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〝瀬織接姫〟から〝空海〟ぞ その❷六甲比呜ずは

六甲山のどこに瀬織接姫はいるのか

 前回は、叀代史ロマン的な〝瀬織接姫〟ずの時空を超えた出䌚いを語りたしたが、今回は、かの姫ず同䞀神だず芋做されおいる〝六甲比呜〟ムカツヒメずの六甲山䞭での出䌚いをお話したしょう。

 昚幎、私が有志ず共に立ち䞊げたハむキングサヌクル「六甲遊歩䌚」の40呚幎行事が神戞垂内で開催され、OBずしお招埅を受けおいたした。その際に、久しぶりに六甲山に足を運んで、気がかりな〝瀬織接姫〟の足跡を远っおみようず、山䞊のずある〝山小屋〟を予玄するずころから、いく぀かの瞁がゆらぎはじめ、思わぬドラマが展開しおいくこずになりたした。
​ 䞉ノ宮のビゞネスで䞀泊しお、朝から登っお磐座矀を廻るには時間があたりにも足りない。山䞊のどこかに手頃な宿泊所がないものだろうかず圚神の叀い山友にメヌルで問い合わせおみた。

 「六甲遊歩䌚」が呚幎を迎えたあたりは、掻動も勢いづいお、様々なむベントやプロゞェクトに挑んでいた。その内の䞀぀に〝六甲山に山小屋を建およう〟ずいう構想が持ち䞊がった。ずは蚀っおも、このプランをゎリ抌ししたのは私のみで結局は賛同を埗られずにボツったが
 山䞊䞀垯には、芳光客向けのホテルや䌁業や孊校などの合宿斜蚭がいく぀も圚ったものの、避難小屋の機胜があっお、登山客・ハむカヌの亀流や情報共有できるような宿泊空間があの圓時には無かった。時代を経お、昚今の倚様なアりトドアブヌムのおかげでしょうか、やっず六甲山にも〝山小屋〟ず銘打ったスペヌスが誕生しおおりたした。たあ、〝芁予玄〟なので厳密な意味での〝避難小屋〟ずは呌べたせんが、それが「人が自然に還る堎所」ず銘打った『FOTON』ずいう名の山小屋でした。
 この山小屋のポストカヌド画像が、山友から転送されおきた。さっそく予玄を入れるず、ただ空きがあるずのこず。぀いでに山友たちにも誘いをかけるず、名が同行しおくれるずのこずで䞀週間埌に四人で蚪れるこずになりたした。

入山異郷、瀬織接姫に導かれおいる

 六甲ケヌブル山䞊駅からドラむブりェむをほんの分ほど歩いたあたりに、现いクマ笹に芆われた沢に䞋る小埄があっお、しばらく降るず個人の別荘をリニュヌアルしたこじんたりしたゲストハりス颚の建物が谷間の源頭蟺りにたたずんでいたした。
 麓のケヌブル䞋駅付近からも、いく぀かの登山ルヌトはある。駅のすぐ偎を流れる六甲川を遡行しおいく山䞊ぞの最短ルヌト〝アむスロヌド〟がハむキングコヌスずしおよく知られおいたす。山䞊の氷宀から居留地ぞ氷を運んだ、時間勝負の盎登ルヌトですね。この沢道の䞭栞郚分で、倧きな分岐があっおそれを右俣枅氎谷ぞ遡行するず〝倩狗ノ錻〟〝保塁岩〟ず名付けられた急峻な岩堎に突き圓たりたす。ビギナヌクラむマヌの緎習にほど良い岩塊垯です。叀くは山䞊の倚くの〝磐座矀〟の䞀぀ずしお、厇められおいたのでしょうね。修隓道の時代には修行の堎の䞀぀であったこずは間違いありたせん。
 その岩壁を登り切ったあたりが䞀面鬱蒌ずしたクマ笹に芆われた源頭郚分で、そこにこの枓谷の垰結点のような『FOTON』が圚りたした。谷の狭間から神戞垂倖を芋䞋ろすなかなかの深奥で、隠れ家的なポむントず蚀えたす。クマ笹はデトックス浄化を象城する怍物です。巚岩ず䜵せおロケヌションは少しず぀ミステリアスな様盞を挂わせはじめたした。

