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薔薇色銀河系探索譚 第一幕〜第四幕

    薔薇色銀河系探索譚

    大学には様々な人種がいる。
    勉学へと邁進し続ける者、堕落を極める者、謎の観光客、謎の長老、エトセトラ。
    そんな中、私の行く道と言えば、堕落でも勉学の探究者でもない。
    日々大学へと足を運び、さして活動的でもあらず、静的でもない。
    この姿を形容する言葉があるとすれば、“大学生”である。

    大学生という言葉は単に大学へ所属している学生を形容するものではなく、私のように課題や出席といった記号的な責務に追われるのみの暮らしを送る者を指すのが当然ではないだろうか。
    薔薇色のキャンパスライフというのは誰もが望むものだが、それを手にするのは僅かな人間であるのだ。
    そう思いたい、そう思わねばならぬ。


    第一幕 薔薇色の天文部

    夜も更け赤子は既に寝静まる頃、私はバイト帰りに大学へと向かった。
    工学部の友人は今日もこの時間まで学業に耽っていると悟っていたのだ。
    彼の友人として、飲みにでも誘うのが私の責務であろう。

    しかし、大学構内を進んで行くにつれ、なにやら複数の男女が楽しげに騒ぐ声が聞こえるではないか。

    声の元を辿ってみれば、10人ほどの男女の一団が天体望遠鏡を交代で眺め、「すごーい」などと声をあげている。
    全くもって環境にそぐわない行為である。
    こんな夜更けに大学構内で、しかも私はバイト帰りだ。
    これがどこかのデートスポットならば私も足早に退散するのみであるが、ここは我が学舎である。
    なにより我が友人のことを思うと胸が痛い。

    しかし、それが羨ましさから来ているというのは勿論のことである。

    そう考えている内に、一つの記憶が蘇る。
    毎週木曜日の夜に活動している天文部なる団体があったではないか。
    なるほど、これが天文部なるものの実態か。

    私も星を見ることにはいくらか関心がある。
    幼き日のキャンプで見た夜空は今でも覚えている。
    夜空に浮かぶ星は何者かにより作られた偶像であり、それを私が崇拝するとでもいうのか。
    否、断じてあり得ない。
    私は己が道を突き進むのみである。

    と、理性という議会では語っているが、
    本能という議会では別の話が進んでいる。

    このサークルならば、私にも薔薇色の学生生活が、愛しい彼女ができるのではないか。

    議題は理性と本能の両議員同席の脳内総議会へと持ち越された。


    結果、議決を待たずして私の指はスマートフォンを叩いていた。
    すぐさまネットで調べ、天文サークルへと加入希望の旨を伝え、その日は祝杯をあげた。
    私がいつしか購入した高級ウイスキー。
    勿体無さに加え、美味いと思えないという決定的問題により、しばらく眠ったままであったが、ここで使わずにいつ使うか。
    格別のドリンクであるコーラにてウイスキーを割り、一口飲む。
    やはり、コーラが美味いのだ。
    私の暗い大学生活よさらば。
    この炭酸の泡のように消えたまえ。
    そして、コーラの甘味のような薔薇色の生活へと漕ぎ出そう。
    3杯ほど嗜んだ辺りで私は急激な眠気に襲われた。
    アルコールによるものか、コーラの糖分か。
    久しぶりの心地よい睡眠であった。

    数日後、サークルから加入を承認され初めてのサークル活動に加わることになった。
    木曜日、夜8時大学内食堂前集合。
    私は軽やかにステップを踏みながら、食堂へと向かった。
    浮き足立つとはこのことであろう。
    私はその時はさながら月にでもいるかのような浮遊感を感じていたのだ。

    さて、ここからが現実である。
    私が食堂前へと辿り着いた時、そこに居たのはあの夜の爽やかな一団ではなかった。

    視界に飛び込んできたのは、一反木綿を思わせるほど過剰な布面積のパーカーに身を包んだ、幽霊のごとき長身の男。
    その他に目に入る者と言えば、私と同じようなメガネをかけ、その奥に知性を宿しているのが伺える者。
    そして、天文部には到底似つかわしくない筋骨を誇示し、あろうことか天体望遠鏡を軽々と肩に担いだ野獣のごとき男。

