
リュック
まぶたを水滴が打った。
続いて、トン、と肩を叩かれたような気がした。
白いシャツの肩口には、小さく丸い影のようなシミができている。少し冷たい。
いつの間にか空は灰色に染まっていた。
街行く人々も歩を緩め、同じように天を見上げた。
シャツに落ちた斑点は、二つ三つと数を増やす。鞄の底に折り畳み傘が入っていたことを思い出す。
前を歩く髪の長い女性は、身体の前に手のひらを差し出し、そこに当たる雨粒を確認すると、小さなバッグをガサゴソと掘り返し、これまた小さな折り畳み傘を開いた。
しかし、雨足は思いのほか強まることがなかった。街道の上、そぼ降る雨に傘を開いた人は半数にも満たない。
首筋に冷たい湿気がまとわりつく。不快だったが、傘を出すのも面倒だ。しかし、結局、前の女性につられるように取り出してしまった。
しばらく歩くと、高架が見えてきた。その下をくぐる20mほどのトンネル。無機質なコンクリート壁に、音がぶつかってこもる。傘を畳むべきだろうか。逡巡するうちに出口の光が迫ってくる。結局、傘を差したまま外に出てしまった。雨はまだ、降っていると言えば、降っていた。
ふと、前を歩く青年が視界に入る。
背負った紺色のリュックサックのファスナーが開いている。拳ふたつ分ほどの隙間から、クリアファイルに挟まれた書類の束が覗いていた。歩を進めるたびに、ファスナーの金具が揺れる。声をかけるべきだろうか。このまま大きく開いて中身が飛び出てしまうかもしれない。あるいは、紙が雨で濡れるかもしれない。
「リュック、開いてますよ」
しかし、”リュック”という言葉はおかしいのではないか。もとはドイツ語で”背中”を意味するだけの言葉だ。
「リュックサック、開いてますよ」と言うべきか。長いか。「ファスナー、開いてますよ」ズボンのことだと思われたらどうする。いっそ「あの、開いてますよ」いよいよなんの話をしてるか分かるまい。
そんなことを考えていると、青年は角を曲がり道を逸れてしまった。口を開けないまま、見送った。追いかけるほどの度胸もない。
雨が止み、いそいそと折り畳み傘を閉じた。
あの鞄は、きっとまだしばらく開いたままだろう。