
ぼくは、ときどき変身する
はじめに
ぼくの正体は「自閉症マン」
仮面ライダーみたいに
かっこいい変身ポーズはなくて
上手くいかない事があると
変身してしまう
でも
みんなに知ってもらいたい
ぼくは
自閉症マンなんだ!
第一章 気づき
・みんなと同じことをしない
幼稚園から帰るとき
バスに乗らない園児は
園庭で走り回ったり
二輪車にのったりしていた
鉄棒では
みんな逆上がりの練習をしていた
でも僕は練習しない
なぜなら
逆上がりができるようになりたい!
とは思っていないからだ
できなくていいから
練習しない
ただ
それだけ
もし、逆上がりが出来たら……
そんなことは夢だ!
夢でしかない
できないことを
練習してもしょうがない
いや、出来なくていいんだ
・がんばること
運動会が近づくと
朝の自由遊びの時間に
リレーの練習をしているのを
よく見かける
僕は走り回ることは好きだけど
競走になるとビリになることが多い
僕は1番になりたかった
二輪車は少し練習をがんばったら
できるようになったけど
走ることは
がんばっても速くならない
がんばることをがんばっても
がんばる前と変わらなかった
ということは
少しがんばるだけで出来ないことは
それ以上がんばっても
変わらない
だから
がんばらなくていいんだ
だから
がんばることをやめた
・違和感
小学生になったぼくは
ランドセルを背負って学校にいくのが
少し大人になった気がして
嬉しかった
テストはほとんど
100点をとることができたし
休み時間は、友達と鬼ごっこをして
楽しかった
2年生になると
テストで100点が
なかなかとれなくなっていった
縄跳びやマット運動も
うまく出来ない
ぼくと同じように出来ないヤツは
練習して出来るようになっていった
僕だけ出来ないのは
ちょっとイヤな気持ちだった
これって練習するしかないのかな
がんばるしかないのかな
がんばることをするしかない
何度も練習した
でも
できない
涙が出た
もしかして
僕はみんなと何か違うのかもしれない
・コラム…親からみた息子
今現在、息子は10歳になりました
いまでは自閉症やADHDの情報を
いろいろと調べて
生活や言葉掛けを工夫しています
そこに辿り着くまで時間がかかりました。
保育園のクラスのみんなで公園に行き
先生が
かけっこ遊びをやろう!と言ったとたん
わーっとみんなが走り出しても
息子だけ
ぼくは滑り台で遊びたい
といって1人で遊んだり…
劇で頭にかぶるものを
練習のときに息子だけかぶることを
拒否していて
本番直前になってからかぶったり…
その頃
「こだわりがあるのは、考える力の
成長が早いことでもあります」
といったようなことを先生に言われ…
成長過程の検診では
「元気に育っています」と
スタンプを押されただけ…
そのため
1人で違う行動をすることは
単なる個性なんだと
受け止めてしまったわけです
個性的な行動と捉えるから
疑問が湧かない
だから
誰かに相談しない
だから
情報が入らない
当時は手がかかることも
個性として
息子をみていただけでした
第二章 確信
・ぼくはみんなと違う
2年生の夏が近づくころ
教室で周りを見渡すと
みんなが黒板を見て
ノートに書き写すのが早いように思えた
ぼくも急いで追いつきたいのに
一度黒板をみても
2文字ぐらいずつしか書き写せない
そして終わらないうちに
消されてしまった
体育でも、みんなできるようになることが
ぼくは出来ないまま
授業が終わってしまった
やっぱりぼくは
みんなと何か違う
そんな日が続いて
なんだか
体がかゆくなることがあった
背中がかゆくて
必死に手を後ろに伸ばしていた
そんなことをしている時は
だいたい先生の指示を聞き逃す
そして注意された
家に帰ると
よく飲み物をこぼして
怒られた
机の上からは
えんぴつや消しゴムをよく落とし
歩けばつまずいて転び
泣くことも増えた
・死ぬのが怖い
冬になって寒くなると
少し肌荒れが落ち着いた。
ぼくはこの頃
マジックや工作が好きだった
マジックの雑誌には
歴史に残る不思議な話が載っていた
その中で気になったのは
偏ったものだけ食べて
若いうちに亡くなった人の話…
いろいろなものを食べないと
早く死んじゃうのかな
工作が載っている雑誌には
「身近にある毒」について
特集記事があった
アジサイには毒があるって書いてあったけど
学校の近くのアジサイに触ったら
だんだん苦しくなって死ぬのかな
毒を避けても
いろいろ食べないと早く死んじゃう
でもマズイ!と思うと
つい吐き出しちゃう
なんだか死ぬことが迫ってくるような
感じがして
怖くなってきた
どこに毒は存在しているんだろう
庭の草も、じつは毒が入っているのかも
もう草には触れたくない
死にたくない
・自閉スペクトラム症って何?
