
桜餅のお酒って、何だっけ?【あとがき⑰】
『正反対にいる二人』へ贈る言葉
「本気で好きになって、被害者も加害者もあるもんか。」
これは、ある数日間の、あまりに鮮烈で、あまりに静かな恋の記録です。
読み終えた皆さんに、一つ問いかけたいことがあります。
愛ゆえに相手を丸ごと受容れようとし、結果として傷を負った「夏純」は、被害者でしょうか。
愛ゆえに、自分を汚さないために相手を手放し、沈黙を選んだ「大地」は、加害者でしょうか。
夏純は、信じて、すべてを受け入れようとしました。
その「誠実さ」という正義が、結果として回復途上の彼を追い詰め、自分自身をも深く傷つけてしまった。
彼女は、愛という刃で自分を切りつけた被害者なのか。それとも、彼に重荷を背負わせた加害者なのか。
大地は、自分を取り戻そうとする必死の過程で、彼女の光に手を伸ばしてしまいました。
愛したいと願う本能と、責任を負えない病状との板挟み。彼は、彼女を裏切った加害者なのか。
それとも、過去の傷に未来を阻まれた被害者なのか。
「好きだから、すべてを飲み込んで受容れる」夏純の美学。
「好きだから、汚さないために手放す」大地の美学。
本来なら平行線で交わらないはずの二つの純粋さが、運命の悪戯のようなタイミングで交差したとき、そこには残酷なまでの純愛が生まれます。
正反対の愛し方を持つ二人が出会い、同時に恋に落ちてしまった。その二人の『共鳴』の果てにある景色を、私はこの物語に込めました。
人生は、良いことも悲しいことも、身に起こる全ての出来事を通して、本当の自分を探して取り戻す、果てしない旅です。
出会い、傷つけ合い、そしてたとえ離れることになったとしても、その痛みのすべてが、自分を取り戻すために欠かせないピースだったのだと、今なら思えます。
たとえ今は隣にいなくても、あの数日間に二人が見た眩しい光は、夏純と大地が確かに「生きた」という、揺るぎない証(あかし)なのです。
この物語が、今、何かを失い、それでも前を向こうとしている誰かの光になることを、心から願っています。
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