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## 電炎リライト 第七章

    :マリアナ決戦(群狼の神託)

    ## 1:暗黒の海、進化する猟犬たち
    昭和十九年六月十九日、マリアナの空を真紅に染めた白昼の大空襲が幕を閉じた。神雷部隊の桜花や赤松隊の零戦が米第五十八任務部隊(Task Force 58)の前衛に壊滅的打撃を与えたものの、日本側もまた、多くの被害を出して撤退を余儀なくされていた。
    だが、マリアナの海面を深く支配した暗黒の静寂は、米海軍にとって、終わりなき夜間急襲という「真の悪夢」の序曲に過ぎなかった。
    この戦局のすべては、日本側が完全にコントロールしていた。市ヶ谷の葉山篤志が仕掛けた「旧レッド暗号による欺瞞作戦」が、米軍の通信解析班(FRUPAC)を完璧に掌の上で踊らせていたのだ。日本側は、あえて解読容易な旧暗号で偽の作戦情報を流し、米軍に「日本軍の行動を完全に掌握している」と盲信させていた。
    同夜、日本海軍の潜水艦で構成された「狼牙戦隊」に、真の本暗号(新暗号)による隠密命令が下る。
    彼らに課せられた任務は、単なる戦果の拡大ではない。欺瞞暗号によって誘い出した敵の防空網を実験場とし、来るべき主力艦隊による大規模飽和攻撃――「炎ノ牙」作戦のために、対艦誘導弾「桜花二型甲(黒刃)」の自律誘導アルゴリズムを磨き上げることにあった。
    その夜間急襲は、夜ごとに冷徹な改良を重ねる、電脳のアップデート実験そのものであった。
    六月二十日夜、海域北東百六十キロ。伊号第百五十三潜水艦。
    木梨鶴雄艦長は、ぼんやりと灯る赤色灯の下で、囮として送信を終えた旧レッド暗号の電文記録を睨み、低く笑った。
    「奴らはまだ、この暗号を信じている。……いい囮だ。
    黒刃(くろば)一号、発射準備」
    「整流カバー区画、加圧確認。ディーゼル排気圧、正常」
    整流カバー内へ送り込まれた高圧のディーゼル排気ガスが、潜航中の凄まじい水圧から無人の木製三角翼を保護していた。
    「浮上!」
    バラストタンクから一斉に海水が押し出され、伊153はその巨躯で漆黒の海面を割った。
    「爆砕ボルト、点火!」
    木梨の鋭い咆哮と同時に、基部に仕込まれた雷管が爆発した。バンッ!! バンッ!! という鋭い金属音が夜の静寂を切り裂く。流線型の防水整流カバーが左右へと真っ二つに裂け、海面へと投棄された。外気へと晒された高圧のディーゼル排気が冷たい夜風に触れた瞬間、艦首から白い水蒸気の煙が激しく噴き上がる。
    「カタパルト、作動準備完了!」
    あらわになった発射レールの上で、二トンの漆黒の合板翼が刃のように見える。
    「黒刃一号——発射!」
    ドンッ!!!