3年生になって
初めて男の先生が担任になった
なんか嬉しくて
学校にいくのが楽しみだった
家庭訪問の日が近づいたときには
何か驚かせることをしたくて
バズーカ砲をつくることにした!
段ボールやペットボトルを使って
夜遅くまでかかって
なんとか完成した
まぁ、弾はそんなに遠くまで
飛ばせなかったけど。
先生は
ちょっとは驚いてくれてたかな。
楽しい時間は増えたけど
勉強は変わらず
黒板の字を早く書き写せないし
消しゴムを落としたりする自分が
許せなかった
なんてぼくはダメな人間なんだ
虫には毒がついていないかな
いや、きっと毒があるから避けないと。
落ちてるゴミさえ虫に見えて
パニックになっていたら
先生の困った顔が見えた
ぼくはみんなに迷惑をかけている
だから、自分に痛みを与えて
バツを受けなければならない
この頭に痛みを与えて
思い知らせてやろう
もう何もかも上手くいかない
頭を自分でたたいても良くならない
そんな日が続き、ぼくは
発達障害クリニックに行くことになった
医師>
診断名をつけるなら
ADHDと自閉スペクトラム症の両方ですね
言い換えると
頭の中の回路が複雑で
答えになかなか辿りつかないタイプ
ということらしい
これで支援級に入るチケットがもらえるよ。
どうする?
母ちゃんが聞いてきた
もうみんなに迷惑をかけなくて済むなら
支援級に入ろうと決めた
・コラム…親が思うこと
100点満点の漢字テストで
息子が4点をとってきたとき
これは
勉強の取り組み方を変えないといけない
と焦った気持ちになりました
家でもっと勉強をするか
塾に行こうか
支援級を利用したほうがいいのか
いろいろ特性を調べていくうちに
発達障害クリニックを見つけました
クリニックでは医師に
ADHDと自閉症の特徴があると言われ
心理士からは
出来ない事をできるように
ではなく
出来ない事はできない
です
と、はっきり言われました。
「できる」ようにすることが
親がしてあげられることだと思っていたのに。
じゃあ、どうするのか。
「出来ない」の前に先回りして
「できた」にすればいいんですよ
この心理士からの一言は
私にとって大きな発見でした
攻略本を手に入れた気分で試したくなりました
・上履きを持ち帰り忘れた
→迎えに行ったら上履きを持ち帰ることができた
・塾が始まるまで1人で待てない
→いっしょにいれば待つことができた
「できた」経験が増えると
そのうち「自分で出来る」に変化していきます
時期は個人差があるのでわかりません。
との事。
やってみるしかないか。と受け入れました。
すると8回目ぐらいに効果がでたのです。
前触れもなく
穏やかな表情で「もう大丈夫」
と息子から言ってきました。
それから忘れ物もなくなり、塾は早く着いても
1人で待てるようになりました。
すごい!ちゃんと「できる」に変わった!
やってあげてばかりいたら
そのまま甘えてしまうのでは?
と途中、疑問に思いつつ
やり続けて良かった!
他にも応用できそう!
