
「4畳半の居候、37歳」 続編ドキュメントパート3
千葉へやって来た頃のワシは、元気だったが、次第に鬱病を患っていった。
次第に、としたのには理由があって、等のワシは鬱状態に気付いていなかったんだ。
コレはコレでヤヴァイのだ。洋次郎。
だが、落ち込んでいる暇など無い。
子供を育てねばならん。
女房は勤めに出た。
しかし問題は、住む場所だった。
何しろ無一文のフトコロ木枯し紋次郎だったのである。
結局、女房の実家に世話になる事になった。
古いマンションの4畳半ほどの一室。
そこで一家3人の居候生活が始まる。
そして、その生活は3年も続く事になる。
今思えば、よくあんな生活をしていたと思う。お義父さんお義母さん、
本日にお世話になりました。土下座ナウ。
だが当時は、生きるのに必死だった。
焦った。
焦った。
もう何処の会社だったかなど、正直どうでも良い。
アセット?だったか?いや違う。
単なる思いつきである。ダジャレか?
兎にも角にもワシは職を転々とした。
外車ディーラー。
スポーツイベント会社。
CM制作の美術会社。
しかし何処へ行っても、上手く行かなかった。
理由は簡単だ。
ワシ自身が、会社員という生き物に向いていなかったのである。
ずっと自営業側で生きてきた。
頭を下げるタイミングも、組織の空気も、何も判らない。
今なら判る。
完全に“扱いづらいオッサン”だった。
しかも短気。
CM制作会社では、直属上司が寝坊で大遅刻をやらかした。
それを許せず、鉄拳制裁。
当然、クビである。
今考えると、本当に救いようがない。
だが、あの頃のワシには、世の中全てが敵に見えていた。
そんな頃だ。
知り合いのツテで、自転車店へアルバイトとして入る事になった。