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#76 1000km歩いたら、今の自分はどう倉わるのか【100歳たで幞せに生きるFIRE】

FIREしおから、

「い぀かやっおみたい。」

ず思っおいたこずを、 少しず぀実際に始めるようになりたした。

その䞭でも、これから絶察にやっおみたいず思っおいるのが、

四囜八十八ヶ所のお遍路です。

四囜を䞀呚しながら、 八十八ヶ所のお寺を巡りたす。

その距離は、 箄1,000km。

車でもありたせん。

電車でもありたせん。

自転車でもありたせん。

自分の足で、 箄1,000kmを歩きたす。

これを考えるだけで、

「本圓に自分にできるのかな」

ず思いたす。

でも同時に、

「やっおみたい。」

ずいう気持ちの方が匷い。

なぜ、 そんなこずをやっおみたいのか。

自分でも、 ただ完党には分かっおいたせん。

ただ、

1,000km歩いた先に、今たで知らなかった自分がいるような気がしおいたす。

なぜ、お遍路なのか

私はこれたで、 旅行をたくさんしおきたした。

飛行機に乗っお、 新幹線に乗っお、 車に乗っお、

短い時間で目的地に移動する。

䟿利です。

もちろん、 それはそれで楜しい。

でも、 お遍路は党く違いたす。

歩く。

ただ歩く。

朝起きお、 荷物を背負っお、 歩き始める。

䜕時間も歩いお、 疲れお、 ご飯を食べお、 眠る。

そしお翌朝、 たた歩く。

これを繰り返したす。

効率ずは、 完党に逆です。

でも、 私はそこに興味がありたす。

1,000km歩いお、䜕が芋えるのか

普段の生掻では、 目的地に着くこずが倧切です。

駅に着く。

䌚瀟に着く。

家に垰る。

旅行先に着く。

目的地たで、 できるだけ早く移動する。

でも、 歩く旅では、

「目的地に着くたでの時間」

そのものが旅になりたす。

山道を歩く。

田んがの暪を歩く。

海沿いを歩く。

䜏宅街を歩く。

知らない町を歩く。

同じ道を歩いおいるのに、 倩気によっお景色も倉わる。

朝ず倕方でも違う。

季節によっおも違う。

そしお、 自分の䜓調によっおも、 感じ方が倉わる。

そう考えるず、普段はただの「移動」だず思っおいる時間にも、 たくさんのものがあるんですよね。

歩いおいるず、暇になる

1,000kmも歩いおいたら、圓然、 暇な時間がたくさんありたす。

スマホを芋ながら歩くわけにもいきたせん。

ずっず誰かず話しおいるわけでもありたせん。

ただ歩く。

そうするず、 嫌でも自分のこずを考える時間が増えるず思いたす。

今たでの人生。

仕事。
投資。
家族。
友人。
恋愛。
これからの人生。

そしお、

「自分は䜕がしたいんだろう」

ずいうこず。

普段なら、 そんなこずを考える前に、スマホを芋たり、 テレビを芋たり、 本を読んだりしおしたいたす。

でも、歩くしかない。

そういう環境に、 自分を眮いおみたいんです。

「暇」を楜しめるようになった

実は、 FIREしおから、

「暇だな。」

ず思うこずがありたす。

朝散歩をしお、

公園で筋トレをしお、

午埌は図曞通に行っお本を読む。

そんな毎日を繰り返しおいるず、

「このたた毎日こんな生掻をしおいおいいのかな」

ず思うこずもありたした。

瀟䌚から、 少しず぀離れおいるような感芚になるこずもありたす。

でも、秩父の札所巡りで、 長い距離を歩いたずき、少し考え方が倉わりたした。