    そう、視界に入る全ての生物が男であった。
    どこをどう見渡しても、薔薇色など存在せず、さながら男子校の外遊びを思わせる。

    私は、震える声を絞り出して問いかけた。
    「……女性陣は、本日は欠席ですか?」

    「何を言っている。当天文部は男子しか所属していないぞ」

    嗚呼、宇宙の法則はこれほどまでに残酷なものか。
    私の脳内にあった薔薇色の銀河系は、その一言によってブラックホールへと飲み込まれ、あえなく消滅した。
    私は天体望遠鏡を覗くまでもなく、ブラックホールの観測に成功したのであった。

    こうなれば私も半ば自暴自棄である。
    観測後に新歓でも行われれば、そこでたらふく酒を浴び、飯を食らってやる。
    そのつもりで、表面を取り繕い天体観測へと参加した。

    この天文部をまとめるのは橋本という理学部の先輩であった。
    橋本先輩はただ年功序列でトップへと躍り出たのではなく、カリスマ性と技巧を兼ね備えた人物であった。
    私が「では、この星が見てみたい」と言えば、無駄のない動きで望遠鏡を動かし、星へとピントを合わせる。

    まさか、多様な人種を持つ我が大学はアンドロイドの入学までも許可したのであろうかとさえ思った。
    ここで気になるのは、このアンドロイド橋本の応用力である。
    私が「誰にも知られぬ星を見たい」などと言えばどう反応するのか。

    言い忘れていたが、私の座右の銘は「思い立ったら即行動」である。
    では、なぜそんなくだらない大学生活なんだ。
    と言うのは御法度だ。

    「橋本先輩、私は誰にも知られぬ未知の星を見たいです」

    それまでは何か言えば、コンマ一秒後に動く橋本先輩であったが、この要求に対しては数秒間動きを停止した。

    「君、私は感動しているよ」

    「我が天文部の真の目標は未知の星を発見することなのだよ」

    「そもそもね、天文学の起源は暦を作ることから始まったと考えられている。
    人類が農耕を行うようになると、農作物の栽培や収穫に最適な時期を知るために1年周期の季節変化を正確に把握する必要が出てきたのだよ。
    一方で人類は太陽や星々の観察によって、季節が変化する1年という周期が、」

    その様はアンドロイド橋本ではなく、マシンガン橋本であった。
    マシンガン橋本はオーバーヒートを起こす様子もなく天文について語り続ける。
    これは失策であると断じるのは、もはや愚問である。

    逃げ場を失った私の前に、さらなる災厄が立ちはだかった。あの野獣のごとき巨漢である。

    「なんたることだ。
    我が天文部にこれほど深遠なる志を抱く新人が現れるとは!
    私は感激しているよ。
    幼少期にアーノルド=ローベルの『お手紙』を読了した時以来の衝撃だよ」

    野獣は、感動に打ち震えるその剛腕を、あろうことか私のズボンのポケットへと突っ込んできた。
    「君、身分を明かしたまえ。
    学生証だ、君のことを知りたいのだ!」

    狂気である。
    ゴリラもゴジラももう少しは冷静であろう。
    警察権力でさえ躊躇するであろう横暴な身体検査により、私の財布は白日の下に晒され、学生証が強奪された。
    私の人権よ、さらば。自由よ、さらば。


    第二幕 薔薇色不法侵入

    観測体験会の後、私は居酒屋へと連れられた。
    「今日は奢りだ、好きにしてくれ」
    と言われたものの、早く学生証を返せと思うだけである。

    しかし、私も半ば自暴自棄であった。
    言わばこれは最後の晩餐である。
    私は日本国自由市民という称号を失い、天文部という星を信仰する宗教家達の集まった国家へと所属したのだ。
    どうせ奢りで私の為の会だ。
    たらふく飲んで、たらふく食ってやる。

    私は即座にハイボールを注文した。
    これこそがアルコールの正統な使い道であろう。
    恨み、辛み、悲しみ、あらゆる感情をアルコールの雨で洗い落とすのだ。

    そうであれば良かったものを、やはり納得がいかない。
    あの時の男女は……

    私はやはり諦めきれなかったのだ。
    今いる天文部のメンバーは氷山の一角に過ぎないのではないか。
    次の観測会になれば明るい未来が待っているのだ。

    「橋本先輩!
    一つ私は疑問がある」

    「おお、なんだい?」

    「天文部には女子はいますか。」

    「いやぁ、生憎いないんだよ。
    こちらも頑張ってはいるんだけどね。
    インカレサークルの方に取られてしまっていけないね。」

    インカレサークル?
    あぁ、インカレサークルか……
    いや、インカレサークルか。
    あぁ!
    私は気づいてしまった。
    しかし、今まだ淡い期待を求め、最後の解へと近づいた。