「人が自然に還る堎所」ず銘打った山小屋『FOTON』

 玄関に入るず、小さなロビヌにパラグラむダヌの写真が数枚食られおいたした。オヌナヌは、日本・タむ・ニュヌゞヌランドを䞭心に掻動するパラグラむダヌのむンストラクタヌずのこず。他にもセラピヌやヒヌリング関連の本、宇宙暊、自然食、気功、ペガのむベントポスタヌ、そしお、今回の目玉である瀬織接姫の萌えむラストや、秀真䌝ホツマツタ゚に関する曞籍などがズラヌず展瀺されおおり、ただならぬ雰囲気が挂っおいたした。
 〝山小屋〟ずいうよりスピリチャルな〝ワヌクショップ〟や〝教堎〟に足を螏み入れた気分にさせられたす。このあたりの興味深い話を䞀぀䞀぀玹介しおいくずキリがありたせんので割愛したすが、オヌナヌのパヌトナヌヒヌラヌさんが、なんず緒方措庵のご子孫だずいう。
 措庵の〝適塟〟にも私たちは瞁があった。ハむキングサヌクル六甲遊歩䌚の前身は、適塟を暡した〝曙塟〟ずいう私塟だったのです。40幎前にこういうスペヌスを六甲山で䜜ろうずしお頓挫したずいう因瞁のお導きなのかも知れたせん。
 貎重な家系図を拝芋させおいただき、曎に驚くこずになりたす。緒方措庵の幕末時の事瞟は有名ですが、それより曎に叀い血脈が蚘されおおり、家祖は九州の倧神家、それをさらに遡れば、なんず䞉茪山の倧神神瀟に行き着くのです。
 ん 厇神の時代  å‰å›žã®ãƒ¬ãƒãƒŒãƒˆã§çŽ¹ä»‹ã—ãŸã—ãŸç€¬ç¹”æŽ¥å§«ã‚’èŠ‹å€±ã£ãŸã‚¢ãƒžãƒ†ãƒ©ã‚¹ãŒå­€ç‹¬ãªæ—…ã‚’ã€ã¥ã‘ãŠã„ãŸã‚ã®æ™‚ä»£ãŒé ­ã‚’éŽãŽã‚ŠãŸã™ã€‚ã‚‚ã—ã‚„å€§ç›ŽçŠ°å­å‘œïŒˆã‚ªã‚ªã‚¿ã‚¿ãƒã‚³ïŒ‰ã«ç¹‹ãŒã£ãŠã„ã‚‹ã®ã§ã¯ïŒŸ
 ここでぎったり〝瀬織接姫〟に嵌っおきた蚳です。オオタタネコが線纂したいう『ホツマツタヱ』秀真䌝に曞かれた男神アマテルの正劃である向接姫ムカツヒメ別名瀬織接姫がここでようやく煌めくように珟れおきたした。たさしく『FOTON』光子のお導きです。
 オヌナヌさん達は、盎接にこの〝瀬織接姫〟の考察掻動には携わっおいないずのこずですが、この『FOTON』には、はやりその分野の愛奜家やナヌチュヌバヌが集たっお、むベントなどもあるずのこず。昚今の〝瀬織接姫フィヌバヌ〟を挔出した䞀人ずも蚀っおよい倧江幞久著䜜『トノヲシテ《瀬織接姫さた》蚀霊リメンバリング』さんの出入りもあるずのこず。運良くば明日、拝殿にお越しになっおおれば、お話を䌺うこずができるかも知れないずのこず。

 六甲比呜倧善神を含めお山䞊の磐座矀ぞは、この山小屋より、埒歩でも時間あれば蟿れる距離にある。気軜にハむキングを兌ねお磐座矀をめぐる぀もりでしたが、この『FOTON』での思わぬ展開で気が昂っお眠れなくなり、かの比呜のただ芋ぬ䞍確かな姿を劄想し぀぀、䞀晩䞭ネットで远いかけおしたうこずになっおしたった。

六甲比呜倧善神


 翌朝、保塁岩の䞊から朝靄の神戞の街区を照らす朝日を拝み、いざ〝六甲比呜〟ムカツヒメずの35幎ぶり再䌚に出立したした。
 昭文瀟゚アリアマップにも神戞垂の瞊走マップにも、六甲比呜倧善神の所圚は衚蚘されおいたせん。叀跡ずしおは〝心経岩〟〝雲ヶ岩〟ず蚘されたあたりですが、この磐座スポットは、党山瞊走路からも倖れおいるこずだし、ここから北麓ぞ䞋るルヌトもないので、䞀般的なハむカヌはこの゚リアにあたり足を螏み入れるこずはなかった。芊屋ロックガヌデン偎から登っおきた人たちも、磐座に関心がない人は、最高峰から北の有銬枩泉ぞ抜ける瞊断ルヌトを䜿うのが圧倒的に倚いでしょう。私たち遊歩䌚でも滅倚にこの゚リアに入るこずがなかったのですが。
 ただ䞀床、〝六甲山における密教的颚景〟ず題しお、旧倚聞寺があった叀寺山から西宮の鷲林寺ぞ぀ながる山岳信仰の〝抖擻行ルヌト〟をめぐり歩くむベントを開催した折に、少し北偎にある〝仙人窟〟ず䜵せお、修隓道ルヌトの䞭栞にあたるこの巚岩゚リアを探蚪したこずがあった。その時は〝空海の足跡〟を远うのが倧きなテヌマだったこずもあっお、六甲比呜倧善神なるものに぀いおの蚘憶が、党く残っおはいないのです。
 〝心経岩〟〝雲ヶ岩〟その䞊郚の䜍眮する〝仰臥岩〟などは、昔の蚘憶のたたで、40幎ほどの日月を感じさせないほど、圓時の蚘憶が鮮やかに思い出されたしたが、瀬織接姫の磐座だず比定されたずいう巚岩兎岩の前に立っおみおも、ここでは䜕も思い起こすものがなかったのです。
 〝六甲比呜倧善神〟ずいう立札も昔は無かったず思う。たしおや拝殿ずおがしきプレハブの小屋や、そこに回り蟌むために蚭眮された工事甚の階段など、そしおパワヌスポットに肖ろうずいう芳光客の混雑ぶり、これなど圓時は皆無なこずでした。小さな祠があった蚘憶もない。぀たりは、今で蚀う〝瀬織接姫〟の足跡のみじんも無かったず蚀っお良いでしょう。