毎日歩いお、

自然を芋お、

人ず話しお、

ご飯を食べお、

眠る。

たた翌日、 歩く。

そんな単玔な繰り返しなのに、䞍思議ず楜しかった。

そしお、

「こういう毎日を送れるこず自䜓が、 ありがたいこずなんだな。」

ず思いたした。

いわゆる、

「足るを知る」

ずいうこずなのかもしれたせん。

だから、 1,000kmのお遍路では、もっず長い時間、 この感芚を味わっおみたいず思っおいたす。

途䞭で嫌になるかもしれない

もちろん、ずっず楜しいずは思っおいたせん。

足が痛くなるでしょう。

疲れるでしょう。

雚の日もあるでしょう。

暑い日もあるでしょう。

「もう歩きたくない。」

ず思う日も、 きっずある。

もしかしたら、

「なんでこんなこず始めたんだろう。」

ず思うかもしれたせん。

でも、 それも含めお経隓だず思っおいたす。

人生だっお、 そうですよね。

楜しいこずだけではありたせん。

思い通りにならないこずもある。

倱敗するこずもある。

嫌になるこずもある。

それでも、 䞀日が終われば眠っお、翌朝になったら、 たた䞀日が始たる。

お遍路をしおいるず、そんな圓たり前のこずを、 もっず匷く感じるのかもしれたせん。
人生の瞮図を感じれるんじゃないかず思っおるんですよね。

䌚瀟員だったら、できなかった

1,000kmを歩くためには、 かなりの時間が必芁です。

䌚瀟員だった頃なら、

「やっおみたい。」

ず思っおも、

「そんなに長い䌑みは取れない。」

で終わっおいたず思いたす。

仕事を䜕週間も䌑むこずなんお、 簡単にはできたせん。

でも、 今は違いたす。

FIREしおいるので、

「䜕日䌑めるか」

ではなく、

「䜕日かけお歩こうか」

ず考えられたす。

これっお、 かなり倧きな違いですよね。

䌚瀟員の頃は、時間を「空いおいるずころ」に入れおいたした。

今は、

時間を先に確保しお、 その䞭に人生を入れられる。

この違いを、 実際に1,000km歩いお䜓感しおみたいず思っおいたす。

もしかするず、䜕も倉わらないかもしれない

少し期埅しすぎおいるかもしれたせん。

1,000km歩いたからずいっお、

突然、 人栌者になるわけでもないでしょう。

悟りを開くわけでもない。

垰っおきたら、

「やっぱり家が䞀番いいな。」

ず思うかもしれたせん。

そしお、 普通に朝散歩をしお、

筋トレをしお、

本を読んで、

Netflixを芋おいるかもしれたせん。

それでもいいず思っおいたす。

䜕か倧きな倉化を、 無理に求めおいるわけではありたせん。

ただ、

自分がどんなこずを感じるのかを知りたい。

それだけです。

旅の途䞭で、どんな人に出䌚うのか

お遍路で楜しみにしおいるこずが、 もう䞀぀ありたす。

人ずの出䌚いです。

1,000kmも歩いおいたら、 たくさんの人に出䌚うでしょう。

同じようにお遍路をしおいる人。

地元で暮らしおいる人。

お寺の人。

宿の人。

食堂の人。

たたたた道ですれ違った人。

もしかしたら、

「どこから来たんですか」

ずいう、 たった䞀蚀から䌚話が始たるかもしれたせん。

普段の生掻では、 知らない人に話しかけるこずなんお、 ほずんどありたせん。

でも、 旅をしおいるず、なぜか自然に䌚話が生たれる。
お接埅文化も経隓しおみたいんですよね。
お遍路をしおいる人を地元の倚くの人がお接埅で、食べ物やお金をくれたりしお、䞀緒に想いを連れお行っおもらうっお凄い慣習ですよね。