    「少し前に大学で男女が天体観測をしているのを見たんですが……」

    「ああ、あれがインカレサークルだ。
    天文部なんて名前ではなく、よくわからないカタカナの名前でやっているよ」

    「星の観察がメインの活動ではないだろう。
    飲みサーという話もある。
    おそらく、気まぐれで活動しているんだろうね。」

    橋本先輩の言葉に、私は一抹の怒りを抱いていた。
    気まぐれの天体観測などなんたる狼藉か。

    「にしてもなぁ、法律学科か! 頼もしいな。」

    私の陰鬱なる精神を切り裂くかの如く、橋本先輩は嬉々とした表情で言った。

    「そうだ!これからの夜間観測、何か問題が起きた時は君に任せるとしよう。」

    「ん?問題とは?」

    私が聞き返すと、橋本先輩は酔いの勢いを忘れたような様子で答えた。

    「その場に応じてさ」

    私も少し酔っていたのだ。
    記憶は曖昧であった。
    確かなのは、飲みの席が終わった後、奪われた学生証はきちんと返還されたということだ。
    写真撮影という魚拓を取られたうえで。

    「では、運搬係として次からはよろしく頼むよ。」

    去り際にゴリラが言った。
    運搬係? 望遠鏡を運べば良いのか。
    いや、それより

    「あなたはなんて名前だ?」

    「俺は山口龍也だ。文学部史学科の1年だよ。」

    何⁉︎
    このゴリラ男は私と同回生か。
    あれほどの熱量を持っていたというのに、せいぜい一ヵ月の活動歴でしかないではないか。
    それに加えて、文学部かつ史学科だと?
    とは思ったが今のご時世、彼がどこで学ぼうが自由である。
    私は山口と連絡先を交換した。
    同じ1年、同じ文系。
    たったそれだけではあるが、彼とは友人になれるのかもしれない。
    今思えば、私は彼の筋肉に魅入られていた節もあったのであろう。



    翌週木曜日、橋本先輩からマップの写真が送られてきた。
    観測地点であろう場所に赤い丸が付けられている。

    私は大学へと向かい、皆と合流した。
    大学の側には「わ」ナンバーの車が停めてあった。

    私は星よりも先にこのレンタカーに思いを馳せてしまった。
    知らない誰かはどう使ったのだろうか。
    我々は天体観測に使うこの乗り物は、これまでどうやって過ごしてきたのだろうか。

    そんな思いを引き裂くように山口はレンタカーにガチャガチャとダンボールを乗せた。

    「山に行ったらお前が運ぶんだぞ?」

    「おい、やけに大きくないか。
    中身も多すぎる。」

    「そりゃあ天体観測だけなわけないだろう。
    テントにコンロ、色々あるぞ。
    カップラーメンはサービスで君にあげよう。」

    幸せな恋人たちのドライブデートか、あるいは賑やかな家族旅行か。そんな他人のささやかな日常の記憶が染み付いたシートに、私は今、重苦しい身体を沈めている。
    左にダンボール、右に山口。
    山口の筋肉に恨みを抱いたのはこれが初めてだろう。
    脂肪分であればまだクッションになるが、筋肉というのはいかんせん良くない。
    満員電車に於いては非常識であろう。

    車は都会の街灯を離れ、ひたすら暗闇のグラデーションが濃くなっていく地方の山道へと吸い込まれていく。

    やがて、車が道なき道の入り口に停まった。
    ライトを消した瞬間、世界は完全なる漆黒に包まれる。
    私は巨大なダンボールを抱え、天文部一団の後に続いた。
    巨大なダンボールで前が見にくい上に足元もおぼつかない。