と楽しくなっていきました。
第三章 支援級
・支援級でできること
ぼくは4年生になった。
世の中はコロナというウィルスで
みんなマスクをしないといけない状況に
なっていた。
クラス替えで4年1組になったけど
登校してから向かう教室は
支援級だ。
今までは教室で上手くいかないことがあって
イライラが止まらないときは
保健室に行っていたけど
これからはそれも支援級の教室に
なるわけだ。
ノートに書き写すのが
みんなより遅いことを伝えたら
ぼく専用の分かりやすいノートを
作ってくれた。
時間割は
苦手な体育の時間を
遅れている教科にかえたりしてあって
4年1組のみんなとは
まったく違うものだった。
分からないことがあったり
上手くいかないことがあっても
すぐ近くに先生がいる
だからすぐ対応してくれる
なんか個別指導の塾みたい
でも、困ることもある
同じ支援級の男の子に
文句をよく言われることだ。
ぼくが何か上手く出来ないとき
キーっと高い声を出してしまうと
「その声、やめて!」と
すごく怒った顔で言ってくる
そう言われるたびに
あやまっていた。
ぼくは何で高い声を出しちゃうんだろう
どうして止められないんだろう
このバカが。
ぼくはなんてバカなんだ
もう、そんな時は
死んだほうがいいのかな
なんて思ったりした
・絵が上手くなりたい
学校についてから
授業がはじまる前に
教室のテレビで朝礼をみることがある
ぼくが一番印象に残っているのは
同級生で近所の女の子が
校長先生から賞状をもらっていた時だ。
書写のコンテストで
何か受賞したみたいだった
なんだかうらやましくなって
僕も賞状をもらいたいと思った
ぼくは何をしたら賞状がもらえるのか。
休み時間に学校のなかを散歩していると
職員室の近くの壁に
防災ポスターコンテスト結果が
貼られていた。
夏休みに募集してたやつだ!
これなら僕にもできるかもしれない
やっぱり絵は上手くないと
入賞できないのかな。
絵を習いにいったら上手くなれるかな
おかあちゃんに聞いてみたら
絵が上手い人はたくさんいるから
まずはバランス良く書けるように
書道教室へ行こう!と言われた
習字で絵が上手くなるのか?
しぶしぶ通ってから半年がたったころ
なんと図工の授業で描いた
ぼくの「木」の絵が選ばれて
市役所の展示会へ出展することになった!
これはついに
ぼくも朝礼に呼ばれるのかな?
なんて思っていたのに
参加賞のクリアファイルを
担任の先生からもらっただけだった
やっぱり習字じゃダメなんだ
もうやめたい
あーあ
絵画教室に行けばよかった
そして通い始めて半年過ぎたころに
やめてしまった
・コラム…スクールカウンセラー
小学校からもらうプリントで
毎月スクールカウンセラーのお知らせがある
まったく興味がなかったので
タイトルを見ただけで処分していた。
息子が学校の授業や出来事で
少し躓いているのを感じた時
はじめてそのプリントに目がとまった
緊張しながら申込み
当日は何も話す準備もせず
まずは行ってみることにした
案内されたのは和室で、まず小学校に
こんな部屋があったんだ!と驚いた。
「カウンセリングは初めてなんです」
まずはこの一言から伝えようと
開口一番に言った。
カウンセラー: そうでしたか〜
表情からは
「続けてどうぞ」
といった感じに見えたので
私: 息子のことで何か分かることが
あればと思って…
カウンセラー: そうでしたか〜
その後も同じ表情と同じ相づちが続く…
なんなんだ!
次はそっちが話す番なんじゃないの?