    火薬筒の強烈な燃焼ガス圧が、ピストンを一気へと突き動かした。伊号潜水艦の無骨な火薬式駆動機構が、爆発的な初速で死神を夜空へと蹴り出す。
    直後、尾部のテスラバルブ式パルスジェットが火を噴いた。可動パーツを持たないテスラバルブの複雑な流路のなかで、燃焼ガスが自ら逆流を堰き止め、前方からの空気を強烈に巻き込む。点火直後の数秒こそ「バン! バン!」と硬い破裂音を夜闇に刻んだが、左右の燃焼リズムがコンマ〇〇五秒差の交互爆轟(共鳴同調)に達した瞬間、排気口を真紅に染めながら、大気を引き裂く重低音が爆発した。
    「ブゥゥゥゥゥゥン……!!!」
    個別の爆発音を完全に置き去りにした、地鳴りのごとき咆哮。成層圏の「飛雲」が放つ妨害電波の支援を受け、黒刃は海面高度わずか八メートルの超低空を疾走した。
    これが黒刃の初陣であった。
    米軍のレーダーを完全にホワイトアウトさせ、突入に成功しながらも、小麒麟はポップアップタイミングにわずかな誤差が生じさせていた。
    黒刃一号機は標的たるクリーブランド級軽巡洋艦の艦尾寄りへと突入した。
    遅れて届く衝撃波とともに、紅蓮の爆炎が夜空を赤く染め、敵の舵とスクリューもろとも艦後部を破壊する。
    伊153はすでに深度100mの潜航へと移行していた。
    艦内で木梨は手元のパンチカードを電算機員へと手渡した。
    「……当たった。だが、まだ甘い。この命中ログを迅鯨改へ即座に電信しろ。麒麟に敵の機動特性を学習させ、次は心臓部を正確に仕留める」
    翌六月二十一日夜、伊号第百五十五潜水艦。
    艦長・山田次郎少佐は、不敵な笑みを浮かべて発射管制盤を叩いた。
    「旧暗号をさらに流せ。奴らが警戒して防空体制を再編成する時間をわざと与えてやる。敵が陣形を改良すればするほど、ウチらの麒麟に情報が蓄まるんや」
    米軍は偽の暗号情報に従い、輪形陣の外殻に健在な新鋭巡洋艦を新規投入して鉄壁の防空網を再構築していた。だが、彼らが必死に構築したその陣形こそ、黒刃の電脳が最も欲する「標的モデル」そのものであった。
    「整流カバー区画、加圧確認」
    「爆砕ボルト、点火!」
    バンッ!! バンッ!!
    水蒸気の奔流を突き破り、伊155の火薬式カタパルトが、前夜のデータを内包した黒刃二号機を夜の闇へと射出した。
    テスラバルブの共鳴同調は、前夜を遥かにスムーズな速度で完成した。わずか数秒。
    「ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン――――ッ!!!」
    より深く、均一に引き締まった連続重低音の咆哮が、遮るもののない大気へと響き渡る。爆音を引きずりながら、マッハ〇点九五の自立飛行体は、海面を舐めるように疾駆した。
    電脳は、周囲の駆逐艦が吐き出す排気熱を「副次的熱源」として冷徹に排除。前夜の誤差データを基にポップアップの軌道を完璧に補正した黒刃は、ボルチモア級重巡洋艦の最も強烈な熱の核心――主機関室へと、寸分の狂いもなく直撃した。
    ドガァァァァン!!
    夜の洋上に巨大な火柱が立ち上がり、新鋭重巡は一瞬にしてすべての航行能力を喪失した。
    海中深く潜航する伊155の指令室で、山田は深く息を吐いた。
    「熱源同定プログラムの最適化を確認。……これで、黒刃の自律誘導はほぼ必中の領域に達した」
    さらに二十二日の夜には、複数の伊号潜水艦がこの最適化されたアルゴリズムを携えて前線へ殺到。日本側は旧暗号で欺瞞情報を流し続け、米軍の動揺を誘いながら、さらに別の重巡洋艦の機関室や艦橋周辺へと正確に牙を突き立て、確実に敵の防空体制を無力化していった。

    ## 2:特設巡洋輸送艦『迅鯨改』と電脳の眼
    遠く、前線から離れた安全海域に錨を降ろす特設巡洋輸送艦『迅鯨改』。その船倉の奥深くに据え付けられた艦隊型電子頭脳『麒麟三号』の青白い真空管の奔流のなかへ、狼牙戦隊が夜ごとに積み上げた実戦データが、次々と吸い込まれていた。
