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[ショート小説] 21時、恋は並盛り

    昼休み、元彼から結婚報告が届いた。

    《久しぶり。今度、結婚することになりました》

    付き合っていた頃は、句読点なんてほとんど使わない人だった。

    彼女は少し考えてから、

    《おめでとう》

    とだけ返した。

    祝福できるほど大人でもない。
    泣くほど未練があるわけでもない。

    その中間にいるのが、いちばん面倒だった。

    午後は売上報告をまとめ、上司に数字の間違いを指摘され、後輩の相談に乗った。

    元彼が結婚する日も、コピー機は紙詰まりを起こす。

    会社を出たのは21時前だった。

    駅へ向かう途中、牛丼屋の明かりが目に入った。

    昔の彼なら言ったかもしれない。

    「夜に大盛りはやばくない?」

    その声を思い出した瞬間、彼女は店に入った。

    カウンターに座り、迷わず言う。

    「牛丼、大盛りで。卵と味噌汁も」

    少しして、大きな丼が置かれた。

    湯気の向こうで、甘辛いタレをまとった牛肉がつやつや光っている。
    やわらかな玉ねぎは半透明で、白いごはんに肉汁が染みていた。

    彼女は紅しょうがを、遠慮なく山盛りにした。

    赤い細切りが、牛肉をほとんど隠す。

    卵を割る。

    黄身がとろりと崩れ、熱い肉とごはんの間へ流れ込んだ。

    箸で大きく混ぜ、ひと口食べる。

    甘い。
    しょっぱい。
    卵はまろやかで、紅しょうがの酸味が舌を起こす。

    味噌汁を飲むと、喉の奥まで温かくなった。

    彼の結婚報告より、ずっとわかりやすかった。

    スマホが震えた。

    《ありがとう》

    彼女は画面を伏せた。

    怒っているわけではない。

    ただ、牛丼が冷める方がもったいなかった。

    紅しょうがを追加する。

    二口。
    三口。

    大盛りのごはんが、思った以上の速さで減っていく。

    食べ終わる頃には、少し苦しかった。

    並盛りでもよかったかもしれない。

    でも、今夜は大盛りでよかった。

    元彼は誰かと結婚する。

    彼女は牛丼を大盛りにして、紅しょうがを山ほどのせた。

    人生には、比べなくていいことがたくさんある。

    店を出ると、夜風が頬に冷たかった。

    お腹は重い。

    でも、昼に届いたメッセージは、もう並盛りくらいの重さだった。

     
     
    仕事帰りの夜、街の匂い、言えなかった後悔。そんな何気ない瞬間を短編小説にしています。映画批評もときどき更新。静かな物語が好きな方へ。

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