と心の中で思いつつ
和やかな雰囲気を壊したくない思いで
結局1時間近く、ほぼ一方的に話した。
それではそろそろ時間ですね
また気軽に来てください
と言われて終わってしまった。
この1時間に何の意味があったのか。
気合いを入れて申し込んだのに。
なんだか悔しくて
次の月も申し込んだ。
発達障害のクリニックや
ADHDや自閉症の記事をネットで読んで
少し知識をつけて、
いざ2回目のカウンセリングへ
またしても穏やかな表情で
こんにちは
と、あいさつからスタート。
そして間が空く…
しょうがなく、またこちらから話した。
今日までにいろいろ調べてみたんですが
息子はこんな特性に近いかも。
でもこうだったり…
うっかり前回と同様に
一方的に話し続けてしまった。
カウンセラー: たくさん調べられたんですね
こう言われて はっとした。
前回は知識がなく、現状をツラツラ話していた自分がいて
今回は調べて分かったことを話してる
これがカウンセリングなのかも。
知り合いが雑談のなかで
二流のカウンセラーは
最初にアドバイスをしてくるけど
一流のカウンセラーは
たくさん話を聞いてる
それで相手を充分に知ってから
アドバイスしてくるものだよ
と教えてくれた。
私は一流のカウンセラーに出会えたのかな
と思った。
第四章 受験
・宿題がキライ
ぼくは字を書くのが
みんなより遅い
見てれば分かる
5年生になったぼくは
4年生から引き続き支援級に行き
時々、一般級へ行って
授業に参加した
黒板に書かれたことを
ノートに写す時間は
とにかくイヤな時間
ぼくがタイトルを書いたぐらいで
みんなは問題まで書き終わっている感じ。
だから母ちゃんは
塾を利用すればいいっていう。
じゃあ学校行かなくてもいいんじゃね?
って思ったら
授業に参加することに
慣れるため
それは家じゃできないから
って。
だから
書けそうなところしか
書いていない。
ただ困るのは
図工の下書きだったり
感想を書くやつだ。
何も思いつかないから
適当にも書けない
だから宿題になる
あー、プリントの宿題もあるのに。
ほんと
宿題ってなんなんだ
学校で勉強したんだから
プリントとかドリルとか
もういいじゃん
って思う
ぼくの遊び時間をどんどん奪う
だからキライ
宿題がない学校ってないのかなー
そんなことを言ってたら
母ちゃんが
受験すればあるよ
って教えてくれた
じゃあ、そこ行きたい
でも勉強が大変そう
そんなに勉強したくないし
ゲームのほうが楽しいし
じゃあ無理か。
でも宿題ないって
やっぱいいよなー
・お金持ちになりたい
将来はどんな自分になっていたい?
こう質問されたとき
ぼくは幼稚園のころ
「社長」
と答えていた。
今では
お金に困らない人になりたい
と答えている。
それは
お金がたくさんある状態?
それとも毎月たくさん給料が入ってくる状態?
って母ちゃんが聞いてきた
よく分からないけど
お金がなくて
欲しいものが買えないより
お金があって
欲しいものが買えたほうが
いいじゃん!
って思ってた
そしたら母ちゃんが
「学校では教えてくれない」シリーズの
「お金のこと」を買ってくれた
なになに
インフレ?デフレ?
ドル?ユーロ?
お金のいろいろ
あー、欲しいと思った時にお金あったら
そりゃその時欲しいし、その時しか
限定品は手に入らないし。
そしたらどんどん減っていく。
そんなことは分かってる。
お金持ちになる方法
母ちゃんによると
まず、
算数の勉強をすること
お金持ちの知り合いをみつけて
イメージすること
そのためにできることは
そんな勉強と出会いのある
中学校に行くこと
いまからできることは
学校を探すこと。
宿題がない学校もあるよ。
でも受験しないと入れない。
さあ、どうする?
挑戦してみる?
そう言われても
やったほうがいいなら
やったほうがいいに決まってるし
そのほうが
母ちゃん喜びそうだし。
でも勉強って楽しくない。
でもお金に困るような
生活はしたくないし。
宿題がないっていうのは
ほんとうれしいし。
そのために
塾に行くのは仕方ないことなのかな。
・マイクライベント
ぼくは6年生になって
支援級から一般級に戻った
受験を考えるなら
まずは一般級で過ごせないと無理だろう
ということで。
ちょうど世の中がコロナウイルスで
みんながマスクをするようになった
4年生と5年生は支援級にいたので
のんびり生活できた。
当たり前だけど
一般級は
黒板の内容をノートに書いたり
テストはあるし、委員会の集まりだったり
やる事が多い。
宿題もやっぱり多い。
ぼくは支援級にいたころから
小学校を卒業するまでに
友達何人か集まって
ゲームの大運動会を開催したい!
