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アレハンドラ

    王家と十一のドラゴン騎士団に守られる国テクサク。ある日、パン屋の息子クラウドは、最強の騎士アレクと青竜アレハンドラに見いだされ、竜に祝福された後継者として空へ連れ出される。だが、王位継承争いの果てに王女アリスは追放され、さらに北方からの侵攻によって、師アレクは命を落としてしまう。残されたクラウドは、怒りのままに戦うのではなく、人と竜の絆を未来へ繋ぐ道を選ぼうとする。やがてその想いは、新たな命と次の世代へ受け継がれていく。最強の竜騎士の死から始まる、竜と人の継承の王道ファンタジー。


    プロローグ:竜の祝福
    「アレハンドラー! どこだ、返事をしてくれ!」
     アレクの叫びは、湿った森の空気に吸い込まれていった。
     第七ドラゴン騎士団を束ねる若き団長としての威厳も、今はどこかに置き忘れている。相棒であるアレハンドラの気配が突然途絶えた時、アレクの脳裏をよぎるのは、いつも最悪の事態だ。
     ふとした拍子に、額の紋章が熱を帯びる。かつてアレハンドラから授かった「ドラゴンの祝福」の証だ。有事の際に輝くその紋章は、今、主の焦燥に呼応するように、皮膚の裏側でドクドクと脈打っていた。
     その時、木々の隙間から鋭い悲鳴が届いた。
    「きゃあ! やめて、来ないで!!」
     アレクは足元のシダをなぎ払い、声のした方へ駆け出した。
     開けた場所にいたのは、地面にへたり込み、我が子を必死に抱きかかえる若い母親だった。そしてその目の前には、巨大な影——アレクの相棒、ドラゴンのアレハンドラがいた。
     アレハンドラは、その恐ろしいまでの鋭さを秘めた鉤爪を、ゆっくりと赤子へと伸ばしていく。
     赤子の柔らかな額に、冷たく硬い爪先が触れるか触れないかの距離。ドラゴンが何やら喉の奥で低く唸ると、その爪先から淡い光が赤子の肌へと流れ込んでいった。
    「うわああああん!」
     赤子が激しく泣き出すと、アレハンドラは驚いたように大きな黄金の瞳をしばたたかせた。まるで「親切にしてやったのに、なぜ泣くのだ」と心外そうに首を傾げ、ばつが悪そうに前脚を引く。
    「アレハンドラ! 何をしている!」
     アレクがその場に飛び込むと、母親は救いを求めるように彼を見た。
    「騎士様! お願いです、助けて! そのドラゴンが、この子を……!」
    「落ち着いてください。ドラゴンは理由もなく人に仇なすことはありません」
     アレクは母親の震える肩に手を置き、まずは安心させるように穏やかに微笑んだ。そして、怯える母親からそっと赤子を受け取る。
     不思議なものだ。アレクが腕に抱き上げ、優しく揺すると、先ほどまでの激しい泣き声が嘘のように止まった。赤子はぱちぱちと瞬きをすると、興味津々な様子でアレクの額にある紋章へと小さな手を伸ばした。
    「ああ……これは。お母さん、見てください」
     赤子の額。そこには、赤みを帯びた小さな、しかしはっきりとした幾何学模様が浮かび上がっていた。アレク自身の額にあるものと、瓜二つの紋章。
    「この子は、アレハンドラから祝福を受けたのです。私と同じ、選ばれし者の証を」
    「まあ……そんな……」
     母親は恐る恐る我が子を受け取り、その額を指でなぞった。ドラゴンの恐怖に凍りついていた彼女の瞳に、次第に希望の光が宿っていく。
    「騎士様。この子も……あなた様のように、勇敢な男になれるでしょうか」
     アレクは、自分を見上げているドラゴンの黄金の瞳と、赤子の無垢な瞳を交互に見つめた。この紋章を持つ者が、ただの人間として一生を終えることはない。それは、空を駆ける勇者の運命を背負ったということだ。
    「ええ、間違いありません」
     アレクは腰の剣の柄に手を当て、騎士としての厳かな誓いを立てるように告げた。
    「私の名にかけて、保証しましょう。この子は将来、この国を背負って立つ立派な青年に育ちます。アレハンドラが認めたのですから」
     
     
    第一部☆アレク
    第一章☆アレハンドラの鱗
     
     
    テクサク国は、近隣諸国の中でも兵力にドラゴン騎士団を持つため、異彩を放っていた。
    第11ドラゴン騎士団まで揃い踏み、圧倒的な力を誇った。
    王家は騎士たちの忠誠を得るため、民を大切に扱い、穏やかな政治を行い、平和な日々が過ぎて行った。
     
    「アレハンドラー!」
    ぴゅーい!
    口笛で呼ぶと、立派なオスの青竜が舞い降りてくる。
    アレクは満足げにアレハンドラの背中にまたがると、大空高く舞い上がった。
    「団長ー!どちらへ行かれるんで?」
    「偵察だ」
    「お供しましょうか?」
    「いや、アレハンドラの運動を兼ねているだけだからいい」
    「さいですか」
    部下たちがそれぞれのドラゴンにまたがって飛んできたが、それほどたいしたこともなさそうだと、戻って行った。
    「アレハンドラ!森へ向かおう」
    ぎゃーす。
    人と過ごすドラゴンは、人語を解す。アレハンドラは森林地帯へ向かった。
    ばさばさばさ。
    鳥たちがいっせいに飛び立ってゆく。
    キン!
    アレクは金属音を耳にした。
    キンキン、カン!
    地上から弓矢で射られているらしい。
    「誰だ、命知らずは?」
    怒りと共にアレクは腰の剣を抜いて、飛び降りた。
    「あわわわ、騎士様、これはとんだご無礼を!」
    冒険者の一団だった。
    「統制のとれていないはぐれドラゴンかと思ったんですよ!」
    「心外な!おい、弓矢を射った数だけ俺と手合わせしろ」
    「とんでもない!第七ドラゴン騎士団の団長アレクといえば最強と呼ばれる方じゃないですか」
    冒険者たちは尻込みした。
    アレハンドラが、アレクのそばに降りてくる。
    風圧でみんな飛ばされそうになるが、アレクは平然とたたずんでいる。
    「アレハンドラ?どこか怪我をしなかったか?」
    それは愚問だった。どんな硬い武器も通さないドラゴンの鱗。引っ掻き傷さえ見当たらない。
    「お前は本当に頑丈だな」
    はっはっは!
    アレクは豪快に笑った。
    ぎゃーす!
    森中を震撼させる声が響いた。
     
