
安物のスーツケースを持っている人をただ見ているだけで、その人が嫌いになっちゃうことだってある
これはサリンジャーの分身、ホールデンが小説の中で言った言葉だ。
『こういう言い方はひどいとは思うんだけど、安物のスーツケースを持っている人をただ見ているだけで、その人が嫌いになっちゃうことだってある』
放蕩学生のホールデンは以前同室だったディックを回想する。
ディックは安物のスーツケースをベッドの下に突っ込んでいた。ホールデンの上等のスーツケースと棚に並んでいるところを見られたくなかったからだ。
ホールデンはディックがコンプレックスを抱かないで済むように、自分のスーツケースもベッドの下に突っ込む。とこがディックはホールデンのスーツケースを棚の上に戻す。なぜか?
『結局彼はそのスーツケースが自分のものだと、みんなに思ってもらいたがっていたんだよ』
ディックはホールデンの持ち物をスーツケースから万年筆まで「ブルジョワ的だ」とあてこするようになる。
ほどなくしてホールデンと彼は部屋を分かつことになる。そしてホールデンは”スーツケースの値段が数段違う場合、部屋をともにするのはかなりきついことだ”と述懐する。
実際、アマゾンで安物のスーツケースを買ったばかりだった僕は、唸ってしまった。
90Lサイズで1万数千円、そのうえ僕はこれを2人で使いまわして実質半額で運用しようとしている!
チャチなダイヤルロックもついているが耳を澄ませてダイヤルを回すと正しい数字のところで「カチッ」と音がして正解を教えてしまうしょうもないやつだ。物忘れが激しいからダイヤルナンバーを記憶しないでいいのは助かるんだけど。
こんなスーツケースを使っていると、ホールデンは僕を見ただけで嫌いになるかもね。
まあホールデンは、スーツケースを比較されるのを避けたり、いいスーツケースを持っているかのようにごまかそうとするディックを見た悲しい記憶を呼び起こされるのが嫌なんだろう。
”スーツケースの値段が数段違う”ような相手とお互いに気持ちよく付き合うのは無理なのだろうか?
そうは思わない。けれど、双方が「人を金の多寡のみで判断しない」という条件が付く。
そのような人を見分けるのは困難だ。だからいやな思いを避けるために経済ランクの大きく異なりそうな人との交流を避けるという行動にも一定の合理性がある。
ただ同質性を求めるなら、最後は鏡で自分と話すしかなくなる。鏡を見続けるものは狂う、ともいう。
人は違うからこそ面白い、と思いたい。経済的差異や文化的差異を乗り越えて、痛い思いをしながらも交流をはかるほうが実りがある。
しかしこれは、どちらかというと貧しいディックに近い階層の僕が勝手に思ったことだ。軋轢を生むだけの、はた迷惑な考えなのかもしれない。
そこで、ホールデンのような階層の人からも賛同を頂けるとありがたいのだけど、どうでしょうね?