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週休3日は、こうして段階的に手に入れた。20年かけて気づいた「働き方の設計図」

    はじめに:最初から手に入れたものではない

    週休3日というと、最初からそういう働き方をしていた人の話だと思われることがあります。

    違います。

    私が今の働き方にたどり着くまでに、20年以上かかりました。最初の会社に20年勤め、自分で退職し、個人事業で苦しみ、週1回のアドバイザー契約から始めて、少しずつ条件を積み上げてきました。

    週5への誘いを何度も断り続け、定年前後の交渉を経て、今も同じ条件で働いています。ボーナスあり、一般社員と同じ待遇で。

    この話のどこが再現可能かというと、「段階的に設計した」という点です。

    一度で全部手に入れようとしなかった。その代わり、各段階で「次の条件」を意図的に作り続けました。

    その設計図を、この記事で共有します。


    第1章:20年勤めた会社を辞めた理由

    最初の就職先は専門商社でした。

    20年勤めました。最終的には企画室長まで務めました。傍から見れば、順調なキャリアです。

    でも40代になったとき、一つの感覚が強くなっていきました。

    「自分で仕事がしたい」

    企画室長として、それなりの裁量はありました。でもそれは「会社の中での裁量」です。会社の方針の範囲内で、会社のリソースを使って、会社の目標に向けて動く。それが20年続いていました。

    自分で仕事をするとはどういうことか。自分で判断し、自分で動き、自分で責任をとる。その感覚を一度経験してみたかった。

    だから退職しました。

    企画室長という肩書きも、20年分の人間関係も、安定した給与も、全部置いて出ました。


    第2章:個人事業の2年間——一番しんどかった時期

    退職後、個人事業を始めました。

    前職で培った経験とネットワークを活かす形で動き始めました。最初は「なんとかなるだろう」と思っていました。

    なんとかなりませんでした。

    お金が少しずつ減っていく感覚は、経験した人にしかわからないと思います。毎月の収支を見るたびに、じわじわと不安が積み上がっていく。それが2年間続きました。

    でも、やめようとは思いませんでした。

    理由は二つあります。

    一つは、まだ諦めていなかったから。もう一つは、「個人として動く時間と実務」を手放したくなかったからです。

    個人事業がうまくいかなくても、「自分で仕事をしている人間だ」という事実は保ち続けたかった。その感覚が、後の働き方設計の土台になりました。

    そんな時期に、一本の連絡が入りました。前の会社で一緒に働いていた先輩からです。その連絡が、その後20年間の働き方の土台になるとは、その時は思っていませんでした。


     
     
    専門商社で20年以上、週休3日・月収を落とさずに働いてきました。定年後も同じ条件で継続中。自分で選んだ道だから、後悔はない。会社員であることと、自由であることは矛盾しない——その実体験を書いています。

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