
崩れそうなまま、それでも動いていた
息子と毎朝、一緒に学校に行っている。
いつものように、玄関の前でタッチして見送った。その瞬間、「おかあさーーん」と走って追ってきた。ギューと抱きついて、タッチタッチタッチ、と何度も。
また見送る。でも息子の表情が、どんどん暗くなっていく。
「うーーん、やっぱ無理ーー行けない」
1年生のころから、何度かあった行き渋り。また始まった。なんで行けないの、困った。お母さん仕事あるし、もう行くよ、、とイラつきながら、突き放そうとしてしまった。
嫌な予感はしていた。でも、そのときの私には、息子からの限界サインを受け止める余裕がなかった。
今は2年生になった。あのころとは、寄り添い方が変わった。行けるところまででいいよ、と思えるようになった。
変われたのは、あのころ動き続けていたからだと思っている。
倹約家でチョーケチな夫と、お金のことや子育てのことで、ずっと平行線だった。話し合っても、かみ合わない。
ずっと縛られながら生きていく未来が、想像できなかった。
もっと自分らしく生きたい。自分の力で生きたい。その気持ちが強くなった。
自立を考えるようになったのは、そのころだ。誰かに寄りかかって生きていくのが、怖くなっていた。NISAでの積立は以前から始めていた。でも、もっと自分で動きたくて、成長投資枠や日本株、チャートの読み方を勉強し始めた。大きな夢じゃない。ただ、自分の力で生きていきたかった。それだけだった。
そんな中、息子の行き渋りが日常になっていった。
投資の勉強をする時間が、少しずつ減っていった。代わりに画面で調べるのは、教育相談、デイサービス、発達特性の凹凸。知らない言葉ばかりだった。
崩れたのは、このころだ。でも、息子の特性の凹凸、その取扱説明書が少しずつわかってきた。
「また始まった」が、「ここからが本当のスタートだ」に変わっていった。
でも、気づいたことがある。
積立は、続いていた。勉強する時間が減っても、毎月の積立だけは止まらなかった。自動的に、淡々と。私がどんな状態でも、お金だけは動き続けていた。
息子のことで頭がいっぱいの夜、ふとそれを思った。あのとき始めていてよかった、と。崩れそうな自分の足元に、積立だけは支えになっていた。
忘れられない2週間がある。
息子がインフルエンザで1週間休んだ。そのまま学級閉鎖で、さらに1週間。仕事も、用事も、自分の時間も、全部手放した。ただ家で、息子に寄り添った。
途方に暮れていた。このまま、どうなるんだろうと。
でも、その2週間で、日本株の利益が4万円出た。
パートをひとつ増やしたくらいの金額。私にとっては、とても大きなお金だった。嬉しかった。でも、嬉しかったのはお金だけじゃなかった。
色んなことを諦めて、苦しい中で、それでも自分で動いてお金を増やせた。その事実が、大きな自信になった。
地合いが良かったのもあると思う。全部が自分の力じゃない。でも、その地合いの良さを味方につけて、あの状況の中で利益を出せた。それは本物だと思った。
折れそうなまま、それでも私は動いていた。
noteを始めたのは、まだ渦中だった。
夫とのいざこざ、息子のこと、義母との関係。頭の中がぐちゃぐちゃで、どこから手をつければいいかわからなかった。
書けば、少し整理できる気がした。可視化したかった。自分の中にあるものを、外に出したかった。
それだけじゃない。収益化できる種まきになるかも、とも思っていた。きれいな動機だけじゃなかった。生活のことも、頭にあった。
投資は続けていた。息子のことを調べながら、夫に言えない不満を抱えながら、それでも積立だけは止めなかった。
折れそうなまま、それでも私は動いていた。
解決したわけじゃない。今もぐちゃぐちゃな日はある。
でも、あのとき動いていた。お金が不安で、誰にも言えなくて、それでも積立だけは止めなかった。息子のことで崩れそうになりながら、少しずつ発達特性について学びながら寄り添っていった。折れそうなまま、それでも私は動いていた。
気づいたら、ここに立っていた。
これが本当のスタートだと、今は思っている。
あのころの自分が動き続けたから、今の私がいる。
よくここまでやってきたなと、今は思う。
あのころの自分に。