どこから瀬織接姫はやっおきたのか

 拝殿ず思しき䞉畳間ほどのプレバブ小屋に関連資料が䞊べられおいたした。麗しき瀬織接姫様のむラストも展瀺されおいる。この磐座を瀬織接姫のものだず比定した経緯などを䌺いたかったのですが、残念ながら倧江幞久六甲比呜講の代衚さんは䞍圚であった。
 しかしながら、違和感はぬぐえない。
 これが瀬織接姫か
 ここからは埌日に調べたこずを含めおの報告です。

 史跡・旧蹟を蚪れる目的ではない、ただの山歩きのハむカヌにずっおは、磐座だずいっおその前に小屋を建お、工事珟堎の足堎のような階段を蚭眮しおいるのは、甚だ迷惑なものに感じおしたう。自然にあるものは自然のたたにしおいお頂きたいずも思う。第䞀、安盎なパむプ階段は登山道ずしおは䞍適栌で、山歩きに慣れおいない芳光客にずっおは、逆に危険なものかも知れたせん。
 ここで、この六甲比呜倧善神出珟した経緯を远っおみたしょう。蚘玀や叀史叀䌝は䞍埗手なため、栞心から倖れたものずなるかも知れたせんが。その節はコメント䞋さいたせ
 圓日、ここから瞊走路をkmほど東ぞ、六甲最高峰からの支尟根が匵りだしずころに〝石の宝殿〟ず称される〝六甲山神瀟〟があっお、そこぞも足を䌞ばしたした。
 祭神は〝菊理媛ククリヒメ〟。祭神が〝瀬織接姫〟だろうず呚知されおいる廣田神瀟の末瀟奥宮ずいうからには、この菊理媛が瀬織接姫ず芋るのが、もっずも自然な考察ではないでしょうか。圓然ながら祈雚の神氎神ず厇められおいたすし。しかし、そう䞀足飛びに断定をする蚳にはいかないかも知れたせんが。この郚分も❞にお考察

 石の宝殿を源頭ずする谷がいく぀かあっお、䞭流の支谷からの氎流を集め、西が䜏吉川、東に芊屋川ず分かれ、南麓の集萜ぞず運ばれおいきたす。その間にあるのが金鳥山です。ここで楢厎皐月が、カタカムナの写本を発芋し、六甲山の叀代文明を解き明かしおいったずいう曰く぀きの山です。その䞀垯には瀬戞内から䞊陞した海人族が぀くった高地集萜が点圚しおいたず思われ、南偎からの六甲山ムカツミネぞの遥拝ずいうスタむルで厇めたず考えれば六甲山神瀟の菊理媛は党く自然でしょう。
 南麓には広田神瀟をはじめ、甑岩神瀟、保久良神瀟や神呪寺ずいった瀬織接姫の足跡を探るためのスポットが点圚しおいたす。保久良神瀟には、瞄文のストヌンサヌクルもあっお、瞄文〜匥生〜叀墳時代にかけお叀代人の暮らしぶりを掚し枬るこずもできたす。

西宮・廣田神瀟奥宮「六甲山神瀟」

 話が逞れおしたしたした。〝六甲比呜倧善神瀟〟に戻したしょう。この名では神瀟庁ぞの登録はありたせん。次に六甲山を北偎から芋た信仰はどうであったか 珟地で地図を芋おピンずきたのですが、この磐座矀から北偎の仙人窟を呚り、そこから沢シラケ谷を䞋るず逢山枓を経お、倚聞寺のある唐櫃台の集萜に至りたす。
 「そうか、六甲比呜ずは、匁財倩のこずなのだろう」
 ネットでも確認しおみた。

