
第五章 「元気だから大丈夫」という勘違い
介護の現場を離れたはずなのに、また私は、似たようなことで言い合いをしていた。
ある家族が言う。
「もう退院しても大丈夫。ひとりでできるから」
「通いのサービスも行かない」
「リハビリもいらない」
「手すりなんて、まだ必要ない」
次々と並べられる“いらない”の言葉。
そして、周りも言った。
「元気なんだから、もう働きに行っていいんじゃない?」
思わず、心の中で笑ってしまった。
──ああ、やっぱりそう見えているんだ、と。
私はこれまで、家族の介護に関わってきた。
だから知っている。
“元気そうに見える人ほど、危うい”ということを。
歩けているように見えても、
その一歩が不安定なことがある。
しっかり話せているように見えても、
判断力が少しずつ落ちていることがある。
そして何より、転倒は一瞬で起きる。
「大丈夫」は、気持ちの問題であって、
身体の現実とは別だ。
実際に、自宅での支援に入った専門職の方が、こんなことを言っていた。
「ご本人のこだわりが強い場合、一度“難しい”と実感されるまでは、こちらの提案を受け入れてもらうのは難しいかもしれませんね」
その言葉が、妙に現実的で。
そして、どこか覚悟を迫られているようでもあった。
それでも人は、“できていた頃の自分”を手放せない。
認めたくないし、認めさせたくもない。
その気持ちも、痛いほどわかる。
でも、現実は変わらない。
そしてその“ズレ”を、最初に引き受けるのは、
いつだってそばにいる人間だ。
しばらくの間、私はできることをやってきた。
環境を整えて、
気を配って、
できるだけ無理のない形を考えてきた。
その時間を、きちんと見てくれていた人が一人だけいた。
「ありがとう」と言ってくれた。
「助かった」と、ちゃんと伝えてくれた。
その一言で、救われた気がした。
全部が無駄じゃなかったと、思えた。
でも──
だからといって、
このまま私が背負い続ける理由にはならない。
言うべきことは言った。
やるべきこともやった。
それでも「大丈夫」と言い切るなら、
その選択は、もう本人たちのものだ。
だから私は、決めた。
働きに出ることを。
これは逃げじゃない。
自分の生活を守るための、ひとつの選択だ。
「元気だから大丈夫」
その言葉が崩れる日は、きっと突然やってくる。
その時、ようやく現実に気づくのかもしれない。
でもその時にはもう、
私は“全部を背負う場所”にはいない。