    本艦は、大戦前の旧式潜水母艦の面影を完全に捨て去った、電子戦の異形艦である。船体各部には、最新の近代化パッケージが組み込まれていた。艦底には球状艦首(バルバス・バウ)が鋭く突き出し、高圧ボイラーと改良タービンの咆哮によって、鈍重な特設艦でありながら最高速度二十五ノットの快速を叩き出す。
    その武装と索敵能力は、従来の輸送艦の常識を遥かに逸脱していた。艦首に据え付けられた「十二点五センチ対空対艦両用砲」と三十ミリ三連装対空機銃は、船倉のコンテナ内に収容された『麒麟三号』による「麒麟管制射撃」の完全自動統制下に置かれていた。二十一号電探改が捉えた三次元座標データが、小型Z電算機(小麒麟)を通じてダイレクトに砲座へと伝送され、夜空の敵機を完全に自動追尾する。
    さらに艦尾に睨みを利かせる二機のベル式面圧爆雷投下装置から放たれる十九年式面圧爆雷(旧名:雷迅ホッグ)は、ソナーおよび電算機と完全に連動し、接近する敵潜の未来位置へ二十四発の迫撃爆雷を自動管制によって先制投射。一発の炸裂波を内蔵されたベル共鳴装置が感知すれば、周囲の爆雷がドミノ倒しのように連鎖起爆し、敵潜を容赦なく圧壊させる水中爆圧網を全自動で形成する、恐るべき自律型洋上要塞であった。
    その電脳の深層において、連夜の戦闘ログが統合され、蓄積されていく。
    ```
    >> TRACK-LOG-INPUT : I-153 / I-155 / I-157
    >> HEAT-SIGNATURE-ANALYSIS : COMPLETED [TYPE-BOLTIMORE 98.4%]
    >> AUTONOMOUS-GUIDANCE-RE調律 : SUCCESS

    ```
    「実証ログの解析すべて完了。これより誘導計算工程を最終実行形態へ移行。熱源同定計算式、完璧に調律(チューニング)されました」
    船倉の管制士官が、電光表示盤の光に顔を青白く染めながら呟いた。
    この幾度もの微調整と修正の積み重ねこそ、来るべき主力艦隊による本命の一撃――「あ号作戦」の確率を高めるための、前線独自の進化回路であった。真の本暗号によるネットワークのなかで、システムは恐るべき速度でその精度を高めていた。
    「命中精度、初期の段階から昨夜にいたるまで、曲線的に上昇。もはや熱源捕捉のブレは完全に消失しました」
    管制士官の声は、テクノロジーがもたらす未来への、あるいは極限に達した精度への、わずかな震えを孕んでいた。
    洋上の要塞『迅鯨改』の待つ補給海域へ群狼が戻れば、強靭な可動式カタパルトに新たな黒刃が接続され、再び職人たちの手で新しい防水整流カバーが厳重に設置される。この「補給の知恵」と「電子の誘導」のルーティンが繰り返されることで、兵器としての信頼性が絶対の領域へと引き上げられていった。

    ## 3:米太平洋艦隊の絶望(六月二十三日 朝)
    爆煙と混乱の四夜が明け、六月二十三日の早朝。
    米太平洋艦隊・旗艦《ミズーリ》の幕僚会議室には、もはや重苦しさを通り越した、暗黒のような絶望の空気が立ち込めていた。重い空気が、参謀たちの疲弊した表情をさらに陰鬱にさせている。
    中央に立つ海軍情報部所属のアナリスト、マシュー・カーヴァー中佐は、徹夜の疲弊に顔を歪ませながら、黒板にこの四日間の生々しい損傷記録を次々と貼り出していった。その惨状は、夜間攻撃の不気味さを物語っていた。
    「……分析を報告します。防空網は毎夜正常に機能しており、ピケット艦のレーダーにも一切の異常はありませんでした。にもかかわらず敵の攻撃前にレーダーはホワイトアウトし、我々は毎晩、外縁の防空巡や重巡を、重点的に攻撃され続けている。……問題は、この攻撃の正確性と、我々の対応が**“物理的に”間に合わない**という事実です。
    我々が敵を視認するより先に、敵機が接触している。迎撃のタイミングそのものが、存在しないのです」
    マシューは一度言葉を切り、血走った眼で黒板の損傷図を激しく叩いた。
    「何より恐ろしいのは、奴らの攻撃位置が夜を追うごとに、より致命的な中枢へと正確にシフトしている点です。初夜は推進器、二日目は機関室、昨夜は艦橋の司令部。敵は……我が方の防空再編成の先を読みながら、恐るべき速度で学習し、進化している」
    将官の一人が机を激しく叩きつけた。