    第二章:クラウド、十三歳
    「お母さん、行ってきます」
     少年の声は、自分でも驚くほどぶっきらぼうだった。
     母親は、この日がいつか来ることを覚悟していたはずだ。それでも、一人息子を見送る寂しさを隠しきれず、ぎこちない笑顔で何度も頷いている。クラウドは、母が今にも泣き出しそうなのを見て見ぬふりをして、背を向けた。
     城へたどり着くと、そこには息を呑むような光景が広がっていた。
     第一から第十一まで、すべてのドラゴン騎士団が勢揃いし、朝日に輝く鎧を纏って少年たちを待ち構えていたのだ。
    「……僕一人じゃないのか」
     クラウドの隣には、彼と同じように緊張に身を硬くした少年が十人並んでいた。不思議なことに、今日この日に登城したのは、事前の告知があったわけではない。まるで目に見えない糸に引かれるように、十一人の少年が同じ時刻に集まったのだ。
     荘厳な宮殿の空気を、ドラゴンの重々しい吐息が震わせる。騎士たちが並ぶ中、ひときわ巨大な青竜が「ずい」とクラウドの前に歩み寄ってきた。
    「や、やあ……」
     おっかなびっくり、震える指先を伸ばす。巨大な爬虫類の瞳に見つめられ、足がすくみそうになるが、心の奥底では不思議と恐怖よりも懐かしさのような温かさが湧き上がっていた。
    「ようこそ。俺はアレク。このドラゴンはアレハンドラ——君に『祝福』を与えた者だ」
     騎士団長アレクの朗々とした声が響く。クラウドは、己の運命を決定づけたその竜をまじまじと見つめた。
    「アレハンドラ……。お前のせいで、僕は家業のパン屋を継げなくなったんだぞ」
     クラウドは恨み言を漏らしながら、竜の硬い胸板を「とん」と拳で叩いた。
     ——ギィヤァァース!
     アレハンドラが、まるで笑っているかのように短く喉を鳴らす。
    「君は俺の後継者として精進しなくてはならん。ドラゴン騎士団随一、最強の騎士になるんだ」
     アレクの言葉はあまりに重く、無茶な要求に聞こえた。クラウドは思わずため息をつき、アレクの額に浮かぶ淡い紋章と、自分のそれを重ね合わせた。ふと周囲の少年たちを見回すが、彼らの額に紋章はない。
    「どうして……僕だけなんだ?」
    「君は特別な存在なんだよ、クラウド」
     アレクの微笑みが、少年にとっては逃げ場のない宣告のように感じられた。
    「なんてこったい……」
     せめてこの紋章さえなければ、今頃は小麦粉の匂いに包まれて、平凡で自由な毎日を過ごせていたはずなのに。クラウドは忌々しげにアレハンドラを睨みつけた。
     だが、アレクはその反抗的な瞳を「良い素質だ」と受け取ったらしい。彼はクラウドの腰をひょいと担ぎ上げると、抵抗する間も与えずアレハンドラの背中へと放り投げた。
    「えっ? なっ、ちょっと待て!」
    「待たん! 行くぞ!」
     アレハンドラが巨躯を震わせ、大地を蹴った。
     凄まじいG(重力)がクラウドの体にのしかかる。城の尖塔があっという間に足下へ遠ざかり、雲を突き抜けて視界が真っ白に染まった。
     遅れて、他の少年たちを乗せたドラゴンたちも次々と離陸し、城を囲むように大きな弧を描き始める。
    「いい風だろ? アレハンドラはどのドラゴンよりも高く、速く飛ぶ」
     背後からアレクの弾んだ声が聞こえる。
     クラウドは、風にさらわれて乱れた髪を抑え、恐る恐る下界を見下ろした。
     そこには、これまで知っていた「パン屋の毎日」とは全く違う、輝くような世界が広がっていた。頬を打つ冷たい風、肺の奥まで満たす澄んだ空気。
     少年の心から不安が消え、代わりに見たこともない高揚感が胸を支配していった。
    (……悪くないかもな)
     空を飛ぶ。ただそれだけのことが、少年の頑なだった心を一瞬で解きほぐしてしまった。
    第三章:ドラゴン揃い踏み
     その日の剣の修行は、いつも以上に苛烈なものだった。
     木剣が風を切る音と、二人の荒い呼吸だけが訓練場に響く。ようやく稽古を終えたクラウドが、肩で息をしながら周囲を見渡して、ふと異変に気づいた。
    「アレク。……アレハンドラがいないよ」
     いつもなら、少し離れた木陰で目を細め、こちらの安全を見守るように伏せている巨大な青竜の姿が、どこにも見当たらない。
    「今日は、『山の日(やまのはつか)』だからな。そろそろ迎えに行ったんだろうさ」
     アレクは事もなげに言うと、備え付けの水桶からたっぷりの水を頭から被った。滴る水が隆起した筋肉を伝い、地面を濡らす。「ここは水が綺麗で豊富だからいいな」と、彼は満足げに目を細めた。
     クラウドも、街角にある精巧なドラゴンの形をした噴水機へ駆け寄った。溢れ出る水を両手ですくい、一気に飲み干す。
     火照った体に冷たい水が染み渡り、肺の奥に溜まっていた熱が、心地よい吐息となって漏れた。
    「ふいー……。迎えに行ったって、誰を?」
    「世代交代の時期なんだよ」
     アレクが、不意に真面目な顔をして言った。
    「世代交代?」
    「人もドラゴンも、今活躍している奴らはまだしばらくは大丈夫だ。だが、いつかは代わりの誰かに仕事を譲る時が来る。アレハンドラはその準備……つまり、次の世代を連れに行ったのさ」
     その言葉を聞いて、クラウドの胸に小さな刺が刺さったような、複雑な痛みが走った。憧れの背中が、いつか自分たちの前から消えてしまうかもしれない。
     そんな少年の不安を見透かしたように、アレクはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
    「心配か? だが、これは時の理だ。太古の昔からこうして絆は受け継がれてきた。……もっとも、俺が引退したとしても、お前にはアレハンドラはやらんぞ」
    「えっ、そりゃないよ!」
     反射的に声を上げたクラウドに、アレクは空を指差して答えた。
    「ほら、見てみろ。お前専用の『相棒候補』を連れて帰ってきたようだ」
     ——ギィヤァァース!
     空気を震わせる咆哮とともに、アレハンドラが悠然と舞い降りてきた。だが、その後ろには三つの新しい影が続いていた。
     鮮やかな海の色をした青竜、深い森の緑を纏った緑竜、そして雪のように輝く白竜。
     どれもまだ若く、その翼には溢れんばかりの生命力が漲っている。
    「僕専用の……ドラゴン?」
     クラウドは、目の前に降り立った三匹の若い竜たちを圧倒されて見つめた。その眼差しは鋭く、クラウドの価値を推し量るような知性に満ちている。
    「しっかり気合を入れとかないと、ドラゴンの方から見放されることもあるからな」
     アレクが意地悪く笑いながら、クラウドの肩を叩いた。
     第七ドラゴン騎士団。団長のアレク、三人の精鋭部下、そして見習いのクラウド。アレハンドラが連れ帰った三匹を加え、総勢八騎の布陣がここに完成した。
    「うんうん、なかなか壮観じゃないか」
     これからの厳しい訓練と、その先に待つ空。
     アレクの嬉しそうな声を聞きながら、クラウドは自分をじっと見つめる若い竜の一団に、ゆっくりと一歩を踏み出した。
     
    第四章:王位継承権
     平和を謳歌していたテクサク国の宮廷に、暗雲が立ち込め始めた。
     正妃の娘である十五歳のアリス王女。その気高く、凛とした美しさは誰もが次期国王に相応しいと信じて疑わないものだった。しかし、事態は一変する。側室の一人が待望の男児を出産したのだ。
     これに勢いづいたのが、現状の政治体制に不満を持つ一部の貴族たちだった。彼らは赤子である王子を神輿として担ぎ、王位継承権をすり替えようと暗躍を始める。その影響は軍部にも及び、ドラゴン騎士団の謁見の場ですら、王女と王子のどちらに深く頭を下げるべきか、騎士たちの態度は不自然に揺らぎ始めていた。
    「アリス王女の食事に、ナツメグを大量に混ぜるのだ……」
     深夜、人気のない回廊で不吉な囁きが交わされる。ナツメグは適量なら薬味だが、過剰に摂取すれば幻覚を引き起こし、失明や死に至る毒となる。
     だが、陰謀者たちは忘れていた。人の耳には届かぬ密やかな悪意さえ、ドラゴンの鋭敏な感覚からは逃れられないことを。
     異変を察したアレハンドラは、主であるアレクを促し、隠密にその密談の場へと連れて行った。石壁の向こう側から聞こえる醜い計画を、アレクは冷徹な面持ちで聞き届けた。
     翌日の王族の会食。アレクは儀礼を無視してその席に割って入った。
    「王よ。不遜ながら申し上げます。アリス王女のお命を狙う不逞の輩がおります」
     静まり返る広間。王は苦悩に顔を歪めながらも、愛娘を守るべく「王女の反逆者は一人残らず死罪に処す」と、峻烈な宣託を下した。
     その瞬間、アレクの額にある祝福の紋章が、警告を発するように鮮血のような色で浮かび上がった。
     アレクの目には、守られたはずのアリス王女の「内面」が透けて見えていた。彼女の瞳には父への感謝はなく、ただ自分を脅かす存在への憎悪だけが煮え滾っていたのだ。
    (——あの赤子、王子こそが邪魔だ。殺してやりたい。私の座を脅かす者は、すべて根絶やしにしなければ)
     形を成さないはずのアリスの殺意が、アレクの耳にははっきりと聞こえた。彼女は優しさに欠けていたのではない。その魂は、あまりに苛烈な支配欲に染まっていた。
    「……王よ。アリス王女は王位継承者には相応しくありません。国が血で洗われる前に、彼女を王位から遠ざけ、追放なされませ」
    「な、なんですって!?」
     アリスが真っ青な顔で激昂し、アレクを指差した。しかし、その指が届くより早く、アレクの手刀が彼女の項(うなじ)に沈んだ。
     意識を失い崩れ落ちるアリスを片腕で受け止め、アレクは窓の外で待機していたアレハンドラの背へと飛び乗る。
    「王よ。アリス王女は本日をもって行方不明となります。ですが、世界のどこかで、ただの少女として健やかに過ごされることでしょう」
    「ま、待て! せめて、せめて従者を連れて行かせてくれ!」
     王の悲痛な叫びに、アレクは空の上から不敵に言い放った。
    「ご安心を。我ら第七ドラゴン騎士団全員が、この姫の『従者』となりましょう」
     ——ギィヤァァース!
     アレハンドラの咆哮とともに、第七騎士団の竜たちが一斉に翼を広げた。
     蒼白な顔で見送る侍女たちや、呆然と立ち尽くす王を地上に残し、騎士団は王女を連れたまま、茜色に染まる空の彼方へと消えていった。
     
