
無職のエッセイ:無職は遊んで暮らしています。
noteを更新しなくなって、もう3週間ほどが経っている気がする。一週間だらけていたり、一週間大阪に帰っていたり、一週間だらけていたり。その間にも、かつて書いた記事にスキをいただいていたり、コメントまでいただいたり。とても励みになった。励みにはなったが、筆は進まなかった。
「最初の一文字を書き始めることが、こんなにもめんどくさいのか」
自身の文章に対する目が肥えたからだろうか。思い通りの文章を書けず、パンチラインも出てこず、語彙力も貧相な自分の文章が嫌いになったからだろうか。いや、さぼってるだけだ。
記事にしたいネタはある。大阪での空気が馴染む感覚、一人で行ったUSJ、200mのバンジーより30mのバンジーの方が怖かったこと、彼女造りを始めようと思い立ったマッチングアプリ、自身の今の行動が過去のコンプレックスを解消するために行われているという気付き、一人で行ったナイトクラブの夜。
一つ一つの記事が私の体験記であり、この記録は積み重なっているし、これからも積み重なっていく。もしかしたら記事になる出来事が今日も起こるかもしれない。無職はさぼっていたというより、出来る限りに遊んでいたのだ。
「遊んで暮らしてます」
「今何やってるの?」
そう聞かれたときのために用意している答えだ。
このアカウントを始めたときには遊ぶということがよくわからなかった。社会人をやっている間に、遊ぶということが何だったのかを忘れていた。しかし自分の現状を人に説明しようとすると、私の語彙ではこの言葉しか出てこなかった。
「バンジーを月一で飛んでるんですよ」
「マチアプで週に3人と会ったんですよ」
「一人でUSJ行ってきたんですよ。ディズニーも明日行きます」
「大阪で一人ナイトクラブやってきたんですよ」
「今度海外の方と遊びに行きます」
「映画とか読書を毎日やってます」
「飲み屋で教えてもらったBAKUNE、めっちゃ良いです」
それぞれには注釈がつくし、全てが100%の力でできているとは思わない。それでも、このnoteを書いていなかった三週間の出来事をハイライトするだけでこうなる。……遊びたおしてるな。
私は遊んで暮らしている。それは、社会人の間に忘れた遊ぶとは何か、という疑問を解消すること。それを建前にして、私は遊んで暮らしている。そして今は、やりたいこと、やってみたいことをやるのが遊びなのではないか、と思っている。そんな複雑なことを考えずとも、遊びの本質は「やりたいことをやりたいままにすること」なのかもしれないが。
始めは、「note書くのさぼってました!」 というだけの記事にするつもりで何も考えず書き始めた。しかし、こうやって三週間を振り返ってみると、アカウントコンセプトである「遊び」のフィールドワークに出ていた期間だったようにも思える。というか、そう思うことにする。
7月に入ってもう一週間が経とうとしている。今日は洗濯機の修理が来る。今週末にはTOEICのテストもある。土曜には中学生ぶりの友人と会う。なんかまた大阪に行くかも、みたいな話もある。
今月も、遊んで暮らしていきたいと思う。
……何もしない期間も欲しかったりしている。