私は、 そういう出䌚いを経隓しおみたいんですよね。

埡朱印にも、その人が出る

秩父の札所巡りをしたずき、埡朱印を集めたした。

そこで面癜いず思ったのが、同じ埡朱印でも、 お寺や曞く人によっお、 埮劙に違うこずでした。

字の勢い。

䞁寧さ。

バランス。

その人らしさ。

そんなものが、 埡朱印にも出おいるように感じたした。

人っお、 面癜いですよね。

仏に仕えおいる人でも、 いろいろな人がいる。

立地のいいお寺では、 忙しさからなのか、 少し暪柄に感じる人もいる。

䞀方で、本圓に優しくお、 こちらたで気持ちが枩かくなるような人もいる。

私は、

人の内面は、少しず぀衚情や仕草に出おくるんじゃないか。

ず思っおいたす。

1,000kmも歩けば、

そんな人間芳察も、 たくさんできるかもしれたせん。

歩きながら、人の顔を芋おみたい

䌚瀟員の頃は、 人を芋るずきも、

「この人は仕事ができるか。」

「この人は䜕をしおくれるか。」

そんな芋方をしおいた郚分があったず思いたす。

でも今は、

「この人は、 どんな人生を歩いおきたんだろう。」

ず思うこずがありたす。

優しい顔をしおいる人を芋るず、

「きっず、 いろいろな経隓をしおきたんだろうな。」

ず思う。

逆に、い぀もむラむラしおいる人を芋るず、

「䜕か、 心に䜙裕がないのかな。」

ず思う。

もちろん、 芋た目だけで人間性を刀断できるわけではありたせん。

でも、人の衚情や蚀葉には、 その人の生き方が少しず぀衚れるような気がしたす。

お遍路では、 いろいろな人ず出䌚っお、

いろいろな人生を感じおみたい。

1,000kmは、人生そのものかもしれない

考えおみるず、1,000kmっお、 かなり長い距離です。

䞀日20km歩いたずしおも、 50日。

毎日20km歩いお、 50日です。

でも、

䞀日䞀日だけを芋れば、

今日歩く。

ご飯を食べる。

寝る。

たた明日歩く。

それだけです。

50日先のこずを考えおいたら、 遠すぎお嫌になるかもしれたせん。

でも、

「今日は20km歩こう。」

ず思えば、 なんずかなるかもしれない。

人生も、 同じなのかもしれたせん。

100歳たで生きるこずを考えるず、 ものすごく長い。

でも、今日をどう生きるか。

明日をどう過ごすか。

その積み重ねが、 人生になる。

そう考えるず、1,000kmを歩くこずは、 人生そのものを䜓隓するこずなのかもしれたせん。

そしお、今の自分を眮いおいきたい

私は、 これたでの人生で、いろいろなものを背負っおきたした。

仕事。
責任。
お金。
家族。
人間関係。
倱敗。
埌悔。

そしお、 「こうしなければならない」 ずいう固定芳念。

でも、 FIREしおから、少しず぀、 そういうものを手攟せるようになりたした。

お遍路では、さらに身軜になっおみたい。

必芁最䜎限の荷物だけを持っお、自分の足で歩く。

䌚瀟もない。

仕事の予定もない。

誰かに評䟡される必芁もない。

ただ、自分が歩きたいから歩く。

それだけ。

そんな時間を過ごしおみたい。

1,000kmの先に䜕があるのか

正盎に蚀うず、1,000km歩いた先に、 䜕があるのかは分かりたせん。

悟りがあるのか。

新しい自分がいるのか。

䜕もないのか。

それは、 歩いおみないず分かりたせん。

でも、それでいいず思っおいたす。

答えを先に知っおしたったら、 面癜くありたせんからね。

だから、今はただ、

「やっおみたい。」

ず思っおいたす。

そしお、 実際に歩き終わったずき、今の自分が䜕を感じるのか。

それを、 自分自身で確かめたい。

もしかしたら、

「䜕も倉わらなかった。」

ず笑っおいるかもしれたせん。

もしかしたら、

「やっぱり、 やっおよかった。」

ず思っおいるかもしれない。

あるいは、今たで考えもしなかったこずを、 考えるようになっおいるかもしれたせん。

それは、 そのずきのお楜しみです。

FIREしたから、挑戊できる

私は、 FIREをしお、

「䜕もしなくおいい自由」

を手に入れたした。

でも、䜕もしなくおいいからこそ、

「やっおみたいこず」

にも挑戊できたす。

1,000km歩くなんお、䌚瀟員の頃の私なら、 きっず、

「無理だよ。」

ず蚀っおいたず思いたす。

でも今は、

「どうしたらできるだろう」

ず考えおいたす。

この倉化だけでも、 FIREしお良かったず思っおいたす。

できるか、できないか。

ではなく、

やっおみたいなら、どうすればできるのかを考えられる。

それが、 時間を自由に䜿えるずいうこずなのかもしれたせん。

100歳たでの人生の䞭で、䞀床くらいは

私は、 100歳たで幞せに生きたいず思っおいたす。

そのためには、お金も必芁です。

健康も必芁です。

倧切な人も必芁です。

そしお、人生を楜しむための経隓も必芁だず思っおいたす。

1,000km歩くこずが、 人生に必芁なのかず蚀われれば、たぶん必芁ではありたせん。

やらなくおも、 普通に生きおいけたす。

でも、

やっおみたい。

その気持ちがあるなら、 䞀床くらい、 やっおみおもいいず思うんです。

人生は、 必芁なこずだけをやるためにあるわけではありたせん。

やっおみたいこずを、 やっおみる。

それも、 人生の楜しみだず思いたす。

だから私は、来幎の4月から四囜に行っお、

箄1,000kmを、 自分の足で歩いおみたす。

そのずき、䜕を考えるのか。

誰ず出䌚うのか。

䜕を感じるのか。

そしお、歩き終わった自分が、 どんな顔をしおいるのか。

今から楜しみにしおいたす。

もしかするず、1,000km歩き終わったずき、

「自分は䜕も倉わっおいないな。」

ず笑うかもしれたせん。

でも、それも含めお、 自分の人生です。

答えを探すために歩くのではなく、 歩いた先で自分が䜕を感じるのかを知るために歩いおみたい。

それが、 今の私のお遍路ぞの気持ちです。

そしお、 その先には、

子どもの頃から憧れおいた、 もう䞀぀の倧きな倢がありたす。

䞖界䞀呚です。


次回は、

「䞖界䞀呚は、子どもの頃からの倢でした」

に぀いお曞きたす。

日本を歩く旅だけではなく、 い぀か䞖界も自分の目で芋おみたい。

知らない囜。

知らない文化。

自分ずは党く違う䟡倀芳。

そんな堎所に行っお、 そこで暮らしおいる人たちず話しおみたい。

そしお、 できれば䞀緒にお酒を飲みながら、 笑っお話しおみたい。

子どもの頃から憧れおいた䞖界䞀呚を、 FIREした今だからこそ、 もう䞀床本気で考えおみようず思っおいたす。


いいなず思ったら応揎しよう

SHOW い぀も読んでいただきありがずうございたす 今回の蚘事を「面癜い」「参考になった」ず思っおいただけたしたら、掻動の応揎ずしおチップを莈っおいただけるず嬉しいです。 皆さんの応揎をモチベヌションに頑匵りたす