    第五章:アリス王女
    「ここはいったいどこなの? 城はどっちよ!」
     アリスは、乱れたドレスの裾をひきずりながら、湿った森の中を彷徨っていた。
     意識を取り戻したとき、そこは冷たい風が吹き抜けるドラゴンの背の上だった。見張りの騎士が目を離した隙に、死に物狂いで飛び降り、茂みへと逃げ込んだ。だが、逃げた先にあるのは、見たこともない深い緑の迷宮だけだった。
    「なぜ……。なぜ私がこんな目に遭わなくてはならないの?」
     泥に汚れた自分の手を見て、涙が溢れそうになる。自分が何をしたというのか。王女として気高く生きてきただけなのに。
    「きゃあっ!」
     剥き出しになった木の根に足を取られ、アリスは無様に地面に転がった。
     絹のタイツが破れ、白い膝からじわりと赤い血が滲む。鋭い痛みに顔を歪めたその時、頭上から巨大な影が音もなく降りてきた。
     ——ギィヤァァース!
     大地を震わせる咆哮。アリスは恐怖に突き動かされ、震える足で立ち上がると、再び森の奥へと逃げ惑った。しかし、巨大な翼が巻き起こす風圧に押し戻され、またもや崩れ落ちる。
    「姫さん! 落ち着いてください」
     木々の間から、一人の男が悠然と歩み寄ってきた。
    「……お前、お前は誰なの?」
    「第七ドラゴン騎士団団長、アレクです」
    「お前は私をどうするつもり! 殺すの? それとも、あの卑しい王子に差し出すつもりなの!」
     叫ぶ彼女を、アレクは冷めた、しかしどこか憐れむような瞳で見下ろした。
    「どうもしやしません。まずは食事と休憩がとれる場所へ行きましょう」
     アリスは逃げるのをやめた。膝の傷がズキズキと痛み、これ以上一歩も歩けないことを悟ったのだ。彼女は屈辱に唇を噛み締めながら、アレクの差し出した手にしがみつき、ドラゴンの背へと引き上げられた。
     しばらくして、ドラゴンの翼が小川のせせらぎが聞こえる平地へと彼女を運んだ。
     そこでは他の騎士たちが手際よくテントを張り、焚き火の上で大きな鍋を煮立たせていた。
    「はい、これを。冷めないうちに」
     手渡されたのは、木の器に盛られた温かいスープだった。湯気とともに、香草と肉の野性味あふれる匂いが鼻を突く。
    「……このような得体の知れないもの、食べられるわけないでしょう!」
     アリスは、自身の惨めさを振り払うように器を叩き落とした。地面にぶちまけられる茶色のスープ。
    「食べ物を粗末にするな!」
     鋭い怒鳴り声が響いた。声の主は、アリスとさほど歳の変わらない見習いの少年、クラウドだった。彼は真っ直ぐにアリスを睨みつけ、拳を握りしめている。
    「クラウド、まあ、そう怒るな」
     アレクが大剣を傍らに置き、焚き火のそばにどっかと腰を下ろした。
    「姫さん。これから先の旅は、ずっとこんな感じだ」
    「なんですって? こんな生活を続けろと言うの?」
    「ドラゴンの『心眼』が、姫さんが王位を継ぐのは危険だと告げたんだ」
    「……ドラゴンの、心眼?」
     アレクの瞳が、焚き火の光を反射して怪しく光る。
    「国を治めるために、邪魔な弟を殺そうと考えていただろう? よく考えてみるといい。肉親の血で玉座を汚すような者が王になれば、国は必ず滅ぶ」
    「ずいぶんな言いようね……!」
     アリスは反論しようとしたが、喉の奥で言葉が詰まった。アレクの指摘は、彼女が心の奥底に隠していた一番醜い本音、そのものだったからだ。
    「どこか怪我をしているのか。……見せてみろ」
     アレクの問いかけは、もはやお見通しだと言わんばかりの響きだった。
     アリスは黙って、泥と血に汚れた膝を差し出した。騎士の無骨な手が、驚くほど丁寧に傷口を拭い、手当てを始める。その温もりに触れた瞬間、アリスの張り詰めていたプライドが、夜の冷気の中に静かに溶けていくようだった。
     
    第六章:勘違い
     夜の帳が下り、野営地は焚き火の爆ぜる音と、ドラゴンの穏やかな寝息に包まれていた。
     狭いテントの空気から逃れるように外へ出たアリスは、ふいに聞こえてきた低い話し声に足を止めた。
    「……本当、姫さんって美人だよなぁ」
     アリスは、ドキンと心臓が跳ねるのを感じた。
     声の主はクラウドだ。いつもぶっきらぼうで、自分を「厄介者」のように扱うあの少年が、そんな風に思っていたなんて。アリスは胸の高鳴りを抑えながら、テントの影に身を潜めた。
    「あの潤んだ瞳に、透き通るような白い肌……」
     (そんな……そんな風に私を見ていたの?)
     アリスは頬が熱くなるのを自覚した。追放され、泥にまみれた今の自分でも、彼の目には王女として美しく映っているのだろうか。期待に胸が膨らみ、アリスは身悶えしそうな心地だった。
    「それに、あの燃えるように赤い爪。最高にクールだと思わないか?」
     赤い、爪?
     アリスは反射的に自分の指先を見た。そこにあるのは、逃走劇で剥がれかけ、泥に汚れた不格好な爪だ。
    「ちょっと! それ、どういう意味よ!!」
     我慢できなくなったアリスは、テントの陰から勢いよく飛び出した。焚き火の前にいたクラウドは、突然現れた彼女に驚き、キョトンとして目を丸くしている。
    「あれ? アリス、起きてたのか」
    「起きてたわよ! ……今の、『姫さん』って、いったい誰のこと!?」
     アリスは両手をわななかせ、詰め寄った。するとクラウドは、自分のすぐ隣で丸くなっていた一頭のドラゴンを、誇らしげに指差した。
    「ああ、この白竜だよ。今回アレハンドラが連れてきた中で、一匹だけメスなんだ。綺麗だし、気高いし、本当に見惚れるよなぁ」
     純白の鱗を持った白竜は、クラウドの言葉がわかるのか、まんざらでもない様子で喉を鳴らした。彼に背中を撫でられ、うっとりと目を細めている。
    「……私も! 一応、本物の姫なんですけど!」
    「えっ? ああ……そういえばそうだったな」
     クラウドは今、思い出したと言わんばかりに間抜けな声を上げた。その無頓着な態度が、アリスの逆鱗に触れた。
    「私のことは!? 私のことは、どう思っているのよ!」
    「アリスは……」
     クラウドは真面目な顔をして、少し考え込んだ。アリスはゴクリと唾を飲み込み、彼の言葉を待つ。
    「アリスは、アリスだなぁ」
    「――もういい! クラウドの大バカ!!」
     夜の静寂を切り裂くような絶叫を残し、アリスは脱兎のごとく自分のテントへと走り去った。
     残されたクラウドは、パチパチと爆ぜる焚き火の横で、ポカンと口を開けて彼女の背中を見送った。
    「……なんだよ、一体」
     クラウドが首を傾げると、隣の白竜が「やれやれ」と言わんばかりに肩をすくめる仕草をした。どうやら竜の方が、人間の少女の複雑な乙女心を見抜いていたようだった。
     