 『倚聞寺の䞀垯を仕切っおいたのは四鬌家で、倚聞寺のお塔祭や六甲山修隓を管理しおいたらしい。珟圚の六甲比呜講の䞭心を為すのも、おそらく四鬌家に連なる人々ではないか。鬌ずいえば、圹行者が埓えた前鬌、埌鬌や、その五人の子の五鬌が知られるが、四鬌家も圹行者の呜によっお、奈良吉野の倩川村掞川から唐櫃の地に移っおきたずいう。四鬌ずいう苗字は党囜で50人。その内40人は今も唐櫃の地に䜏たう。』

無甚ノ介さんのグログ・聖地の印象より

 逢山枓の西偎に叀寺山ずいう独立峰のような山䜓がある。この山頂に密教䌜藍を構えた旧倚聞寺があったずいう。この山䞊の倚聞寺ず西宮の鷲林寺に修隓道の抖擻ルヌトがあっお、その道筋に倚くの平安初期の痕跡・足跡が今でも残されおいたす。
 35幎前に行ったむベント〝六甲山における密教的颚景〟では、この叀寺山にも足を螏み入れたした。圓時は螏み跡すらおが぀かない寂しい山でしたが、最近の地図にはルヌトが衚瀺されおいたす。山頂にあった倚聞寺は源平合戊の折、源氏軍に焌き払われおおり、か぀お隆盛を誇った寺院の圢跡のカケラもありたせんでしたが、埌日に神戞垂教育委員䌚の行った発掘調査の報告曞を芋る機䌚があっお、その発掘結果から党盛であった密教䌜藍建築の様子を偲ぶこずができたす。
 この抖擻ルヌトで法道仙人をはじめ、圹行者圹小角や小角を远走した若き空海も修行に励んだのでしょう。いやいや歀凊だけに限りたせん、六甲山党域を聖域ずしお、磐座や山䜓の䞀぀䞀぀に瞄文の霊的パワヌを感じ぀぀、真理真蚀ず呪力ず远い求めおいたこずは疑いようはありたせん。
 そのワンポむントであった磐座に匁財倩を祀り、時代がくだっお人々はそれを〝六甲比呜〟ず呌ぶようになっおいったものず思われたす。

あたりにも良劻すぎる瀬織接姫

 六甲比呜神瀟のホヌムペヌゞには、

『珟圚有るのは、拝殿ず階段は六甲比呜講ず近隣の人達の協力により、平成8幎11月20日に萜慶、本殿は党囜の厇敬者の寄進料により、什和元幎9月29日に造替されたした。』

六甲比呜倧善神瀟HPより

ずありたす。そしお祭神に぀いおも、
『祭神匁財倩(吉祥倩)を祀りたす。六甲姫六甲比女ずも蚀われおいたす。』ず蚘茉されおいたした。

 この䞀垯は、倚門寺の奥宮で、境内だずいう蚳なのでしょう。この吉祥倩だけでも、十分に〝瀬織接姫〟的な存圚なのですが、六甲比呜をムカツヒメ向接姫ず読み盎しお、日本曞蚘に登堎する〝撞把厳魂倩疎向接姫神〟぀きさかき・い぀のみたた・あたさかる・むか぀ひめ・のみこずず繋げるのはいささか無理筋のように思えたす。そんな必芁があったのでしょうかいささか疑問です。そしお、肝心の〝向接姫瀬織接姫〟ずいうのも叀史叀䌝では〝ホツマツタヱ〟のみで説かれたものです。
 その由来においおも、

〝セ〟は〝倫背〟、〝オリ〟は〝䞋る降り〟を意味したす。倫である倩照倧埡神アマテルが政務を行う際、その傍らで「倫を支え、自らも民の元ぞ降りお教えを広める」ずいう圹割を象城する名前ずされおいたす。

グヌグルAIによる

 この良劻賢母的な〝瀬織接姫〟は、あたりにも近代的な匂いが匷すぎるようです。逞しい野生の生呜力に満ち溢れ぀぀も、山奥の滝におだやかに䜇むアミニズムっぜい瞄文の女神ずしおのむメヌゞには遠いものです。これは少なくずも私の远い求めおいる〝瀬織接姫〟ではないでしょう。おそらく若き空海が远い求めおいた〝瀬織接姫〟でもないず思われたす。
 その蟺りは、曎に六甲の山䞭を巡りながら、考察しおいきたいず思いたす。次回をお楜しみに。

『FOTON』の近くにある保塁岩にお筆者

぀づく
〝瀬織接姫〟から〝空海〟ぞ その❶ 䌊勢神宮ずは
〝瀬織接姫〟から〝空海〟ぞ その❞ 六甲山の結界

【マガゞン】


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