カルピスサワーな人生
「ほんと俺らって、学割使ってカラオケによく行ってたよなぁ」
「今思うと、〇〇先生のあれって体罰だったよな!」
「〇〇ちゃんの胸の大きさに興奮したなぁ」
久しぶりに同級生と集まると、あの頃の話で当時のように盛り上がる。その瞬間、私も彼らと同じ時間を生きているのだと思えて、少し安心する。しかし、時間が経って
「資産形成とかしている?」
「ハラスメント気にして、後輩に仕事を教えるのが難しいんだよな」
「そろそろ真面目に相手を見つけて、結婚を考えたいなぁ」
という、今の生活や仕事の悩み・愚痴の話になると、やはり私だけ、あの頃に取り残されているのではないかと思い、寂しくなる。
その感覚は年々強く感じる。みな定職に就いて、家庭を築こうとして、人生の参考書の通りに、しっかりと何者かになっている。
だが、私はあの頃とそう変わらない。
お金に余裕なんてない。スーパーに行ってもコスパ重視でその日の晩ご飯を考える。仕事はスキマバイトだから、使い捨ての駒のような扱いである。だから、職場の悩みや愚痴なんて、寝たら忘れている。異性との交流もすっかりないが、推しのアイドルがいて、彼女の存在から幸せを感じている。
そして、いまだに何者でもない自分に、焦りがある。大人になった今では、その焦りは形を変えて私を襲う。友人たちが立派な大人へと変貌していく中で、私は彼らの輪に入れなくて疎外感を感じている。さらには、未来へと進んでいる彼らと、過去に立ち尽くしている自分の間に横たわる、決して埋まらない溝をも感じる。そうして私は、自分が惨めな人間に思ってしまう。
でも私は、決して人生をサボってきたわけではない。ただ、私にとっての「幸せ」が、彼らとは少し違う場所にあるだけだと言わせてもらいたい。
確かに、スキマバイトの生活は安定しているとは言えない。明日の仕事が保証されているわけでもないし、将来の貯蓄も心許ない。でも、その不安定さの中に、私は自由を感じている。上司に気を遣うことも、面倒な人間関係に悩むこともない。仕事が終われば、頭の中はすっかり空っぽになり、今日の疲れを明日まで引きずることはない。そして、私の心を埋めてくれるのは、推しのアイドルの存在だ。彼女がいるだけで、私の世界が彩り豊かになる。彼女は、今の私の生きる支えになっている。そんな彼女に会うために、ライブなどのイベント代を、誰にでもできる、やりがいのないバイトで稼ぐ。それは、誰かにとっては「非生産的」なことかもしれない。でも、私にとって、生きがいであり、青春そのものだ。
青春とは、過去の思い出に浸ることではない。むしろ、何かに夢中になり、心を震わせる瞬間、その連続が青春なのだ。だから、私はこのままでいいと思っている。参考書通りの「大人」になれなくても、世の中に存在する「普通」じゃなくてもいい。私は私だ。
人の生き方や価値観が目まぐるしく変わる昨今。そして、弱い人間たちは、何かに縋ろうとして、ありもしない「正解」を探し彷徨っている。誰もが、何かしらの不安を抱えているようだ。
だから、私は今のままでいいのだ。そう自分に言い聞かせて、グラスに残る発色したメロンソーダを飲み干す。目の前にいる友人たちは、琥珀色のウイスキーを少しずつ呑みながら、私には縁のない話をしている。すでに彼らは、久しぶりに浸った青春から、抜け出してしまっているようだ。
私も、いずれは彼らみたくなる日が来るのだろうか。そんな日が来ることを不安に思いつつも、私は店員を呼び、カルピスサワーを注文した。