    「なぜだ! 敵の作戦行動は事前に掴んでいたはずだろう! 我が方の情報部は日本の暗号を完全に解読しているはずだ!」
    マシューは苦汁に満ちた表情で首を振った。その顔には、自らの「知性」が完全に敗北したことへの恐怖が浮かんでいた。
    「それが……罠だったのです。我々が『解読に成功した』と確信し、敵の行動を先読みして防空陣形を再編成したその瞬間に、敵の夜襲が正確に中枢を撃ち抜いてきた。
    我々が FRUPAC で解読していた電文は、日本側が意図的に流した旧式の囮暗号――欺瞞情報でした。
    致命的な事に彼らの真の本暗号は、ただの一文字すら、数学的構造すら解明できていません。我々は、奴らの掌の上で完璧に踊らされていたのです。」
    会議室に、凍りつくような沈黙が落ちた。情報が筒抜けだと思っていたのはアメリカ側だけであり、実際には数日間にわたり、日本側の引いた冷徹な実験(データ収集)の掌の上で、段階的に防空網を削り取られていたのだ。
    技術将校たちが集められた第二部会では、黒板に、米海軍が付けたその敵新兵器のコードネームが重々しく書き付けられた。
    **“Blackbird(ブラックバード)”**
    「まず、レーダーに映らない理由だが、機体のサイズが小さすぎる。ゴーストの問題もあるが、そもそも我々の対空警戒網は、“人が操縦する航空機”を前提に作られている。それに……いくつかの破片から推測するに、奴の主翼は金属ではなく、ただの『木(合板)』だ」
    航空隊将校が苦々しく言うと、場がどよめいた。
    「木製だと!? 馬鹿な、そんな前時代的な物で我が方の最新鋭レーダーを狂わせたというのか!」
    「木は電波を反射しにくい。奴らはそこに気づいていた。さらに、いくつかの破片を見る限り、プロペラはなく、熱源を追う自動誘導装置が組み込まれている。敵は音より速く、反応そのものを許さない。撃たれる前に気づけないなら、防ぐ方法は無い」
    参謀たちが血眼になって導き出した「対Blackbird三案」は、どれも絶望的なものであった。
    * **敵の『高空の目』を特定し排除:** (問題点:敵は木製三角翼のステルス性だけで攻撃を実行出来る)
    * **超短波探知レーダー(UHF域)への全面転換:** (問題点:小型高速目標に反応できる周波数帯への切り替えは、本国でもまだ技術試験段階であり、数ヶ月の猶予が必要)
    * **金属粉含有の“スモークカーテン”による赤外線妨害:** (問題点:夜間戦闘中、煙幕によって赤外線照準を妨害することは理論上可能だが、洋上での即時調達は不可能。本国からの補給待ち)
    参謀が低く言った。
    「……今からじゃ、間に合わない。あと何隻、あれに喰われるんだ?」
    沈黙。誰も、それを口に出すことはできなかった。その問いは、彼らの心に絶望として重くのしかかっていた。

    ## 4:伊162潜・黒刃二号(隠蔽の単独戦闘)
    昭和十九年六月二十五日。主力決戦を目前に控えた、静かなマリアナの夜が再び訪れていた。海上をシュノーケルが航跡を引いて進む。
    伊号第百六十二潜水艦。狼牙戦隊・第二撃の発射任務を帯びた、沈粛の猟犬である。
    艦長・佐伯政司少佐は、赤色灯に照らされた艦長室で、たった今もたらされた電信の報告書に目を通しながら低く呟いた。
    「……飛雲だけやない。本国からの八咫烏も、次座の交替機が出撃不能か」
    副長が、額の汗を拭いながら苦しげに頷いた。
    「は。ペリリュー島から上がっていた飛雲二機は、前線の過酷な塩害によるインジェクション系のノズル詰まり。そして、日本本土のベースからこちらへ向かうはずだった八咫烏の交替機は、離陸直前に真空管電算機の熱暴走を起こし、現在木更津のハンガーで総点検中とのことです。……つまり明朝まで、空の電子統制網は完全に消失します」
    それは、蒼電艦隊が誇る無敵の「網」に、突如として空いた致命的な空白の穴であった。上空からの監視による米軍の情報制圧も、計算機『月詠』が弾き出すリアルタイムの照詠コード配信も、今はすべてがストップしている。完全に、日本側も前線単独の状態へ突き落まれたのだ。