    「橋本先輩、なんでこんな整備されていない道なんですか。
    他にマシな道があるでしょう。」

    「いや、道はどれも整備されていないよ。
    この山は私有地だからさ」



    第三幕 薔薇色の銀河系
    私の足は一時停止した。
    私有地という言葉を耳から脳へと伝える間、他の身体機能に労力を割けなかったのだ。

    「おいおい、そんなに心配するな。
    警察もいないし、警備会社もいない」

    山口は笑いながら私の背中をさする。

    確かに警察に捕まるということはないだろう。
    しかし、私の未熟で不完全なリーガルマインドはそれを良しとしなかった。
    未成年は酒を飲めないし、不純異性交友などもっての他。
    そういった保守的、頑固、マニュアル人間と言われるようなものが私の核となる精神であり、美学なのだ。

    「橋本先輩、私は良くないと思います。
    頂上でなくとも、さっきの駐車場で星が見える。」

    「まぁ、そんなに心配しなくていいよ。
    “今は私有地”というような感じだからね。」

    「天文部というのはね、意外と歴史があるんだよ。
    この山はOB達からずっと続く伝統ある場所なんだ。
    だから、最近OB達が立ち上がってこの山を買い取ろうとしている。」

    「色々面倒な手続きがあるからね。
    今すぐとはいかないが、もう天文部の所有物みたいなもんだ」

    天文部の面々を私は低く見積もっていたのかもしれない。
    そんな恥ずかしさが私を襲った。

    それからの私は罪滅ぼしのつもりで黙々とダンボールを頂上へ運んだ。



    私たちが頂上に近づくにつれて、やけに明るい気配がしてきた。
    最終的に頂上に着いた際、そこは既にキャンプ場を思わせる様子だった。
    他の部員たちが手際よく設営を済ませていたのだ。

    「お〜、みんな早いなぁ」
    橋本先輩がのんきに声をかける。
    小さな焚き火台や大型のタープ付きテント、木に繋がれたハンモック。
    そこに集った男ども。

    「さて、新参者は特別待遇だよ。
    こっちこっち」
    橋本先輩は笑顔で手をこまねく。

    私はハンモックへと案内された。
    「さぁ、特等席だよ。
    どうぞ王子様」
    橋本先輩はわざとらしく、手を差し伸べて見せる。

    私はハンモックに手を置き、尻に体重をかけ座ろうとした。
    その瞬間、ハンモックは一回転して私を拒んだ。

    「お〜、暴れ馬に手こずってる」
    山口が笑いながら茶化した。

    「おい、うるさいぞ」
    私はすかさず返した。
    短い付き合いだが、山口はやけに心地よい奴だ。

    私がハンモックで体を揺らして楽しんでいると、山口が近づいて来た。

    「さて、バイト代だぞー」
    山口はそう言いながら、カップヌードルと割り箸を差し出した。

    「キャンプの定番!肉とかじゃないんだよなぁ〜」

    「ありがとう」

    「これ、3分経ったやつか?」

    「お前、そんなに優しさを求めるなよ。
    贅沢な子だね、星でもみて待ってなさい」

    「誰だよ」
    私は笑いながら返した。

    少し星を眺め、カップヌードルの蓋を開けた。
    あらためて見ると、赤と白のお馴染みのパッケージはランタンの灯りに照らされて、闇の中で奇妙な存在感を放っている。

    スープを一口すすると、驚くほどに身体の芯へと温かさが染み渡っていった。
    こればかりは「ジャンクフードを夜食に食べるなど」だの「塩分の過剰摂取が」だのと、脳内総議会が喧しく言い立てることは無かった。

    ランタンの淡い光に照らされた山口の横顔は、昼間のゴリラのような野蛮さはなく、どこか哀愁漂うものだった。
    男だらけの山頂でハンモックに揺られながら啜るカップヌードル。
    私は今までの大学生活でも、この上ない充足感を感じていた。



    「そろそろランタン消すよー」
    橋本先輩が声をあげた。

    一瞬の静寂の後、視界のすべてが濃厚な漆黒のグラデーションに染まる。
    そして、先程以上に無数の光が一斉に網膜へと飛び込んできた。
    薔薇色のキャンパスライフ、学業、将来。
    あらゆるものが一瞬にして夜空に吸い込まれた。

    「……綺麗だなぁ」
    隣で、山口がぼそりと言った。
    恋人に言うものとは違う、しかし心からの言葉だ。
    歴史を愛する文学徒らしい、静かな響きがあった。

    「あぁ」
    とだけ、私は答えた。
    それ以上の言葉は、この完成された夜空に対して無作法なノイズでしかないと分かっている。
    この圧倒的な銀河の質量の前には、今までの労力も、私が後生大事に抱えていた頑固な美学も、すべてが等しく無力で、そしてどうでもいいものだ。
    言葉を失った私は静かに電源を落としつつあった。



