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【編集長の独り言】なぜ物語が人間にとって必要だったのか。から探る創作論

    おはようございます!
    じんぶんマガジン編集長です。
    創作大賞はじまりましたね!

    最近、AI君と創作について語り合った内容が結構面白かったのでつい出しゃばりました!

    ▼この記事のまとめファイル

    題材は物語とは何か。

    なかなか大きなテーマですが、深い問いを与えると深い答えを返してくれる最近のAI君優秀。

    ファイルにまとめてみてもらったんですが、面白いとされる物語には、構造、条件、感情曲線などの要素があり、割と型があると。

    面白い物語って何?

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    ふむふむ。
    神話の構造で有名な「英雄の旅」やシドフィールドの脚本術、ロバートマッキーのストーリー論など聞いたことはある。
    確かに一定のパターンに沿って、人の感情が動きやすいのだなぁ。

    でも次の疑問として、立てた問いが……
    そもそもこれらが人間にとって面白いと感じてしまうのはなぜか。

    人間は進化してきた生き物で、なにかしら生存に有利だったから物語というものがこれだけ人に影響を及ぼし、残っているのではないか。

    そもそもこういう物語をなぜ人は面白いと感じるのか

    そこから神経科学的なアプローチへいきました。
    物語を聞くとき、体感するときに脳の中で何が起きているのかと。
    結論、脳はただ言語処理をしているのではなく、
    「自分がその場にいる」ようなシミュレーションを走らせている。

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    そして、その中で様々な神経伝達物質が生まれてくるわけで、それを脳が快感ととらえているわけです。
    コルチゾール、オキシトシン、ドーパミン。
    それらが波のように訪れて、人間の感情を動かしているわけですね。

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    そのほかにも、物語が担ってきた役目としていくつかの仮説があるようです。どれもしっくりくる。

    狩猟採集の社会で、口頭伝承などはリハーサルや知識の伝達としての役割を果たしていたでしょうし、それによって生存率を高めてきた。

    あとは、ユヴァル・ノア・ハラリのいう共同幻想的に、社会の結束を強めて信頼や規範などを構築し、協力するための材料にもなった。
    同じ物語を知っている、信じているならば仲間として見分けやすい。

    その中で、物語はたまたまそういう脳の快感をハックして生まれてきたというのが副産物説。
    適応説は物語と言うものが人間の生存において不可欠であり、それによって人類を生存させてきた。そんなところでしょうか。

    どちらの説も説得力あると言うか、両軸で駆動したからこそ生き残っているし強い力を持つんだろうなと言うのが私の私見です。

    人は物語なしに生きられない?

    さらに話を深ぼると、人間は物語を作らざるを得ないのでは。
    という説に行きつきます。
    人間はストーリーなしに世界を理解できないのではないかと。

    そんなことを訊いてみると、AIくんはまたもいい答えを出してくれました。
    人間の脳は「因果のない物事の羅列」に耐えられない。ストレスが高負荷であるというんですね。

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    脳科学では「自由エネルギー説」と言うのが確かあって、脳という予測演算装置は予測誤差をなくすために日々情報を処理し、感情を生み出し、次の行動での予測を立てている。

    千の脳仮説みたいなのもあって、事前に無数のニューロンが今まで得た情報から予測パターンを常に千パターンとか生成していて、重み付けをして、その確からしさを常に上げていくというようなことが行われている。

    では、なぜこんな仕組みなのか。
    アブダクション、帰納法的に予測を立てて、それの因果を測ることは生存に直接的に影響した。その精度を高めることは理にかなっている。

    しかし、これによって人は存在しない、本来は複雑な事象ですら単純な因果でとらえてしまう性質もあります。
    当然、間違いも多発する。

    でも、面白いのが誤検知(ないのにある)のほうが、見逃し(あるのにない)よりも生存しやすかったということです。
    要するに草むらが揺れたとき「風かも」と思って無視して食べられるより、「捕食者かも」と怯えて逃げる方が得。それがたとえ本当に風だったとしても、捕食者だと思っている個体のほうが生き残ってきた。

    だから、ネガティブな感情に人は敏感だと言うのはよく聞く話ですね。

    「私」という自我も物語?

    さらにいくと……
    「自己」と言うものが生まれたのも物語のせいなのではという仮説にいきました。

    人は、「私」という単一の感覚があるように思えています。
    しかし実際には意識するより前に体は運動準備の電気信号をながしていて、
    後から「俺はあの時意志でこうしたんだ!」と合理化すると。
    自分というものすら、人間が物語として作っている。そう思うと怖いし面白いな~と感じます。

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    これからの時代に求められる物語とは

    これからの世の中でどんな物語が必要とされるのか。
    そんな持論を語りたいと思います。

    「複雑さ」を単純化せず伝えられるような物語。
    「問い」を残す物語。

    そんなものが必要とされるのでは?というのが自分の主張です。

    まず、単純化しすぎることの弊害があちこちで起きている。
    自分の認知の範囲だけでとらえると、つじつまの合わないことがたくさん世界にはあります。世界は思ったより複雑怪奇なり。
    グローバル化やインターネットによって様々な価値観と触れることで、常識が揺らぎ続ける世界に私たちは生きている。
    それに、テクノロジーなどの進歩もすさまじい。

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    これからは物事を単純化するのではなく、多様な視点から見れるように促す物語が必要だ!というのが私の持論です。

    複雑なものを複雑なまま受容する。
    めっちゃむずいですけどね!

    そして、そのためには「答え」を渡す物語ではなく、「問い」を渡す物語が必要なんじゃないでしょうか。

    今はこうしてAI君に尋ねると深堀できてしまう時代。
    物語と言うものの性質上、その人にパーソナライズされた答えをわたすことはできない。
    でも問いさえあれば、自分の中で納得する答えを探し出すきっかけを与えられる。
    それこそAI君に聞けば、その人にパーソナライズされた必要な問いがまた渡されるような循環が生まれうる。

    そんなことを思っています!
    永くなりましたが、そんなきっかけの一つとして、この「じんぶんマガジン」もやっていけたらいいなぁと思っているところ。

    と言うわけでえらく長く独り言を語ってしまいましたが、
    ここまでお読みいただきありがとうございました!

    よければ記事も読んでいってくださいね!

     
     
    歴史、哲学、文学、芸術——人文知は世界を広げてくれる。 人物はレンズ。その向こうに時代の構造が見える。 答えを渡さず、問いを渡し続けるメディアです。 読み終えたとき、世界の解像度が少し上がっているような記事を投稿していきます!

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