     
    第七章:アレクの死
    「……なんだ、あれは」
     野営地の北、平穏な空を黒い染みが浸食していく。それは雲ではなく、無数の翼の羽ばたきだった。
     アレクの鋭い声が響く。
    「全員、戦闘体制! アリス姫は奥の洞窟に隠れていろ。何があっても出てくるな!」
     空を埋め尽くしたのは、見たこともない異国のドラゴンの群れだった。その背には、冷徹な瞳をした兵士たちが跨っている。
    「クラウド! お前は今すぐアレハンドラの眷属の一騎を走らせろ。テクサク国へ、北からの侵攻を伝えるんだ!」
    「でも、僕だって戦えます! 団長を置いていけるわけが……」
    「いいから行け! これは命令だ!」
     アレクの額にある紋章が、かつてないほど激しく、灼熱の輝きを放った。その気迫に押され、クラウドは歯を食いしばりながら白竜の背に飛び乗り、反対方向の空へと消えた。
     一人、敵陣の前に立ちはだかるアレク。
    「……そちらは、どこの国の方々かな?」
     アレクの問いに、先頭の兵士が陰鬱な声で答えた。
    「はるか北の王国より参った。度重なる飢饉により、我が民は飢えに苦しんでいる。……この豊かな南の地を、我らの民の命を繋ぐために頂く。邪魔をせんでくれ」
    「事情は察するが……この先は、我が同胞が守る地だ。一歩も通すわけにはいかん」
     アレクは愛剣を抜き放ち、アレハンドラの首筋を優しく叩いた。
    「行くぞ、相棒」
     ——ギィヤァァース!!
     アレハンドラとアレクは、もはや一つの生命体となったかのような動きで、敵のただ中へと突入した。
     しかし、敵はあまりに多勢だった。
     一騎、また一騎と敵を斬り伏せるアレクだったが、死を覚悟した北の兵士たちの猛攻が彼を追い詰める。四方八方から放たれた無数の槍が、ついにはアレクの体を貫いた。
    「が……っ!!」
     鮮血が舞い、アレクの体がアレハンドラの背から宙へと放り出される。
    「アレク団長ーーーッ!!」
     部下たちの悲鳴が響くが、彼らもまた敵の波に飲まれ、散り散りになっていく。
     はるか下方の谷底へと落下していくアレク。その視界に最後に映ったのは、空を切り裂くような、アレハンドラの悲痛な咆哮だった。
     ——ギィヤァァァァァァス!!
     それは友を失った竜の、魂を削るような嘆き。
     最強と謳われた第七ドラゴン騎士団団長の命が、北の風の中に散った瞬間だった。
     
     
    第二部:クラウド
    第一章:混乱・混戦
    「独自任務中の第七騎士団より、緊急伝令が参りました!」
     静寂に包まれていたテクサク国の王宮が、クラウドの叫びとともに叩き起こされた。
     伝令の内容は瞬く間に街へ広がり、国民の間には動揺が走った。「戦争になるのか?」という震え声が、路地裏から広場へと伝播していく。
    「空のドラゴンの後には、飢えた兵士と民間人の大群が続いているはずだ」
     年老いた王は、玉座を降り、まだ幼い王子の前に膝をついた。その目線に高さを合わせ、震える声で問うた。
    「我が息子よ、我々はどうすべきだと思うか?」
     王子は無垢な瞳で父を見つめ直し、迷いなく答えた。
    「……ケンカはだめだよ。もし僕たちがたくさん持っているなら、分けてあげればいい」
    「そうか」
     王は王子の頭を優しく撫でた。その幼い言葉に導かれるように、王は「交渉の場」を持つことを決断する。
     伝令の任務を終えたクラウドは、再び前線へと戻り、侵攻してくる北の尖兵たちへ王の意志を伝えた。だが、返ってきたのは嘲笑だった。
    「交渉だと? 甘いことを。お前の国の王は、戦い方も忘れた腑抜けか?」
    「なんだと……!」
     クラウドの拳が震える。だが、兵士はさらに追い打ちをかけるように言い放った。
    「伝令風情が何を吠える。そんな暇があるなら、お前の死んだ上司の遺体でも捜して、弔ってやったらどうだ?」
     クラウドの全身から血の気が引いた。信じたくなかった現実が、敵の無慈悲な言葉によって確定してしまった。
     彼は半ば狂ったように戦場を駆け、仲間たちと共に、冷たくなったアレク団長の遺体を見つけ出した。
    「あいつら……絶対に許さない」
    「だがクラウド、今の我々では多勢に無勢だ。勝てる相手じゃない……」
     王の願いも虚しく、対話を拒んだ北の軍勢によって、テクサク国は蹂躙された。最強を誇ったドラゴン騎士団も、圧倒的な物量の前に散り散りになる。
     混乱の中、生き残ったはぐれ騎士たちが、磁石に引き寄せられるように第七騎士団の残党のもとへ合流してきた。
    「アリス王女様……! こちらにおいででしたか。ご無事で何よりです」
     合流した一人の老騎士が、泥に汚れたアリスの手を取り、涙を流した。
     さらに、クラウドと同じ日に入団した若い騎士、ジルベールがアリスの前に跪いた。
    「王女ともあろうお方が、このような場所で苦労をされていたとは。……我らがお守りいたします」
     ジルベールはアリスの汚れにまみれた手の甲に、敬意を込めて接吻した。
     かつての尊大さを失い、呆然と立ち尽くすアリス。その傍らで、騎士たちはアレクの遺体を手厚く葬り、静かに花を手向けた。
     上空では、アレハンドラが一度も降りてくることなく、悲しげな影を落としながら円を描き続けている。
    「……アレク団長は、『お前にはアレハンドラはやらんぞ』って笑っていたのにな」
     クラウドは、込み上げる涙を乱暴に拭った。その額の紋章は、悲しみと怒りに呼応するように、鈍く重い光を放っていた。
     
    第二章:新団長
     隠れ家とした渓谷に、重苦しい空気が立ち込めていた。
     生き残った騎士たちは、焚き火を囲みながら、奪われた故郷テクサク国の地図を広げている。
    「……テクサク国に攻め戻るとして、我々にどんな勝算があるんだ?」
     クラウドの問いに、老騎士は彼を一瞥もせず、隣に座るアリスへ向かって声を張り上げた。
    「姫様、現在我らのもとには十三騎のドラゴンが揃っております。奇襲をかければ必ずや勝機はありましょう! 今こそ奪われた地位を、姫様の本来あるべき玉座を我が手に取り戻すのです!」
     騎士たちの間に「おおっ」という熱を帯びた唱和が広がる。だが、クラウドはその熱狂を切り裂くように、力強く割って入った。
    「ちょっと待ってくれ! 皆、冷静になってくれ」
    「……見習い風情が、何を抜かす」
    「ドラゴン同士で戦って、何が残るんだ? これ以上、無益な血を流すことにどんな意味がある?」
     クラウドの言葉に、広場は凍りついたような静寂に包まれた。
    「アリスには確かに王国の血が流れている。だが、それに縛られて、憎しみだけで国を攻め落として……その後に何が残るっていうんだ」
    「お主は……お主は一体、何が言いたいんじゃ!」
     老騎士が苛立たしげに舌打ちし、クラウドを睨みつけた。
    「今こそ我が姫様を盛り立て、正義の鉄槌を下す時ぞ。これ以上の好機はないというのに!」
    「だめだ! 武力で奪い取り、血に塗れた玉座に座って……それでアリスが、民が、本当に幸せになれるのか!?」
     叫ぶクラウドの額で、祝福の紋章が一条の烈火のごとく輝いた。その光は、暗い洞窟の中を真昼のように照らし出す。
     アリスはその光を、逃げ場のない真実として見つめていた。復讐という甘い毒に溺れかけていた彼女の心に、クラウドの叫びが冷水のように突き刺さる。
    「……攻撃を、取りやめます」
     アリスの静かな、しかし凛とした声が響いた。一同は息を呑み、信じられないものを見る目で彼女を見た。
    「私が国を治めずとも、今のテクサク国にはふさわしい者がいるはずです。……老騎士よ、私は、今この瞬間が何よりも自由であることを誇りに思います」
     アリスは、泥に汚れながらも力強く地面を踏みしめる自分の足を見つめた。
    「私は、クラウドの言い分が正しいと思います。自由気ままに空を飛び、明日をも知れぬ旅をする。そんな生活が、今の私はとても気に入っているのです。いつか……本当に愛する人と巡り会ったなら、私はその時に、次の世代へこの想いを託したい」
    「次の世代……。その時、わしはもうこの世には居らぬかもしれん」
     老騎士が、やり場のない口惜しさを押し殺すように声を震わせた。その肩に、クラウドがそっと手を置いた。
    「その時が来たら……。その時は、俺が責任を持って面倒を見よう。皆の想いを、次の世代に繋ぐために賭けてみる。それが、アレク団長から受け継いだ俺の役目だ」
     その場にいた全員の視線が、クラウドに集まった。
     もはや誰も彼を「見習い」とは呼ばなかった。荒々しい紋章の光に照らされたその横顔には、人々を導くリーダーとしての風格が宿っていた。
     アリスは、隣に立つクラウドの横顔を盗み見た。
     かつて抱いた淡い恋心。だが今、彼女は自分の運命が彼と結ばれるのではないことを、確信を持って悟っていた。
     クラウドの額にある祝福は、王家に入るための飾りではない。ドラゴンを愛し、人々を未だ見ぬ未来へと導くために、空から授かった使命の印なのだ。
    (さようなら、私の小さな恋。……こんにちは、新しい私)
     アリスは心の中で密かに呟き、晴れやかな顔で夜空を見上げた。
     