    副長は不安を隠せず、佐伯の顔を覗き込んだ。
    「艦長、ここは一度引いて、電子戦網の復旧を待つべきでは……?」
    「アホか、引けるわけなかろうが」
    佐伯は鼻で笑い、ゆっくりと帽子を被り直した。その口元には、逆境を楽しむかのような不敵な笑みが浮かんでいる。
    「今夜は支援がない。……完璧な舞台装置やないか。旧暗号で『電子戦機の稼働限界によるシステムダウン』をわざと奴らに見せつけてやるんや。奴らに『日本も万能ではない、今夜は勝てる』と錯覚させつつ、実際はウチらが完全に主導権を握っとることを証明する。電子戦の支援がなかろうが、いつでも、どこからでも、お前たちを正確に狙い撃てるという『究極のブラフ』を敵の脳髄に叩き込むんや」
    職人が削り出した桜花二型甲を信じる佐伯の戦術眼に、艦内の空気が再びガチガチと引き締まっていった。
    「飛雲がおらんでも、やることは一つや。これまでの四日間の実証ログが、すでに黒刃の頭脳に書き込まれちゅう。誤差修正と熱源データの蓄積は完了しとる。目標は米重巡《ニューオーリンズ》級。熱源としては上等やろ」
    「目標、北西方位約百二十キロ。五等級の熱源と思われます」
    「照準コード、外部データ書き込み良好。赤外線自律誘導モードに切替完了!」
    「発射用意……。海上警戒を徹底して、浮上!」
    伊162潜がザバァッ! と海面に躍り出た。
    浮上と同時に艦首の爆砕ボルトが炸裂し、防水整流カバーがパカンと左右に裂けて海面へと容赦なく投棄された。闇夜にむき出しになった木製の三角翼が、冷たく光る。
    「カタパルト異常無し。火薬筒、点火ァッ!」
    ドンッ!!!
    火薬の凄まじいガス圧がピストンを一気に押し出し、黒刃二号機が夜の静寂を切り裂いて飛び出した。上空からの電子支援は何もない。ただ“熱”に向かって進む、黒い弾頭。
    点火直後の数秒こそ「バン! バン!」と硬い破裂音を夜の海原を叩いたものの、交互爆轟が共鳴同調に達した瞬間、排気口を一瞬で朱に染めながら、あの地鳴りのごとき連続重低音が大気を引き裂いた。
    「ブゥゥゥゥゥーーン――――ッ!!!」
    黒刃は自らのデジタル赤外線シーカーだけで、海上の巨大な「熱の塊」を完璧にロックオンするべく飛び出した。
    上空支援が完全に消失した暗闇の中、これまでに蓄積され、調律を終えた目標選定ログだけを頼りに、黒刃は見事にその優れた自律誘導能力を実証することとなった。この攻撃は純粋なスタンドアロンでの夜襲であった。
    同刻、米重巡《サンフランシスコ》艦上。
    見張り員が一瞬だけ、何かを**“聞いた”**。それは、音と呼ぶにはあまりに微かで、しかし確かに存在した大気の残響だった。
    「爆音……? いや、どこだ!?」
    艦橋がざわつくその瞬間、艦尾に重い爆発音が走った。すぐ後ろを航行していた重巡《ミネアポリス》が、激しく爆炎を吹き上げていた。振動や爆風がサンフランシスコにまで吹き荒れる。
    米軍のレーダー画面には、今回もゴースト(電子妨害)は一切発生していなかった。すべてが正常であった。
    レーダー逆探知により、日本の電子戦機の不在を米軍は幸運にも捉えていた。旧暗号の傍受情報からも「今夜は日本の電子戦能力が限界を迎えている」と確信し、安堵していたはずだった。
    にもかかわらず、突如としてミネアポリスに火の手が広がっていく。
    「な……何が……!」
    士官が絶叫した。「レーダーに反応なし! 監視員も見ていない! いったい、何に攻撃されたんだ!?」
    「まさか……**“Blackbird”**がまた……!」
    米兵たちは恐怖に歯を鳴らした。彼らは「電子戦の穴」を突くどころか、「奴らはレーダー管制がなくても、ただの木製三角翼(ステルス)と自律誘導だけで我々を正確に狙い撃てるのか?すべては日本の罠だったのか?」と、底なしの絶望の泥沼へと叩き落とされる結果となった。佐伯の意思の一撃は、完璧に敵の心理を恐怖へ叩き落としたのだ。
    その頃、深度百メートルの超静粛体制へと深く艦を沈めていく伊162潜の艦内。
