
「なんで分からないの?」を飲み込む週末
土日は、子どもと進研ゼミの「考える力・プラス講座」をやっている。
もともとは、子どもが「やる」と言ったので始めたものだ。やる気があるのは大変よろしい。親としても、できる範囲で応援したい。
ただし、応援にはときどき試練がついてくる。
私が「ここを見て」と指さした場所を、そのまま読めばほぼ答えが出るような場面がある。
子どもは、じっと見る。
見る。
かなり見る。
そして、
「……???」
となる。
いや、そこに書いてあるよ!?
と、思う。
思うが、口には出さない。
「どうしてこんなことも分からないの!?」
この言葉は、状況こそ違うけれど、私自身が子どもの頃に母から言われて、とても傷ついた言葉でもある。
言われた瞬間のことを、細かく覚えているわけではない。
でも、「分からない自分はダメなのだ」という感じだけは、なぜか長く残る。
だから、口の中まで出かかった言葉を飲み込む。
たぶん今の私は、梅干男くらい濃い顔をしていると思う。
「ここに、何が書いてあるかな?」
「これって、増えてる? 減ってる?」
なるべく落ち着いた声で聞いてみる。
けれど、こちらが落ち着いて聞いたからといって、子どもがすぐ分かるとは限らない。当然である。落ち着いた声は魔法の呪文ではない。
子どもが考え込んでいるあいだ、私はつい、「なんで分からないんだろう」と考えてしまう。
でも本当は、考えるべきなのはそこではない。
「どう伝えたら、この子には分かりやすいんだろう」
「どこで話が繋がらなくなっているんだろう」
「今は答えを急ぐより、考える道筋を一緒に探したほうがいいのかな」
そんなふうに考えられる親になりたい。
まだ、全然なれていない。
問題文を見て固まる子どもの横で、私もまた別の問題に取り組んでいる。
問題文はたぶん、「分からない相手に、どう寄り添うか」である。
こちらは、なかなか正解が出ない。