    第三章:アリスとジルベール
     月明かりが渓谷を青白く照らす夜。アリスは一人、見張りに立つジルベールの背中に声をかけた。
    「ジルベール」
    「……姫様。このような夜更けに、どうされましたか?」
     ジルベールは素早く振り返り、恭しく一礼した。その仕草には、いまだに宮廷騎士としての律儀さが染み付いている。
    「あなたに騎士の称号を与えたのは、誰だったかしら」
    「……あなた様のお父上、国王陛下です。あの日の誓いを、私は一刻たりとも忘れたことはありません」
    「ならば今ここに、私自身の意志で、その称号に加えてもう一つの名を与えます」
    「それは……どういう意味でしょうか」
     困惑するジルベールを見つめ、アリスは一歩歩み寄った。夜風に揺れる髪を押さえ、彼女は震える声で告げる。
    「私だけの騎士(ナイト)になりなさい、ジルベール」
     ジルベールはあたふたと視線を泳がせ、アリスの真意を懸命に探ろうとした。主従としての「守護」以上の意味が、その言葉には込められている。
    「その……つまり、私に、あなた様の伴侶になれと……そういうことでしょうか?」
     その言葉を聞いた瞬間、アリスの顔は耳の先まで真っ赤に染まった。普段、王女として氷のように澄ましている彼女が見せた、あまりに年相応で無防備な反応。
     ジルベールの胸に、言葉にできないほどの愛おしさがこみ上げた。
    「姫様」
     彼は迷うことなくアリスの手を取り、優しく、しかし力強く包み込んだ。
    「あなたにだって、人並みの幸せを掴む資格がある。……このジルベール、命に替えてもあなたをお守りし、共に歩むことを誓いましょう」
    「私は……王家の政治や学問のことしか学んでこなかった。普通の『妻』として、あなたに尽くせる自信がないの」
    「あなたは、あなたであればそれでいいんです。それ以上に望むことなど、何もありはしません」
    「……本当に、私で嫌ではないの?」
    「とんでもない! 私にとって、あなた以上に大切な方など、一生現れませんよ」
     こうして、アリス王女とジルベールは、戦い続けるドラゴン騎士団から身を引くことを決意した。二人は国境近くの静かな麓に小さな家を構え、土に触れ、風を感じて生きる道を選んだのだ。
    「クラウド、本当に行かせていいのか?」
     出発の日、団員の一人が寂しげに漏らした。だが、クラウドの表情は晴れやかだった。彼は心からの笑顔で二人を祝福していた。
    「アリス。君にぴったりの男が見つかって、本当によかった」
     クラウドは、照れるアリスをグイと引き寄せると、親愛の情を込めてその背中を「バシバシ」と景気よく叩いた。アリスは「痛いわよ!」と笑いながら、初めて見るような柔らかな表情を浮かべる。
     クラウドは続けてジルベールの背中も同じように叩き、二人の門出を祝した。
     自分たちを家族のように見送ってくれる仲間たちに、二人は何度も振り返り、手を振り続けた。その背中は、どんな王宮の広間よりも、幸せに満ちあふれていた。
     
    第四章:卵
    「アレハンドラ!」
     クラウドの呼び声に応え、青い影が雲を突き破って降りてきた。かつてアレクを乗せていた巨躯は、今やクラウドの相棒として、その翼にさらなる威厳を纏っている。
    「……最近、『姫さん』を見かけないんだ。心当たりはないか?」
     クラウドが案じているのは、あのアリス王女のことではない。一頭だけ白銀の鱗を持ち、気高く空を舞っていたメスの白竜のことだ。
     ――ギィヤァァース!
     アレハンドラは、何かを確信しているかのように短く鳴くと、クラウドにその背を貸した。彼が跨るやいなや、青竜は猛烈な勢いで急上昇し、険しい岩肌が続く山岳地帯へと一直線に向かった。
     ごう、と地上の砂を巻き上げてアレハンドラが舞い降りた先には、一人の少女が立っていた。
    「きゃあっ!」
     突然の飛来に、少女が小さな肩をすくめる。クラウドは慌てて背から飛び降り、優しく声をかけた。
    「怖がらなくていい、大丈夫だ。……それより」
     クラウドの言葉が止まった。少女の胸元で揺れる、不自然なほど鮮やかな「赤いペンダント」に目を留め、彼は血相を変えた。
    「そのペンダント……どこで手に入れたんだ?」
    「これ? ……死んでしまったドラゴンからもらった、爪よ」
    「死んだ……だと?」
    「そう。白竜のメスが、この岩場に産卵に来て……そのまま、力尽きて動かなくなったの」
     クラウドの目の前が真っ暗になった。あのアリス王女も羨んだ、美しく気高かった「姫さん」。
    「なんてこった……。あいつ、一人でこんなところまで来ていたのか」
     絞り出すようなクラウドの声。だが、少女は彼の悲しみを包み込むように、岩陰を指差した。
    「卵は、私が大事に温めているわ。……きっと、もうすぐ新しいドラゴンが孵ると思う」
    「姫さんの……子供か」
     少女の言葉に、クラウドは救われたような思いでその場所を見つめた。母竜は命を削り、次の世代をこの地に託したのだ。
    「死んだドラゴンの体は、麓の街のギルドが引き取っていったわ。爪の一つだけ、私が形見に貰ったの。……いろんな道具や薬にされるんですって」
    「そうか……。形として残るなら、あいつも本望かもしれないな」
     クラウドは、深い喪失感の中にも、微かな光を見出していた。
    「卵が孵ったら、一緒に見ましょう? きっと可愛いわよ」
    「ああ。孵化するまで、俺も毎日通うことにするよ。……君の名は?」
    「サーシャよ」
    「俺はクラウドだ。よろしく、サーシャ」
     二人は、静かに眠る卵の傍らで、互いの瞳を見つめ合って微笑んだ。吹き抜ける山の風が、去りゆく世代の哀愁と、来るべき世代の息吹を運んでいた。
     
    第五章:理由
     麓の街のギルド。その奥深く、関係者以外立ち入り禁止の重厚な扉の先に、魔力を帯びた熱気が漂う「孵卵器(ふらんき)」の区画があった。
     大きな寝床のような装置の中に、淡い光を放つ巨大な卵が五つ、静かに脈動している。
    「……姫さん、本当によく頑張ったんだな」
     クラウドは、透明な強化ガラス越しに愛おしそうに卵を見つめた。あの一匹狼のようだった白竜が、これほど多くの命を繋いでいたことに胸が熱くなる。
    「あの青竜――」
     隣に立つサーシャが、外の空で旋回しているアレハンドラの影を見上げて呟いた。
    「……ん? アレハンドラのことかい?」
    「きっと、あの卵たちのお父さんよ。アレハンドラがここに通う時の目つき、あれはただの仲間を見る目じゃないわ」
    「ええええっ!?」
     クラウドは、ひっくり返ったような声を上げた。
    「い、いや、しかし。あいつはアレク団長の相棒で……硬派な奴だと思っていたし、そもそも、あのアレハンドラが……?」
     ごにょごにょと要領の得ない言葉を並べ、クラウドは顔を赤くして混乱している。そんな彼の様子を見て、サーシャはくすりと笑い、核心を突く質問を投げかけた。
    「……そういう『団長さん』は、どうなの? 彼女とか、いないの?」
    「なっ……それとこれとは関係ないだろ!」
    「あると思うけどなー。こんなに一生懸命、卵の世話を手伝ってくれるんだもの」
     サーシャのいたずらっぽい視線に根負けし、クラウドはふっと視線を落として独白した。
    「……まあ、いいなと思っていた人はいたよ。綺麗で、気高くてさ」
    「その人は、どうしてるの?」
    「他の男と結婚して、今は幸せに暮らしてる」
    「あら。告白はしなかったの?」
    「捨てたんだ」
    「何を?」
    「彼女は、貴重な食糧を捨てたんだ。……パン屋の息子として育てられた俺には、それがどうしても許せなかった。価値観が違う人とは、一緒になれない」
     クラウドの静かな、しかし確固たる言葉に、サーシャは「ふうん」と短く応じた。彼女は胸元の赤いペンダントを外すと、孵卵器の光に透かしてじっと眺めた。
    「これは、お母さんドラゴンの形見なんだろう? ……どうか、大事に持っててやってくれないか」
    「もちろんよ。……この子たちが孵るまで、ずっと」
     毎日、卵の鼓動を共に確かめ、未来を語り合ううちに、二人の心は自然と重なっていった。
    「ドラゴンの子供たちが無事に巣立ったら……。俺の騎士団に、一緒に来てくれないか?」
    「そうね。あなたとなら、どこへ行っても楽しそう」
     やがて、卵から五匹の幼竜が産声を上げた。
     その喜びに包まれる中、クラウドとサーシャは騎士団の仲間たち、そして空を埋め尽くすドラゴンたちに祝福され、静かな誓いを立てた。
     
