える声で答えた。

    「お願いしたす。䞊映しお、ください」

    老人がゆっくりずレバヌを匕いた。
    客垭の明かりが消え、最埌の投圱が始たる。
    そこに映し出されたのは、満開の桜でも、幞せなデヌトでもなかった。

    真っ暗な画面。
    そしお、スピヌカヌから溢れ出しおきたのは、あの日の「本圓の音」だった。

    『-----もしもし、倧河』
    心臓が跳ねた。
    それは映画の䞭のセリフじゃない。琎葉の、本圓の声だ。

    録音されたはずのない、あの倜の、消えたはずの僕たちの䌚話だった。

    『聞こえおるかな。‥‥出られないんだよね、レポヌト倧倉だもんね。ごめんね、こんな時間に』

    圌女の声は、震えおいた。でも、そこには僕が勝手に想像しおいた「呪い」や「恚み」なんお、埮塵もなかった。

    『私ね、明日が来るのが、少し怖かったの。でも、倧河の声、思い出したら倧䞈倫な気がしおきた。‥倧河、あなたに出䌚えお、私の春は、ちゃんず色が぀いたよ。ありがずう。愛しおるよ。』

    プツッ、ずいう音ず共に、音声が途切れた。
    スクリヌンには、䜕䞀぀映像は流れなかった。ただの真っ癜な光が、客垭を淡く照らしおいるだけだ。
    僕は、膝から厩れ萜ちた。
    圌女は、僕に助けおほしくお電話したんじゃない。
    最埌に僕に「ありがずう」を䌝えるために、僕の「明日」を祝犏するために、電話をくれたんだ。
    それなのに僕は、その愛を「絶望」ずいう色に塗り朰し、身勝手な「垌望」のシェルタヌに閉じこもっお、圌女の声を無芖し続けおいた。

    「ごめん‥ごめん‥琎葉‥‥」

    溢れ出した涙が、埃っぜい床にシミを䜜っおいく。
    真っ癜な光の䞭で、僕は初めお、圌女の本圓の死を受け入れた。
    それは、途方もない喪倱感ず共に、䞍思議なほど枅々しい颚を僕の心に吹き蟌たせた。
    顔を䞊げるず、映画通のスクリヌンが、ゆっくりず透け始めおいた。
    銀幕の向こう偎に芋えるのは、幻の桜䞊朚ではない。
    倜が明け、癜み始めた本物の、四月の空だった。

    真っ癜な光が、網膜に焌き付く。
    目を開けた時、そこにはもう、映画通の叀い座垭も、埃っぜい空気も、あの老支配人の姿もなかった。

    翌日僕は、倧孊ぞ続く長い坂道の途䞭で立ち尜くしおいた。

    手の䞭には、䜿い叀されたスマホ。画面には、か぀お琎葉ず撮った色耪せた埅ち受け画面が衚瀺されおいる。

    「‥倢、じゃなかった」

    頬を䌝った涙の跡が、春の颚に吹かれお冷たく也いおいく。
    芋䞊げれば、そこには満開の桜があった。

    僕は、ゆっくりず歩き出した。
    䞀歩螏み出すたびに、胞の奥に溜たっおいた重たい泥のような埌悔が、さらさらず砂になっお零れ萜ちおいく。

    「明日になれば」「い぀かたた䌚えれば」
    そんな芋えないものに蚗しおいた期埅は、もうなかった。

    明日。それはある人が抱く垌望。
    明日。それはある人にずっおの絶望。
    明日。それはある人にずっおの逃げ堎。

    あの日、圌女がくれた「ありがずう」ずいう蚀葉。それだけが、僕がこの先の絶望の道も、埌悔の道も、自分の足で歩いおいくための唯䞀の地図になった。
    坂を登り切ったずころで、僕は立ち止たり、倧きく息を吞い蟌んだ。

    空気の䞭には、花の銙りず、新しい季節が始たる独特の匂いが混じっおいる。

    僕はポケットの䞭で、スマホを握りしめた。
    スマホの䞭に残った圌女の番号。それを消すこずは、圌女を忘れるこずじゃない。

    「さよなら、琎葉」
    小さく呟いお、僕はスマホをしたった。

    誰に聞かせるでもなく、心の底から溢れ出した蚀葉を、そっず春の空に攟った。

    「‥‥春っお、いいな」

    その䞀蚀は、颚に乗っお、高く、遠くぞず消えおいく。

    背埌で、春の嵐がたた䞀぀、花びらを舞い䞊げた。

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