と思っていた
まずは
マイクライベント
マイクラで敵に攻撃するとき
コマンド入力すると
新しい技(ワザ)が使えるようになる
なのでYouTubeで探したら
カッコイイ技をみつけたので
そのコマンド入力を頑張っている
夏休みは宿題を7月に全部終わらせて
8月はたっぷりマイクラの技コマンドの
入力ばかりしていた。
もちろん勉強もした。
8月からは週2回、家庭教師が
来ることになったのだ。
白髪でジイジに近い雰囲気で
年齢を聞いたら65歳、教師暦40年の
ベテラン先生だった。
だから受験するしかない。
勉強かー。
でも算数だけだし。
夏休みに入ってからは
ゲームの制限時間は2時間で夜20時まで
なんとか7個の技のコマンド入力を
終わらせた。
あとは勉強モードに突入!
って予定してたけど…
分かる問題は楽しくなってきたのに
分からない問題は
すごく疲れる。
楽しくないから嫌になる。
それで
母ちゃんに算数を漫画にしてもらった。
そして迎えた受験の日
午前中に受けた問題は
わりと解けたし、70点ぐらいは
とれたと思う。
でもそれじゃダメだった…
午後も次の日も試験を受けたけど
「合格」だけの画面は見られなかった
気分よくイベント開催したかったけど
結果は結果。
コツコツ計画して完成した「ワザ」を使って
遊んでくれそうなやつに声をかけたら
なんとか5人集まってくれた!
そしてゲーム大運動会を開催した!
受験は不合格で涙もたくさん出たけど
小学生の最後の思い出をつくることは出来た☆
4月からはみんなと同じ地元の中学校へ行く。
お別れ会イベント
おめでとうイベント…にはならなかったけど
集まって遊べて
本当に良かった。
公立中学は宿題が多いんだったよなー。
塾に行くしかないかな。
・コラム…親ができること
今回の中学受験は
過ごしやすい学校を選ぶなら
私立を挑戦してみよう!
と思い立って
塾をいろいろまわり、最後は家庭教師に
たどり着いた。
やっておけば良かった
やったら違ったかも
そんなふうに後悔しないため
行動してみようと思った。
“挑戦した経験があれば
また新しい挑戦をするときの
ヒントになる”と考えたのが
きっかけだった。
でも、学習の習慣がないところから
勉強の面白さや頑張りは
なかなか育たず
やはり今回も後手後手だった
親ができることは
習慣にさせたいことを
手助けすること
手助けするためには
先回りして
準備しなければいけない
その準備をするための
習慣が必要になる
親が習慣を身につけていること
これがないと
子供は迷ってしまうのかも。
・おわりに
「できない僕を分かってほしい」
すべては息子の
この一言から始まりました。
これを聞いたのは小学2年生の夏ごろ
私がすぐ言い返した言葉は
「できないなら頑張りなよ」
でした。
その返しに
しょんぼりした息子
「はいはい、お風呂入るよ」
と切りかえたものの
脳裏になぜか息子のこの言葉が残り
息子はどうして「できない」のか
調べるように…
そして
やっと「自閉症」にたどり着きました。
思い返せば
保育園のころから個性が強かった
(別行動をよくしていた)
幼稚園では集団行動ができていなかった
(指示を聞いていないことが多かった)
「子育てお悩みセミナー」の誘いを受けた
(興味がなくて断った)
それは自閉症による行動があったため
とは気づいていませんでした。
個性なのか
しつけ方が悪かったのか。
怒ったり怒鳴ったり
苛立つ毎日
でも悩んでるかと言われたら
楽しいときもあったせいか
「悩みは特にない」
(=しょうがないこと)と思っていて。
時は過ぎて
スクールカウンセラーと話し
発達障害クリニックで
医師と心理士に話を聞き
現状を受け止め
解決に向けて動きだしました。
息子からあの言葉を聞いていなかったら
未だに私は状況が分からず
ストレスを抱えていたと思います。
「しょうがないこと」と思いながら。
同じ境遇の方は、変化の糸口に。
身近に同じタイプの方がいたら
気づくきっかけになってほしいです。
(この記事は今までの記事をまとめて編集したものになります)