     
    第三部:竜姫
    第一章:クラウドとサーシャの娘
     メロディにとって、世界の中心にはいつもドラゴンがいた。
     産声を上げた瞬間に聞いたのは母の抱擁とドラゴンの咆哮。揺りかごを揺らしたのは、巨大な翼が起こす微風だった。彼女はドラゴンの習性を呼吸するように学び、今や喉の鳴らし方一つ、視線の配り方一つで彼らと完全に意思疎通を果たすようになっていた。
     父クラウドは、娘が人よりも竜に近い感性を持って育つことに、親として悩む時期もあった。だが、アレハンドラが自分の子供たち(あの五つの卵から孵った竜たち)を連れてメロディを囲む様子を見て、すべてを運命に委ねることにした。
    「もっと高く飛んで! お父さんたちの姿が見えなくなるくらいまで!」
     白竜の背にしがみつき、メロディが歓声を上げる。呼応するように、アレハンドラの血を引く若竜たちが一気に高度を上げた。
     雲を突き抜け、太陽に手が届きそうな極限の世界。メロディが「素敵、最高よ!」と弾んだ声を出すたび、竜たちは誇らしげに喉を鳴らす。
    「あの娘こそ、真の『竜姫』だ」
     第七ドラゴン騎士団の面々は、畏敬の念を込めてそう呼んだ。
     ある日、メロディが湖のほとりで、十数騎ものドラゴンたちを労っていた時のことだ。湖面に映る巨大な影と、それを自在に操る少女の姿に、一人の少年が声を上げた。
    「うわあ……。すごい数のドラゴンだ」
     見慣れぬ少年に、メロディは凛とした表情で向き合った。
    「安心しなさい。この子たちは、あなたが悪意を持っていない限り、何もしないわ」
    「知ってるよ。クラウド団長のところのドラゴンたちだろ?」
    「……なぜ、お父様の名を知っているの?」
    「昔、俺の両親が第七騎士団と一緒に旅をしていたからさ。話はいつも聞いていたんだ」
     その言葉に、メロディの警戒心が解けた。父と共に歩んだ仲間なら、それはもう家族のようなものだ。
    「俺は、ロイ。アリスの息子だ」
    「私はメロディ。クラウドの娘よ」
     二人は自然と微笑みを交わした。メロディは親愛の印として、自分の隣で羽を休める竜を指差した。
    「ねえロイ、さっそくだけどドラゴンの背中に乗ってみる? 空からの景色は最高よ」
    「えっ!? い、いや……俺は遠慮しとくよ」
     ロイは顔を引きつらせると、逃げるように踵を返して駆け去っていった。
    「まあ、意気地なしね!」
     メロディが笑うと、周囲のドラゴンたちも面白そうに翼を震わせた。
     夕暮れ時、湖の清らかな水で竜の鱗を洗ってあげながら、メロディの頭の中にはあの少年のことが残っていた。
     拠点に戻り、父クラウドに「アリスの息子、ロイ」に会ったことを告げると、父は遠い目をして深く、長く呼吸した。
    「……そうか、アリスの息子か。メロディ、あの方は王家の血を引く貴いお方だ。今度会った時は、決して粗相のないようにしなさい」
    「ええええーーーっ!?」
     メロディは目を丸くして叫んだ。
     あの、大きなトカゲ一匹に怯えて逃げ出した意気地なしの少年が、気高い王家の血筋?
     空を支配する「竜姫」にとって、それは天地がひっくり返っても信じがたい事実だった。
     
    第二章:テクサク国の内乱
    「クラウド、額の紋章が……今日は不気味なほどくっきり見えるわ」
     サーシャが不安げに夫の顔を覗き込んだ。かつてアレクから受け継いだその紋章は、国を揺るがす巨大な動乱を察知し、熱を帯びていた。
     「テクサク国王、危うし」――伝令からもたらされた報せを受け、クラウドが即座にアレハンドラの背に飛び乗ろうとしたその時、娘のメロディがアリス、ジルベール、そしてロイの一家を伴って現れた。
    「大勢で向かっては身動きが取れんぞ!」
    「大丈夫よ、お父様。……ドラゴンたちよ! 進むべき道を私たちに示して!」
     メロディが天を仰いで叫ぶと、周囲にいたすべてのドラゴンが呼応するように地を震わせる咆哮を上げた。その圧倒的な覇気に押されるように、騎士団の面々も「我らも参りますぞ!」と一斉に翼を広げ、一路テクサク国へと向かった。
     現在の国王ジュドールは、アリスの腹違いの弟である。かつて北の国が旱魃に襲われた際、彼は民の反対を押し切って難民を温かく迎え入れた。だが、その慈悲深い統治に不満を持つ保守派の貴族たちが、今まさに反旗を翻していた。
    「ジュドール国王に、正義の加護を!」
     王宮を包囲する暴徒たちの頭上に、メロディを乗せたアレハンドラが舞い降りた。
     民衆は、空を埋め尽くす竜の群れと、その中心で凛として立つ「竜姫」の姿に息を呑んだ。
    「平和な営みを自ら壊し、争いを種を撒く者たちよ。その醜い刃を収め、この国から去りなさい!」
     アレハンドラの背から見下ろすメロディの声は、幼い少女のものとは思えないほど重く、神聖な理(ことわり)を帯びて響き渡った。
     反乱軍が飼い慣らしていたはずのドラゴンたちも、メロディの姿を見た瞬間に戦意を喪失し、主の命令を拒んで地面に伏した。この世界のすべての竜は、彼女の味方だった。
    「ジュドール国王の慈悲に背くというのなら、自分たちで新たな土地を探し、自分たちの理想とする国を築くがいい! だが、この地で血を流すことは許さない!」
     メロディが腕を振るうと、空を旋回していたドラゴンたちが急降下し、まごまごしている反乱軍を街の外へと力強く追い立てていった。
    「テクサク国には、常にドラゴンたちの加護がある! ゆめゆめ忘れることなかれ!」
     ――ギィヤァァァース!!
     アレハンドラの咆哮に続き、数えきれないほどの竜たちが万雷の拍手のごとき羽ばたきで応えた。
     騒乱が収まった王宮のバルコニーで、ジュドール国王は一人の女性の前に立った。
    「……姉上。ご無沙汰しております」
    「ええ。でもジュドール、私はもう民に降りた身。あなたの政治に口を出すつもりはないわ」
     アリスは、かつて自分が座るはずだった玉座を見つめることなく、穏やかな微笑みを弟に向けた。
    「けれど……有事の際には、いつでもこうして駆けつけると約束するわ」
    「頼もしいお言葉、ありがとうございます。……我が姉ながら、恐れ入りました」
     ジュドールは深く、敬意を込めてこうべを垂れた。その傍らでは、ロイが驚きと誇らしさが混ざったような顔で、空を統べるメロディの姿を眩しそうに見上げていた。
     