    ソナー員が、遠く迅鯨改から届いた指向性音波信号を解析機にかけ、報告した。その声には、興奮が隠せなかった。
    「黒刃、命中した模様です!」
    「……飛雲もおらん、八咫烏もおらんでも、本当にやれましたなあ」
    副長がぽつりと言った。
    佐伯艦長は小さく笑い、艦長帽を被り直した。
    「ウチらがあてたというより、桜花が自らの意志で、敵の熱に喰らいつきにいった感じやな。……賢い子や。海の底へ戻るぞ」
    海の底で、誰にも見られず、艦は再び“群れ”へ戻っていった。次なる攻撃の機会を、静かに待ちながら。

    ## 5:神話と現実の狭間で
    太平洋艦隊司令部旗艦《ミズーリ》・司令室。
    第五艦隊司令長官レイモンド・スプルーアンス大将は、疲れ切った顔で報告書を机に叩きつけた。その音は、彼の苛立ちと、状況への絶望を物語っていた。
    「またやられた。昨日も、今日も……何も見えず、暗号も欺瞞にまみれて対応も出来ず、ただ味方の艦を失っていく!」
    参謀が無線士に指示する。「本国に回線を、至急だ。第58任務部隊より本国へ撤退許可を求む」
    ザラついた電波音と共に無線が接続され、司令部との押し問答の末に、ワシントンDCの海軍省技術局へと繋がった。
    ワシントンDC 海軍技術評価委員会。
    前線からの悲痛な要請に対し、白衣姿の中年男が冷淡に答える。ロナルド・スティンバーグ博士。MIT出身のレーダー主任技術官であった。彼は固有の苛立ちを隠さず、現実と理論の狭間で、混乱の中にあった困惑を滲ませながら言った。
    『……長官、あなた方が言っている“我々の本国でも開発不可能な、解読不能の暗号システム”や、“成層圏から正確に電探を無効化する正体不明の高空レーダーサイト”、核心的な“赤外線誘導で命中する無人の木製三角翼兵器”など、存在しません。日本にそのようなエレクトロニクスの工業力があるはずがない。理論上すら不安定です。低空の濃密な空気のなかでそれほどの高速を出せば、木製の機体など振動と空気圧で瞬時に破裂してバラバラになります』
    マシュー・カーヴァー中佐がスピーカーに向かって怒声を浴びせた。
    『ですが博士! 現実として、我々はその“存在しないはずの技術”によって完全に盲目にされ、毎晩、完璧な防空体制のなかで艦を確実に沈められているんだ! 先日の空襲を無傷で乗り切ったはずの精鋭艦が、夜襲で航行不能に陥った! 暗号解読班は敵の流した偽情報に騙され、レーダーは高空からのECMで無効化され、敵機の爆音は通過後に届く! あなた方は、これを我々の錯覚だと言うのか!』
    スティンバーグは苦々しく答えた。
    『見えず、聞こえず、暗号すら通じない敵など、神話かSF小説の話だ。あなた方は、正体不明の機雷か、あるいは味方の誤爆をパニックで錯覚しているのではないか?』
    ミズーリ艦橋。
    スプルーアンスが、椅子からゆっくりと立ち上がった。声を荒げることはなかったが、その声は深かった。疲労困憊の彼から発せられる言葉は、絶望の淵に立たされた者の、最後の訴えであった。
    「……ならば、博士。あなた方がここへ来て、代わりに戦ってくれ」
    ワシントンの通信室が、凍りついたように静まり返る。
    「我々は、その“存在しないはずの敵”と毎晩、生身で対峙している。情報を奪われ、艦を焼かれ、艦隊の士気は完全に崩壊しているのだ。それを机の上の理論で『存在しない』と言い張るのなら……」
    彼は静かに、しかし冷徹に言い放った。
    「私を今すぐ解任し、その現実と戦える優秀な人物を、ワシントンから送り込んでくるがいい」
    無線回線の向こう、本国の科学者や高官たちは、誰も言葉を返せなかった。彼らの誇る近代科学の頭脳は、現実と理論の狭間で、完全に機能不全に陥っていた。
    重苦しい沈黙のなか、ワシントンの会議室の片隅で、若い補佐官が震える声でぽつりと言った。
    「もしかすると……我々は敵に、技術において追い越されたのかもしれません……」
    (第七章・完)

     
     
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