
たまの夜の話
人と対面するたび、自分の魂を、薄く、丁寧に削ぎ落としては、それを差し出しているような感覚に陥る。
人間、本当にしんどい時には、他人の顔など見たくもないものだ。自分の城に鍵をかけ、ひとり深く沈み込み、時間を誰に邪魔されることなく、勝手に、気ままに浪費する。
誰かと近くあり続けることに、時々ひどく消耗してしまうから。
もしも、この内側に渦巻くすべてを、言葉にして放り出してしまえたなら。
自分を全能だと信じる傲慢さと、呼吸の仕方も忘れるほどの無力感。
「会えるだけでいい」という慎ましさと、「それだけでは足りない」という底なしの飢餓。
それら相反する破片たちが、ひとつの器の中で軋み合い、ときおり火花を散らしている。
しかし、始末の悪いことに、私はどこまでも考えてしまう性分なのである。
心を震わせる本を読んだ時。あるいは映画や音楽の奥に潜む真理に、ふと触れてしまった時。内側で不意に弾けた小さな思考の破片を、どうしても誰かに手渡したくてたまらなくなるのだ。
すべてを差し出したいわけではない。
ただ、たまに会える夜に、お互いが拾ってきた光の破片を持ち寄って、言葉を交わせたなら、などと都合のいい夢を見てしまう。
常に互いを確認し続けるような関係は、きっと向いていない。近すぎる距離は、愛情より先に摩耗を生むからだ。
満ちては引いていく、あの気まぐれな周期を背中に感じながら、魂の端だけが静かに触れ合っているような関係が、いちばん美しく、そして何より安心できる。
困った笑顔が見たいわけじゃない。
けれど、会える日には不思議と、あの肌に張り付くような温度も、気にならなくなるほどに晴れやかな心持ちなのだ。
こんな魂の格好のつかなさを、まだ上手く説明できない。心はとうに、理性を置き去りにして答えを出している。
「エビマヨいいね、それにしよう」
そんな会話の隣に、ちゃっかり座っている。
完成も目前、指先からコロンと転がり落ちるナッツのように、気ままで、少し欲張りな関係が欲しいのだ。