    感慨に耽る中、突如として私のハンモックがメトロノームのように大きく揺れ始めた。
    暗い中、目を凝らすと謎の筋肉質の腕が私のハンモックを掴んでいる。
    山口である。

    「おい、やめろよ」
    私は少し笑いながら声をかけた。
    こいつは子供のような無邪気な奴だ。

    「良いではないかぁ」

    「悪代官か」
    私はすかさずツッコミを入れた。

    5月、私は居場所を得た。
    薔薇色の銀河系がここには広がっていたのだ。



    第四幕 ウナギと青空
    今日はあの日と同じ夜である。
    私が天文部へと期待を抱いたあの日と同じ、バイト帰りの夜である。
    私は工学部の友人を飲みに誘いにいくところであった。
    あれから私は天文部に加わり、果てしない星々を見た。
    そして友人を得た。
    そんなことを彼と話したかったのだ。

    まずは彼の話でもしよう。
    彼は高校時代の友人であるが、はっきり言えば、あまり仲が良いわけではない。
    奴は性格が悪いのだ。
    まだ高校2年の頃、私が「君と同大学の法学部を受験する」と言えば、彼は「法学部?なぜ?それが何かに活きるのか?」と言う。
    そこに私が「では、お前はどうだ」と言えば、「私は建築学科だぞ?反論がしたいのか議論がしたいのか明瞭にしたまえ」と返す。
    ウナギのような奴である。
    のらりくらりと議論の場をもて遊ぶ。
    そんな姿から奴は「ウナギ」というあだ名で呼ばれていた。
    注意してもらいたいのはカタカナであることだ。
    これは私のクラスの名付け王が考えついたものであり、彼曰く「ウナギがカタカナであることで機械的気色悪さが目立つ」とのことだ。

    大学には彼しか同郷の友もおらず、高校時代の付き合いも踏まえ、半ば腐れ縁の如きものであった。

    入学当初の私と比べ、天文部という居場所と友人を手に入れた今、私は彼に気高く言おう。
    「私はキャンパスライフを得た!」と。

    私は軽やかな足取りで工学部棟を訪れた。
    夜遅くにも関わらず、未だ煌々と明かりがついている。
    理系、ひいては工学部の恐ろしさを思わせるものだ。

    しばらく歩いている内に、共用スペースでパソコンを開き、何か打ち込んでいる彼を見つけた。

    「ウナギ〜、レポートかい?」

    私が声をかけても、彼はこちらを振り向かず、そのままの姿で言った。

    「飲み会の誘いか?」

    「あぁ、そうだとも」

    「まだ酒も飲めない年齢で飲み会だなんてな。
    高校の頃は飲み会なんて口にもしなかったものをねぇ」

    彼は面倒くさそうに振り返った。
    口ではそう言いながらも彼は荷物をまとめ始めた。
    こういう男なのだ。
    しかし、この一面は好きである。

    「どこに行くんだ」

    「そりゃあ、お馴染みのイタリアンだよ」

    「あそこか」



    サイゼリヤの狭いテーブルを挟んで、何か注文するより先に私は切り出した。

    「私は天文部に入ったのだよ」

    「天文部?これまた物好きだな」
    そう言いながら、ウナギは何かを注文している。
    少し腹が立ったが、私は理解している。
    ウナギはどうせ薔薇色のキャンパスライフなど手にしていない。
    ここは畳み掛けるのみである。

    「お前は最近どうなんだ、工学部棟に籠ってばかりで何かしているのか?」

    「“何か”はしているとも。
    俺はレポートに追われているわけじゃない。
    レポートを追っているというのが正しい」

    「馬鹿な話はよせ。
    結局、勉強ばかりで有意義でないというのだろう?」

    「誰がそんなことを言った。
    私もサークルは入っているぞ。
    旅行サークルだ」

    「旅行サークル?」

    「あぁ、週末はこれで忙しい
    毎日毎日忙しいさ」

    その時、私の脳内には日本庭園が思い浮かんだ。
    あれは高校時代修学旅行であった。
    どこだか知らぬ謎の寺で私は初めて日本庭園を見たのだ。
    しかし、それは美しいというよりは寂しさを思わせるようで、侘び寂びという言葉が酷く憎らしかった。