    第三章:サンダー
     アレハンドラと、かつて「姫さん」と呼ばれた白竜との間に生まれた五匹の子供たち。その多くは父に似た力強い青い鱗を纏っていたが、一匹だけ、亡き母の面影をそのまま映したような純白の竜がいた。
     クラウドはその白竜に、嵐を切り裂く光を込めて「サンダー」と名付けた。
     サンダーは生まれた時から、常にメロディの後を追いかけた。食事の時も、訓練の時も、眠る時でさえ。メロディもまた、自分を親鳥のように慕うサンダーを溺愛し、その白銀の鱗を毎日丁寧に磨き上げていた。
    「ねえロイ、湖畔を散歩しない?」
     メロディがロイを誘った時も、サンダーは当然のように二人の間に割り込んだ。ロイはおっかなびっくり、自分を牽制するように睨んでくるサンダーをチラ見しながら、メロディと並んで歩く。
    「きゃっ!」
     ふとした拍子に、メロディが突き出た岩に足を取られた。
    「危ない!」
     ロイが咄嗟に手を伸ばし、彼女の体を抱きとめる。その瞬間――。
     ――ゴォォッ!!
     ロイの前髪を、凄まじい熱波がかすめた。一瞬遅れて、髪が焦げる独特の匂いが鼻を突く。
    「……サンダー!」
     メロディが鋭い声で怒鳴った。サンダーは悪びれる様子もなく、むしろ「悪いのは距離を詰めたアイツだ」と言いたげに、ふんぞり返って見せた。
    「ロイに火を噴くなんて絶対に許さない! そんなことするなら、もう二度と一緒に遊んであげないから!」
     メロディの本気の怒りに、サンダーはショックを受けたように耳を垂らし、悲しげに「キュウ……」と鳴いた。その様子を見て、ロイは苦笑しながら、焦げた前髪を指で払い落とした。
    「……なあサンダー。そんなにメロディの隣にいたいなら、人間になれる魔法を教えてやろうか?」
    「えっ? そんなことできるの?」
     メロディが目を丸くして尋ねた。サンダーもまた、黄金の瞳を輝かせてロイに身を乗り出す。
    「本で読んだんだ。はるか西の国に、神聖な木の実が実る森がある。その実を食べたドラゴンは、人間の姿を得ることができる……ってね」
     ――ギィヤァァ……。
     サンダーが短く鳴いた。その瞳には、今まで見たこともないような強い決意が宿っていた。
    「サンダー? どこへ行くの? まさか、今の話を本気にしたの!?」
     生まれた時から片時もメロディの側を離れなかったサンダーが、一度だけ彼女を振り返り、そのまま力強く大地を蹴った。純白の翼を広げ、彼は迷うことなく、夕陽が沈む西の空へと一直線に消えていった。
    「……僕にも、サンダーの気持ちがよくわかるよ」
     ロイは小さくため息をつき、遠ざかる白い影を見つめた。
     竜としてではなく、一人の男として彼女の隣に立ちたい。その切実な願いは、種族を超えてロイ自身の心にも深く共鳴していた。
     
    第四章:プラチナブロンドの少年
     サンダーが西の空へ消えてから、数ヶ月が経った。
     いつものようにメロディが湖畔を歩いていると、見慣れぬ少年が立ち尽くしているのに気づいた。透き通るような肌に、陽光を反射して輝くプラチナブロンドの髪。その姿は、この世のものとは思えないほど美しかった。
    「……あなた、誰なの?」
     メロディが問いかけると、少年は何かを訴えようと必死に口を動かした。しかし、言葉がうまく喉を通らないのか、漏れるのは掠れた溜息ばかりだ。
     その時、上空から一騎の青竜が舞い降りてきた。アレハンドラの血を引く若竜の一頭、リュークだ。
    「リューク!」
     メロディが親しげに呼ぶと、リュークは甘えるように彼女の肩に鼻先を擦り寄せた。天性の竜姫であるメロディにとって、それは日常の光景だった。
     だが次の瞬間、美少年の顔が怒りに歪んだ。彼はぶるぶると全身を震わせると、あり得ないことに、その小さな口から烈火のごとき炎を吐き出したのだ。
    「熱っ! ……ちょっと、何するのよ!」
     直撃を受けたリュークは、鋼鉄の鱗に守られているため「少し熱いな」と首を傾げる程度だったが、その攻撃の「癖」にメロディは見覚えがあった。
    「……もしかして、サンダーなの?」
     その名を呼んだ瞬間、少年は泣きそうな顔でメロディに飛びつき、力いっぱい抱きしめてきた。
    「本当に……本当に人間になっちゃったのね!?」
     メロディは困惑しながらも、少年の手を引いて父クラウドのもとへ駆け込んだ。事の次第を聞いたクラウドは、信じられないという風に額を押さえた。
    「ロイの言っていた伝説を真に受けて、本当に人間になるまで西の果てへ行ったというのか……。だが、ロイは一体どこでそんな知識を?」
    「本で読んだって言ってたわ!」
    「ならば、解決策もその本に記されているはずだ」
     メロディは、不服そうに自分の服の袖を掴んで離さないサンダーを連れて、ロイの屋敷へと向かった。
    「やあ、メロディ。……隣にいるのは、サンダーだね」
    「わかるの?」
    「ああ、その『僕以外は全員敵だ』と言わんばかりの目つきは、間違いなくサンダーだよ」
     ロイは苦笑しながら、一冊の重厚な古書を開いた。
    「……あったよ。呪いを解き、姿を戻すには『聖なる乙女の口づけ』が必要だそうだ」
    「聖なる乙女? そんな人、どこにいるのよ」
    「君のことだよ、メロディ」
     ロイに指摘され、メロディは真っ赤になった。
     一方のサンダーは、猛烈に抵抗し始めた。せっかく人間になり、彼女と同じ体温で触れ合えるようになったのだ。ドラゴンの姿に戻りたくないという必死の拒絶が、その瞳から伝わってくる。
    「サンダー」
     メロディは、暴れる少年の頬を両手でそっと挟み込み、逃げられないように至近距離で見つめた。
    「聞いて、サンダー。……私はね、人間のあなたも素敵だと思うけれど、大きな翼で空を駆ける、ドラゴンの時のあなたの方がずっと大好きなのよ」
     その言葉に、サンダーは魔法が解けたように静止した。最愛の主からの「大好き」という言葉に、彼は静かに瞳を閉じ、運命を受け入れた。
     メロディが彼の額にそっと唇を触れさせると、まばゆい光が二人を包み込んだ。
     ――ギィヤァァース!!
     光が収まった後には、元の美しい白銀の竜が立っていた。
     しかしサンダーは、メロディに本音(好きだという言葉)を言わせるために「戻りたくないフリ」をしていたのを悟られたと思ったのか、急に恥ずかしくなったように拗ねて空へ飛び去っていった。
    第五章:祭
    「アレハンドラ?」
     メロディがその名を呼ぶと、巨竜は短く喉を鳴らした。それは「私に乗れ」という合図だ。彼が巨躯を低く沈めると、メロディは慣れた動作でその背へと飛び乗った。
     二人は空高く舞い上がり、幾つもの山を越え、雲を突き抜け、見たこともない異国の地へと降り立った。
     そこでは、国を挙げての盛大な祭りが執り行われていた。メインロードを埋め尽くす群衆の中心には、竹や布で作られた巨大な「張り子のドラゴン」の行列。からくり仕掛けのそれは、時折口から煙を吐き、人々を沸かせている。
    「よくできているけれど……やっぱり、作り物ね。本物の方がずっと、強くて美しいのに」
     メロディがそう呟いた瞬間、アレハンドラが大地を震わせる咆哮を上げた。
     ――ギィヤァァース!
     裏道から、路地裏から、人々が驚愕の声を上げて駆け寄ってくる。
    「……あ、あそこに本物のドラゴンがいるぞ!」
    「この子は、本物よ。私たちの家族なの」
     メロディが胸を張って答えると、人々はおっかなびっくり、しかし敬意を込めてアレハンドラの周囲を取り囲んだ。その時、誰からともなく、古くから伝わる雨乞いの唄が始まった。
    「ドラゴン、ドラゴン、雨降らせ! 我らに糧を、五穀豊穣を!」
    「祭りだ、祭りだ! 竜の神よ、我らの願いを聞き届けたまえ!」
     唱和の嵐。空気が震え、熱狂が最高潮に達した時、不意に上空から無数の巨大な影が降り注いだ。サンダー、リューク、そしてかつての卵から孵った若竜たちが、メロディを追って飛来したのだ。
    「みんな! この人たちの願いに応えてあげて!」
     メロディが天を仰ぎ、全神経を集中させて念じる。風よ雲を呼び、雨を連れてこい――。
     その純粋な祈りが空を揺らした直後、乾いた土にポツポツと黒い斑点が広がった。
    「雨だ! 雨が降ってきたぞ!」
     恵みの雨は瞬く間に激しさを増し、枯れかけていた大地を潤していく。人々は歓喜に沸いたが、やがて本格的な土砂降りになると、笑いながら蜘蛛の子を散らすように建物の中へと避難していった。
    「ああ、なんて気持ちいいのかしら……」
     メロディだけは、天を向いてその激しい雨を全身に受け止めていた。服も髪もずぶ濡れだが、彼女の心はこれ以上ないほど澄み渡っていた。
     アレハンドラが「そろそろ帰ろう」と促すように鼻先を寄せると、メロディは軽やかにその背へと飛び乗った。
    「本物よ! 本物のドラゴンと、伝説の竜姫さまだ!」
     窓という窓から人々が身を乗り出し、押し合いへし合いしながら彼らを見送った。「ありがとう!」「また来てね!」という感謝の叫びが、雨の音さえ消し去るほどに響き渡る。
     帰路。雲の上に出ると、濡れた髪を西日が黄金色に染め、心地よい風が湿り気を奪っていった。
    「アレハンドラ。大好きよ」
     メロディがその太い首筋にぎゅっと抱きつくと、巨竜は満足げに、そして優しく喉を鳴らした。
     その後ろを、サンダーや若竜たちが羽ばたきの音を揃えて旋回している。
     かつてアレクとアレハンドラが始めた旅は、クラウドやアリスを経て、今、空を愛する少女と自由な竜たちの物語として、永遠に続いていく一歩を記した。
     
