「嫌」の内側にあるもの
嫌われないようにしていた頃のほうが、私はよく人と揉めていた。
今振り返ると、不思議な話だと思う。
あの頃の私は、できるだけ誰とも揉めないようにしていた。
相手が話すことには、とりあえず共感した。
自分とは全然違う意見でも、
「分かる」
「そうやんな」
と話を合わせた。
長い話を聞いているうちに、途中から内容がまったく追えなくなっても、最後まで相槌を打った。
その場では、それがいちばん角が立たなかったからだ。
でも、その相槌を「同じ意見」と受け取られることがあった。
後日、また同じ話をされて、私が内容を覚えていないと、不思議そうな顔をされた。
AさんとBさんの仲が悪い時は、もっとややこしい。
AさんにはAさんの話に合わせる。
BさんにはBさんの話に合わせる。
私はどちらの味方になるつもりもなく、ただその場を丸く収めたかっただけだった。
でも、どこかで二人の話がつながると、
「結局、どっちなん?」
となる。
中立でいたかったはずなのに、誰にでも合わせることで、かえって一番ややこしい場所に立っていた。
その場を丸くするためについた小さな辻褄合わせが、あとから別の辻褄を壊していった。
恋愛でも、似たようなことをしていた。
当時の私は、本当の自分を見せたら、誰も一緒にいてくれないと思っていた。
実際、その頃の私は、超がつくほど暗かった。
一人でいる時に考えていることも、だいたいネガティブだった。
そんな自分をそのまま出して、人と一緒にいられるとは思えなかった。
だから、彼氏ができると、明るい自分をつくった。
何を求められても、だいたいニコニコして受け入れた。
自分とは違う意見を聞いても、
「分かる」
と言った。
本当は家にいたい日でも、
「ここ行きたい」
と言われれば、ついていった。
楽しそうにもした。
デートの日は、朝から時間をかけて身支度をして、明るい自分を一人分つくって出かけた。
帰ってくると、しばらく干物みたいになっていた。
頻繁に会うのもしんどかった。
誘われても、
「その日は仕事で」
「ちょっと予定があって」
と、別の理由をつくって断った。
「今日は一人でいたい」
とは、言えなかった。
それなのに、関係が深くなって、
「何でも言ってな」
と言われる頃になると、私は少し安心してしまう。
もう言っていいのかもしれない、と思う。
それまでなら「分かる」と言っていたところで、
「私はちょっと違うと思う」
と、本当のことを言ってみる。
すると、相手の顔が少し止まる。
あれ。
何でも言っていいって言ったやん。
でも、今なら相手が戸惑った理由も少し分かる。
相手がそれまで知っていた私は、何を言っても笑って受け入れてくれる私だった。
変わったのではなく、隠していた部分が出ただけだった。
でも相手には、急に別の人が出てきたように見えたのだと思う。
そして私は、
「ほら。やっぱり本当の私を出したら嫌われる」
と思った。
そういうことを何度か繰り返すうちに、その思いはだんだん強くなっていった。
しまいには、
「もう彼氏いらんわ。一人でいい」
と、本気で思うようになった。
一人なら、明るくしなくていい。
楽しそうにしなくていい。
誰かに合わせて、自分の一日を使わなくていい。
ちょうどその頃、職場で今のパートナーと出会った。
仲良くなって、一緒に遊びに行くようになった。
ある日、家に来た。
私は、普通に一日おるんかな、くらいに思っていた。
でも、いつまで経っても帰らない。
「……住み着いてる?!」
気づけば、そのまま一緒に暮らしていた。
最初から自然体だったわけではない。
長年の癖だから、やっぱり相手に合わせてしまうところはあった。
でも、それまでの恋愛とは少し違った。
付き合う前から、
「もう一人でいいと思ってる」
と伝えていた。
そもそも私は、同じ空間にずっと人がいるのも苦手だった。
一緒に暮らし始めてからは、自分のペースを乱されると、
「私のペース乱さんといて」
と怒った。
しんどくなれば、
「もう、出ていって!」
とも言った。
一度や二度ではない。
たぶん、そんなことを言えたのは、強くなったからではない。
本気で、一人でもいいと思っていたからだ。
嫌われたら嫌われたでいい。
出ていかれたら、一人に戻ればいい。
そう思えたことで、初めて言えるようになったことがあった。
ただ、その頃の私は、まだ自分が何をしたいのか、よく分かっていなかった。
「何食べたい?」
と聞かれても、分からない。
「どこ行きたい?」
と言われても、特に思いつかない。
本当に何でもよかった。
昔から、そんな自分を「あかんな」と思っていた。
もっと自分の意見を持たなあかん。
自分の気持ちをちゃんと探さなあかん。
そう思って、自分の中を探したこともあった。
でも、探しても出てこないものは出てこなかった。
だから、それも諦めた。
パートナーには、先に伝えた。
「私、自分が何したいか分からへんこと多いねん。そこは合わせるし、何か思いついたら言うわ」
「何でもいい」と言われると困る人がいるのも分かっていた。
でも、本当に何でもいい時まで、それらしい答えをつくるのはやめた。
不思議なことに、
「これがしたい」
は分からなくても、
「これは嫌」
は、少しずつ分かるようになっていた。
ずっと同じ空間に人がいるのはしんどい。
自分のペースを乱されるのは嫌。
今日は外に出たくない。
分かるものだけは、隠さずに言うようにした。
そうやって暮らしているうちに、ある日、普通に、
「焼き肉行きたい」
と口から出た。
パートナーは、
「じゃあ行こか」
と言った。
それだけだった。
何かが壊れることもなかった。
誰かが困ることもなかった。
それから少しずつ、そういうことが増えた。
今では、パートナーから、
「今日、スーパー銭湯いこ」
と言われても、家にいたければ、
「今日は家におりたい」
と言う。
「えーーーー」
と言われても、
「一人でいってきて〜(笑)。待ってるから♡」
で終わる。
「これがしたい」は、最初から分からなくてもよかったのかもしれない。
私の輪郭は、「これは嫌」の内側から、少しずつ見えてきた。
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