    その虚しさが今思い起こされたのだ。
    「お前、私以外に友人ができたのか」

    口をついて出たその言葉は、我ながら酷く子供っぽく、店内の喧騒の中で妙に浮いて聞こえた。言わなければよかった、と激しい後悔が込み上げた。

    「失礼しまーす。
    ミラノ風ドリアと辛味チキンです」

    タイミングが良いのか悪いのか、店員が威勢よくテーブルに皿を並べた。

    私は恥ずかしさを紛らわせるかの如く、彼の辛味チキンに手を伸ばした。

    「全部俺のだぞ?
    自分で頼めよ」

    「お前、私の扱いが雑ではないか」

    「そりゃあそうだ。
    どうせ人を見下そうとしてたんだろ」

    こいつ、やはりウナギであった。
    大学生であろうがこいつは変わらないのだ。
    私は今実感した。

    「なぜ、そう思う」

    「これでも付き合いは長いだろう。
    俺はお前との会話に於いて、盤面の覇者なのさ」

    そう言いながら、ウナギはドリンクバーを取りに立ち上がった。

    席に戻ってきたウナギは優雅にカルピスを飲み干す。
    私はその手元を睨みつける。
    こいつが私より先に男女の入り乱れる華やかなサークルに順応しているという事実が、どうしても理解できなかった。
    私が天文部の筋肉ダルマたちと暗闇でジャンクフードを啜っている間に、奴はサークルの人間と小綺麗な観光地へ行き、スタンプ混じりのLINEを交わしていたというのか。

    「私とお前で何が違うんだ」
    心の声であるはずのものがつい、口に出てしまった。

    ウナギはコップを置いて、一息ついた後言った。

    「お前は根本的に違うんだよ。
    最近空を見たか?」

    「空?見たから何になる」

    「世の中というのはな、当たり前を享受することができる奴が幸せを掴むのだ。」

    「宗教か?哲学か?」

    「それが良くないんだよ。
    どうだ、明日一緒に河川敷で空を見ようじゃないか」





    初夏の空気、青空であった。
    新緑というのは既に消え入り、青々とした緑が河川敷を覆っていた。
    私がマップに記された集合場所に向かうと、そこには既にレジャーシートが置かれ、ウナギが座っていた。

    「どうだ?」

    「準備がいいな」

    「さぁさぁ、早く横になれ」
    ウナギは地面をポンポンと叩きながら言った。

    私は仕方なくウナギの横に座り、寝転がった。

    「うわっ、眩しい!」

    「あぁ、そりゃそうか。
    ほら、サングラス貸してやるよ」

    私はサングラスを受け取り、再度横になった。
    「サングラス越しに見る青空というのも悪くないな」

    「そうだろう?
    どうだ何か感じるか」

    「そうだな……
    透明感を謳う絵画も、写実的と言われる絵画も空には敵わないな。
    私はそう思うよ」

    「お前な……」
    ウナギは何か言おうとしたが、そのまま空を見つめていた。

    吹き付ける風はまだ夏のものほど生ぬるくない。
    涼しさを持って私たちの身体へと吹き付ける。
    草花は揺れ、自転車やランニングをする人々の音が聞こえる。



    「なぁ、旅行サークルに入らないか?」
    ウナギが口を開いた。

    「おいおい、私は天文部に入っているんだぞ」

    「それは部活じゃないだろう。
    サークルは複数参加が可能だ」

    「……お前、変だぞ。
    いつも私を嘲笑っている奴が突然なんだ」

    「はっきり言おう。
    俺は居心地が悪い。
    男女仲というのにイマイチ弱いんだ」

    私は高校の頃を思い返した。
    こいつの性格的に男子生徒と盛んに話す雰囲気もないが、それにしても女子生徒と会話している姿を見ていない。

    「お前、そんな弱点があったのか」
    私は薄ら笑いを浮かべながら言った。

    「いや、弱点ではない。
    あくまで育った環境の問題というか……」

    「おやおや、お前ともあろう奴が弱い反論だな」

    「とにかくだ。
    今度の集まりに一度来てくれ。
    話はこちらから通しておく」

    5月の青空の下。
    私はウナギの弱みを得た。
    そして旅行サークルへの切符を手にしたのだ。

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    塵芥 庵(じんかい いおり)と申します。 主に小説、エッセイなど 思いついたものを書いています。

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