    第六章:ドラゴンステーキを回避する方法
    「……なあメロディ。遠い異国では、ドラゴンを狩ってステーキにして食う風習があるらしいぞ」
     夕食の席で、クラウドが藪から棒にそんな物騒なことを口にした。メロディは手に持ったフォークを落としそうになり、激しい身震いと共に父を睨んだ。
    「お父様、悪い冗談はやめて。ちっとも笑えないわ」
    「冗談ならいいんだがな。この国周辺は今やドラゴンが過密状態だ。その噂を聞きつけた『ドラゴン討伐隊』が、金と肉を目当てに送り込まれるかもしれないという話だ」
     ――ギィヤァァース!
     窓の外で聞いていたアレハンドラが、抗議するように鋭く叫んだ。クラウドは窓越しに相棒を見つめ、真面目な顔で付け加える。
    「特にお前みたいな立派な青竜は、真っ先に狙われるだろうなぁ」
     その言葉にショックを受けたのか、アレハンドラは仲間たちの元へ足早に飛び去っていった。それから数日、アレハンドラは一度も姿を見せず、空を舞う他のドラゴンたちの姿も目に見えて減っていった。
    (もしかして、もう討伐隊が来ているの? みんな捕まってしまったんじゃ……)
     メロディが不安に駆られ、湖畔で空を仰いでいた時のことだ。
    「メロディ」
     不意に背後から声をかけられ、振り返ると、そこには見覚えのあるプラチナブロンドの少年が立っていた。
    「サンダー! あなた、一度だけじゃ飽き足らず、また人間になったの?」
    「……そうだよ。父さん(アレハンドラ)がみんなに呼びかけたんだ。このままじゃ食い物にされるぞって。今はみんなで、人間の言葉を話す練習をしたり、うっかり火を吹かないように訓練してる最中なんだ」
     サンダーは、以前よりも少し流暢になった言葉で、森の奥に隠れたドラゴンたちの近況を伝えた。
    「やっぱり、ドラゴンステーキが怖いのね……」
    「そりゃそうさ。それに、人間の姿とドラゴンの姿を使い分けられたら最高だろ? 美味しいものも食べられるし、君の隣にも歩いていける」
     サンダーが少し照れくさそうに笑うのを見て、メロディはようやく胸を撫で下ろした。みんな捕まったわけではなく、彼らなりに生き残るための「進化」を選んだのだ。
    「西の国の聖なる果実を果実酒にして、いつでも飲めるように保存する計画なんだ。僕も仕込みを手伝わなくちゃいけない。……またね、メロディ」
     サンダーは慣れない二本の足で、それでも必死に大地を蹴って森の奥へと駆けていった。その背中を見送りながら、メロディはふと、重大なことに気づいて顔を青くした。
    (……ちょっと待って。もし、ドラゴンたちが全員人間になっちゃったら……)
     あの古書の記述が頭をよぎる。姿を元に戻すには「聖なる乙女の口づけ」が必要だ。
    「まさか、元に戻すために、私……あの一族全員にキスしなきゃならないのかしら!?」
     湖畔に、メロディの切実すぎる溜息が重く響き渡った。
     
    エピローグ:旅立ち
     国を揺るがした騒動が収まり、テクサク国を狙っていたドラゴン狩りの一団も、結局は数匹のはぐれドラゴンを仕留めただけで、手持ち無沙汰そうに引き揚げていった。
     嵐が去った後の静寂の中、クラウドはどこか力なく空を仰いでいた。
    「どうしたの? お父様」
    「……ドラゴンのいない騎士団は、ただの騎士団なのさ」
     クラウドの答えは、ひどくしょんぼりとしたものだった。
     かつてアレクから受け継ぎ、誇りとともに守ってきた「ドラゴン騎士団」という形が、時代の変遷とともに崩れ去ろうとしている。
    「もっと冒険ができて、もっとワクワクする生活がしたくはないか?」
     不意に、見知らぬ初老の男が二人の前に現れた。その男は、どこか浮世離れした穏やかさと、底知れない威厳を湛えている。
    「……お前は誰だ?」
    「アレハンドラだ」
    「えっ……」
     クラウドが絶句する中、男——人間に擬態したアレハンドラ——はメロディを見つめて微笑んだ。
    「そんな生活ができるの?」
    「ああ、できるとも。テクサク国を離れ、まだ誰も見たことのない世界へ、竜と共に旅立ってみないか?」
     メロディとクラウドは、互いの顔を見合わせた。
    「そんな夢物語に付き合えるほど、俺ももう若くないな……」
    「私……私は、行ってみたいわ。お父様」
    「メロディ……」
     クラウドは、いつの間にか大人びた表情を見せるようになった一人娘をしげしげと見つめた。
    「いいか、後悔だけはするなよ」
    「後悔なんてしないわ。私は決めたの」
    「アレハンドラ、頼む。……娘を連れて行かないでくれ」
     クラウドの最後の手向けのような願い。だが、メロディの瞳には、かつてのアレクや、若き日のクラウドと同じ「選ばれし者」の強い光が宿っていた。
    「お父様、ごめんなさい。私はドラゴンと共に生きる運命なの。……竜姫は、ドラゴンと共に」
     メロディは、初老の男の額にそっと唇を触れさせた。
     次の瞬間、光とともに男の姿は消え、そこには巨大な青竜アレハンドラが猛々しく咆哮していた。アレハンドラはメロディを優しく背に乗せ、力強く羽ばたいた。
    「メロディー! 行くな、行かないでくれ!!」
     クラウドの叫びを置き去りにして、ドラゴンは瞬く間に高度を上げ、黄金の夕陽の中へと姿を消していく。
     ――ザアァァァァッ!
     その時、地平線から黒い影の波が押し寄せてきた。数えきれないほどのドラゴンたちが、ある者は地上に残り、ある者は空へと別れを告げる。
     やがて、空は旅立つ竜たちの群れで埋め尽くされた。
     はるか彼方の、まだ見ぬ冒険の旅へ。新しい時代の竜姫は、風を味方につけて飛び去っていった。
    「なんてことだ……」
     一人残されたクラウドは、崩れ落ちるように膝をつき、嘆き、悲しんだ。
     その時、彼の額で鈍く輝いていた紋章が、不意にその熱を失った。鏡のように消えていく痣。アレハンドラとの、そして竜との契約が、今この瞬間をもって完全に失われたのだ。
     かつての英雄は、ただの「父親」に戻り、愛娘が消えた空をいつまでも、いつまでも見つめ続けていた。
     

     
     
    SF作家志望。chat GPTちゃんとよく会話しています。編み物を仕事にしています。

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