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「他人に迷惑をかけないように!」が強い田舎、女がそこに生まれ、そこで終わること | 斜めな日々

     部活のコーチ、そして親戚や知人から……。私はなぜ何十年も口をつぐんだのか、そしてなぜ今になって、もう罪には問えないと知りつつ口を開いたのだろうと自分でも思う。

     ある窓口で私の目の前に差し出された「人権」という言葉。自分と結びつけたことなどなかったその言葉の物々しさに、私は「えっ?」とたじろいでしまった。私に人権がある?。
    「人権」という言葉を調べてみる。
     法務省の人権擁護局のパンフレットによれば、「全ての人々が生命と自由を確保し、それぞれの 幸福を追求する権利」あるいは「人間が人間らしく生きる権利で、生まれな がらに持つ権利」とある。

     そのなかの「自由」という文字に頭が反応した。自由だったかと訊かれれば、確実に私の半生は「自由ではなかった」と答えるが、それさえ意識したことがなかった。

     そして自分に染みついてしまったものにはたと気づく。ネグレクトというのか、生涯私を愛せなかった母が、いつも冷たく言い放つ「他人に迷惑をかけないように!」という言葉。
     だがこれは、子供へのしつけのなかで親がよく言うことでもあるし、正しいと思える言葉でもある。ただ、子供は小さいながらもその言葉の裏側をきちんとわかっていたりする。しがみついて生きるしかない子供は、頑張っておしえを守る。

     ふりかえると、私は必死で波風立てずに生きようとしてきた気がする。空気を乱すことを恐れて、本当の言葉は胸にしまって。

     愛情を置いておいて、ならば母のせいにできるかというと、母もまたそうやって育てられてきたことを知っている私はそうもできない。それ以前に長男の嫁としての母の苦労を見てきている。まさしく男尊女卑の「女はこうあるべき」という真ん中で生きた人だ。

     人が少ない田舎では「どこの家の誰」という認識で人を見る傾向がある。そうなると下手に噂されるようなことはできない。何よりも体裁を大事とするひとりの女性が作り上げられるのも当然のことのように思える。
     そうして周りを見渡すと、生まれ育った地域が関係していないとは言えない気がするのだ。地域まるごと負の連鎖のなかにいるような。

     私の住む東北の田舎町は、少子高齢化や人口流出も激しい。それら女性に関わる社会問題は、それほど難しいものと私には思えない。

     女性は本能的に、不安のない世界で子供を産みたいのだ。
     都市に女性が集まるのは、自由という幸せを求めるからだ。
     女性の意思が、吹けば飛ぶような軽さで扱われる時代ではないのだから。 

     
     
    鏡のなかの自分が誰だかわからないという症状。 この解離症(離人症)だけは手に負えそうにない。 「いつか突然、私の記憶が消えてしまったら……」 そんなわけで、日々の思いを苦手な文章でつづっている。 私の生きがい、ドールやジャズのことも。 こんばんは。読んで下さってありがとう。

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