講談 闘魚
千代田区一丁目一番地。
誰しもが知るあの住宅。
外はお堀で囲われ、魚たちが泳いでいる。
その中に闘魚という魚がいる。
見たことがない?
それならもっとよく見てみなさい。
今日の話は闘魚の話だ。
時は江戸、徳川綱吉が治める時代。
薩摩の藩邸に住まう大名がある魚を飼っていた。
色は灰色、動きはウスノロ、丸々太ってみっともない。
それは普通の鯉だった。
薩摩藩主はそいつを江戸で買ったらしい。
江戸で飼われた普通の鯉は立派な屋敷に持ち込まれ、藩邸の池に放り込まれた。
薩摩の藩邸は故郷を思わせるように庭やなんかが整えられている。
薩摩の環境そのものだ。
そういや、生き物って言うのは環境に適応するという。
じゃあどうなるかわかるだろう。
気性が荒くなっていった。
それに加えてさつまいもをくれながら育てていたんだとか。
それで生まれた新品種。
それが闘魚って言うわけだ。
どんな特徴だって?
気性は荒くて、身体はデカい。
雷電って知ってるだろ?相撲取りの。
あいつが常に不機嫌みたいなもんだ。
自分より小さな魚は全部餌。
天下の大将軍だ。
そんなある日のこと、徳川公がある決まりを打ち立てた。
生類憐みの令だ。
薩摩の大名は大いに困った。
闘魚は闘う生き物だ。
こんな生き物野放しに置いておけば、
「お前、魚を生き餌にしているらしいな」
たちまちお縄になってしまう。
だったら、どうする薩摩藩主。
すると一人、頭の切れる男が言った。
「灯台下暗しです。
江戸城の堀に放つのです」
「そんなことをしたってすぐに見つかってしまう」
「見つかったからなんだと言うのです。
誰も手出しはできませぬ、令が出ていますから。薩摩の鯉だとわかるはずもない」
さて、その闘魚。
江戸城の堀に放たれてからの話だ。
なにせ気性の荒いあの魚だ。
堀の鯉やら鮒やら、片っ端から追い回す。
おまけに図体もデカくなる。
堀の主のような顔をして、悠々と泳ぎ回っている。
これが噂にならないわけがない。
「近頃、お城の堀に恐ろしい魚がいるらしいぞ
なんでも他の魚を食い荒らして、一匹も逃さないんだとか」
「俺はまるで龍のような魚だと聞いたぞ」
江戸中に広まり、尾ひれがついてどんどん大きな話になる。
気づけば「江戸城の主」だの「水神様の使い」だのと、たいそうな呼ばれ方まで出てくる始末。
そんな噂、将軍の耳に入らぬはずがない。
「城の堀に、さような魚がおるそうな」
綱吉公、大いに興味を持たれた。
なにせ生き物好きで知られたお方だ。
早速家臣に命じて、その魚とやらを見に行った。
「ほう、これが噂の鯉か」
「ははっ、何やら気象の荒さから闘魚と呼ばれているそうで」
「これはこれは見事なものだ。
身体に似つかないこの優雅な泳ぎ。」
綱吉公はいたくご満悦のご様子。
「かような魚、余の城にふさわしい。
これからは丁重に扱え」
生類憐みの令から逃れるために厄介払いしたはずの魚が、まさかの大出世。
「灯台下暗し」どころか、「災い転じて福となす」を地で行く始末。
あの頭の切れる家臣、今度は何と言ったか。
「殿、これも巡り合わせというもの。
なにせ、あの魚は薩摩育ち。
将軍様がお喜びとあらば、薩摩の顔も立つというもの」
苦笑いしながらも、薩摩藩主はこう言うしかなかった。
「そういうことにしておくか」
かくして、闘魚は江戸城の堀の主となった。
今も千代田区一丁目一番地、あのお堀のどこかで泳いでいるという。
見たことがない?
それならもっとよく見てみなさい。
あんたが見たあの魚、案外あれかもしれないよ。
あとがき
本作品はフィクションです。
鯉は基本的に共食いはしないらしいですね。
あんなに獰猛に見えるのに意外なものです。