
カルタ
「ねぇ」
縁側の揺れ椅子に後ろから声がかかる。窓の外をぼーっと眺めていた私が振り返ると、姉が立っていた。いろはかるたを水戸黄門の印籠さながらに掲げている。
「せっかく正月だしさ、久々にやらない?」
「カルタするよ!」
姉の足元では意気揚々と甥っ子が目を輝かせている。
せっせと札を広げる姉とその息子を見ながら、ゆっくりと畳に腰を下ろす。
ダイニングからは駅伝の激闘を伝えるテレビの実況と、ろくに運動もしてこなかったわりに選手に辛辣な野次を飛ばす父親の声が聞こえる。
「じゃあいくよ!」
四つん這いに目をひん剥いて臨戦体制に入る甥っ子の隣、姉の声に耳を澄ます。咳払いとしばしの沈黙の後、姉が読み上げる。
「【嘘から出た実】」
「う、う、う、これ!」
パシンと音を立てて誇らしげな甥っ子。
「次ね…【縁は異なもの味なもの】」
「お、これだ。」
軽く叩いて札を取る。
「なにそれ、どういう意味?」
取れなかったのは意味を知らないから仕方ないと言わんばかりに、甥っ子が口を尖らせる。
「男の人と女の人はどこでどう結びつくかわからない不思議なものってことよ。これはちょっと難しいね。」
姉が説明しながら苦笑いする。
別に彼女に特別興味があったわけではなかった。仕事や過去の恋愛、身の上話。次から次に飛び出す悩みに、少し同情しただけだ。居酒屋のカウンター、少ないツマミに酒を飲みながら、聞けば聞くほど芋づる式に連なる愚痴の数々。聞くばかりなのもな、と思いつつ、自分の経験も織り交ぜながら、相槌を打つ。どういうわけかそれが気に入られたようで、彼女からは月に数度、呼び出されるようになった。そんな風にして彼女は、居酒屋で飲んでは家に来る。時間はあったし、在宅での仕事だと人と話す機会も少なく、私にとっても息抜きにちょうどよかったのだ。
「【骨折り損のくたびれもうけ】」
しかし、他人の愚痴を聞き続けるのもなかなかすり減るものだった。年末には仕事も忙しくなり、こちら側の余裕も少しずつなくなっていた。おそらくそれはなんとなく、彼女にも伝わっていたのだろう。
「全然好きって言ってくれないね」
あの日、アパートの階段を登りながら、酔った彼女が突然言った。
「【塵も積もれば山となる】」
積もった山が少しずつ崩れ始めた。
「なにが?」
「わかってるくせにー」
彼女はケタケタと笑った。
プツンと音を立てて、私の中で雪崩が起きる。
「好きなら好きって言ってるよ。」
「え?」
彼女は段の下から驚いたようにこちらを見上げた。
「こんなに会って話して家まで行って、じゃあ私はなんなの?」
「…僕こそなんなのさ。キミは話を聞いてくれる僕が好きなだけでしょ。お互い都合よくやってたじゃない。」
「そんなことない!私は!」
目に涙を浮かべて大きな声を出す彼女を、さらに大きな声で制していた。
「僕を何か掘り下げようとしたことある?キミは別に僕に興味がないじゃないか。」
「【屁をひって尻すぼめる】」
そこまで言う必要はなかった。そう思った矢先、鈍い音と共に鋭い痛みが頬を打った。手を上げた彼女は大粒の涙を流しながら踵を返し、ドンドンと音を立てて階段を駆け降りて行った。
その背中に慌てて手を伸ばしたものの、何も言えなかった。
「【身から出た錆】」
み、と書かれた目の前の札に手を置く。パチン、と音を立て、甥っ子の小さな手が私の手の甲を打った。
「くっそー!」
悔しがる少年に自分を重ね、声をかける。
「大丈夫。また次があるよ。たぶんね。」